ナレッジ

重工業・エンジニアリング業界におけるメタバース活用の現状と取り組みの方向性

コロナ渦でリモートワーク常態化しオンラインベースの交流の実需要が増加すると共に、関連デバイス・通信・先端コンピューティング・基盤技術の進展や整備が進み、メタバースの構築・運用面に関するコスト的なハードルが下がったこと等を背景に、重工業・エンジニアリング業界(以下同業界)において、メタバースの取り組みが進んでいます。本編では、同業界の代表的な事例を採り上げ、そこから導き出される今後の方向性について考察します。

はじめに

メタバースには様々な定義が存在するが、本稿では「メタバース」を、XR技術を活用したインターネット上に展開される没入感の高い多人数が参加できる仮想空間と定義する。関連デバイス・通信・先端コンピューティング・基盤技術の進展に加えて、仮想現実・デジタルツイン・ 非代替性トークンといった概念や仕組みが併用されること通じ、重工業・エンジニアリング業界(以下同業界)において、ビジネスプロセスの改善や新たな事業領域への進出、既存のビジネスモデル転換等、幅広い内容を含む取り組みが進んでいる。

まず、同業界におけるメタバースを活用したイノベーションの定義や進展の背景を整理したのち、代表的な5件のイノベーションに関する取り組み事例を採り上げ、そこから導き出される今後の方向性について考察していく。本稿ではその方向性を、目指すべき成果の特徴に基づき、①モノ・サービスの高度化、②担い手不足の解消、③バリューチェーンの最適化、④ビジネスモデル創造に分類した。

次に、メタバースを活用したイノベーションを推進するための課題について整理した。技術実証から社会普及を進めるにあたり、サービスの実用性や信頼性を担保した上で、サービスの導入コストに見合う生産性向上や体験価値向上等の効果測定を進めていく必要がある。そのために必要な課題として、①技術活用、②経営戦略面、③制度面における3点を解決する必要がある。

最後に、こうした課題を解決するために同業界の企業がとるべき戦略の方向性について、①異業種や官民連携の推進、②非連続な世界も視野に入れた中長期的な取り組みの重要性の視点から論じた。現時点における同業界向けのメタバースソリューションは期待が先行しており、技術実証や単体ソリューションの導入が多いものの、業種や官民を問わないオープンな連携や、コロナ渦の影響で変化したイノベーションの全体像を高い視点と中長期的な視野で、環境や課題整備を加速していくことが求められる。

メタバースを活用したイノベーションの定義と進展の主な背景

「メタバースを活用したイノベーション」には、現時点において、明確な定義やコンセンサスがあるわけではなく、捉え方は多種多様であるため、「メタバース」・「メタバースを活用したイノベーション」について、以下定義を明らかする。

「メタバース」という言葉は、「メタ」(高次)と「ユニバース」(宇宙)を組み合わせた造語であるが、本稿では「メタバース」を、XR技術を活用したインターネット上に展開される没入感の高い多人数が参加できる仮想空間と定義する。また、「メタバースを活用したイノベーション」については、メタバースや周辺技術の革新という意味だけではなく、先端技術としてのメタバースを産業や社会生活に取り入れ、各々のニーズに合わせたモノやサービスの提供によって各種の課題を解決する新たな経済的価値を生み出す試みとして幅広く定義づけ、ビジネスプロセスの改善や、新たな事業領域への進出、既存のビジネスモデル転換等、幅広い内容を含むものとする。

メタバースの活用への注目が高まった主な切掛けとしては、①コロナ渦でリモートワーク常態化し、リアルワールドに近づけたオンラインベースの交流の実需要が増加したこと、②2021年にFacebook(現Meta)が「メタバース」企業を目指すと宣言したことである。1 それらが起点となり用語としての認知度が上がると共に、関連デバイス・通信・先端コンピューティング・基盤技術の進展や整備が進み、メタバースの構築・運用面に関するコスト的なハードルが下がったことが背景として考えられる。近年では音楽ライブやゲームなどの大規模なイベントを仮想空間で開催する事例が増加している。

メタバースを活用した取り組み事例と目指すべき成果の特徴

メタバースを活用した取り組み事例と目指すべき成果の特徴

次に代表的な5件のイノベーションに関する取り組み事例を採り上げ、目指すべき成果の特徴について考察していく。
まず1件目は川崎重工業がMicrosoftと連携した新たなロボットビジネスを創出するデジタル環境の構築事例である。2 ロボット導入に伴う製造プロセスの自動化はモノづくり企業に生産性の向上という恩恵をもたらす一方、ロボットの故障が原因で生産ラインが停止するリスクが懸念されている中、ロボットの操作・サポート・トラブルシューティング・メンテナンスの項目において円滑な対応ニーズが高まっていた。本件は、グローバルでも有数のロボットメーカーである同社が、Azure IoT・同Perceptによるエッジコンピューティング・AI活用を通じて、上記リスクに対して故障発生時の迅速な改善や予兆保全、遠隔地での専門家からのアドバイスを実施し、Azure Digital Twinsの仮想空間上でロボットの動作状況を把握することで物理的に離れた拠点でのトラブル原因特定と解決を目指すものである。

2件目はDMG森精機のバーチャルショールーム構築・製品のお試し使用シミュレーション事例である。3同社は事業所内のショールームをデジタルツインで再現し、24時間アクセス可能なショールームとした。同社の製品情報や、関連動画などを展示しており、顧客との商談における資料として活用を進めている。また、「デジタルツインテストカットサービス」を提供し、加工時の切削力や工具振動などの状態や面品位などを実際の工作機械で加工した時と同じように確認することが可能としている。テストカットにデジタルツインを活用することで所要時間を大幅に短縮し、使用する工具や素材、消費電力の削減にもつなげている。

3件目は大成建設の安全対策構築事例である。4 同社は建設現場を仮想空間上に構築し、現実と連動した建機と現場作業員の3Dモデルを配置することで、正確な位置情報に基づく警報発信や非常停止指令を発信し、接触事故を防止している。また、蓄積したデータを安全教育にも活用することを目指している。

4件目はJUKIの遠隔保守作業支援システムの導入事例である。5同社はスマートフォンやスマートグラスを活用した遠隔保守作業支援システム(日立製作所「フィールド業務情報共有システム」)を導入し、中国・ベトナム・インド等の工業用ミシンユーザーに対する修理・保守業務において、日本の技術者が遠隔で支援を進めることを実現している。

5件目は関電工の現場作業支援システム導入事例である。6 同社はMRゴーグルとサーモカメラを組み合わせ現場装置の部位ごとの正常温度範囲を管理している。サーモカメラの熱画像をリアルタイムに解析し、温度以上部位が視界に入るとホログラム上にアラートと熱画像が表示される仕組みである。また、リモート環境下で事務所にアクセスしMR映像を共有しながら後方支援を依頼することもできる。

既述の事例で取り上げたイノベーションの方向性は、業務プロセスの改善とビジネスモデルの質的転換に大きく分類できる。2・3・5件目の事例においてはメタバースを活用したイノベーションを通じてビジネスモデルは変化していないが、機器を活用した製造や現場の業務プロセスの効率化、若しくはより付加価値のあるマーケティングプロセスにつながるケースと考えられる。同様に1・2・4件目の事例においては、ロボットや機器の販売だけではなく、機器や製造現場から得られる様々な業務上のデータを活用してソリューションサービスへとバリューチェーンを拡張するなどビジネスモデルの質的転換につながるケースと考えられる。

さらに、既述の事例を目指すべき成果の特徴に基づき、①モノ・サービスの高度化、②担い手不足の解消、③バリューチェーンの最適化、④ビジネスモデル創造に整理した。

「モノ・サービスの高度化」は、2・4件目の事例が対象である。メタバースに関連するデバイス・通信技術の進展に加えて、仮想現実・デジタルツインの概念が加わることで顧客に対するサービスの質的強化のほか、顧客のニーズに合わせた高付加価値な製品開発力の向上への期待が高まっている。

「担い手不足の解消」は、3・5件目の事例が対象である。少子高齢化や働き方改革関連法の2024年成功開始など労働需給が構造的にひっ迫し担い手不足が指摘される建設・エンジニアリング業界においては、デジタルツインの導入やデータプラットフォームの構築による生産プロセスの効率化やハードウェアロボットの導入などによる必要なタスクを抑制・代替する省力化のほか、暗黙知化された現場ノウハウを可視化するような動きをインシデントの削減や安全教育への活用につなげることが期待されている。

「バリューチェーン最適化」は、1件目の事例が対象である。自社が販売するロボットのデータから収集されるデータやAzureのプラットフォームを用いて解析されたデータ等を基盤とすることで、従来型のロボットの製造販売や保守サービス提供だけではなく、バリューチェーンの中下流にある事業領域への新たな経済的価値を提供し得るポテンシャルを秘めている。

「ビジネスモデル創造」は、2件目の事例が対象である。テストカットにデジタルツインを活用することで所要時間・使用する工具や素材の削減につながるだけではなく、一品一葉型の工作機械の製造販売において、遠隔での共同作業や稼働率の向上・効率化を図ることにより既存の代理店やベンダとの従来型の販売ビジネスモデルが陳腐化され、事業の在り方が大きく変化する可能性が考えられる。

メタバース活用上の課題と取り組みの方向性

このようにメタバースを活用したイノベーションについては期待される成果により複数の特徴が考察でき、今後の取り組み状況に応じて業務プロセスの改善やビジネスモデルの質的転換を通じた競争力強化につながるものと期待されている。一方で、同技術の実証から社会普及を進めるにあたり、サービスの実用性や信頼性を担保した上で、サービスの導入コストに見合う生産性向上や体験価値向上等の効果測定を進めていく必要がある。これらは実際には容易ではない。次にメタバースを活用したイノベーションを推進するための課題について、①技術活用、②経営戦略面、③制度面における3つの切り口から整理した。

まず技術活用上の課題については、自社のケイパビリティ不足、ソリューション全体像を理解し推進するブリッジ人材の不足が挙げられる。メタバースをDXの実現手段として高度な没入感を醸成するためには、仮想空間上で生じた事象をフィジカル空間にリアリティを高めて反映させると共に、フィジカル空間での行動をメタバース上に速やかに再現する技術の実現が求められる。超高速処理・高速通信・五感と感情のセンシングなどを実現するインフラ機能を自社のケイパビリティだけで十分に備えることができない場合があることに加え、メタバースを構成する各レイヤーをまたいだプロダクト展開・既往技術の当該分野における再定義やオペレーションノウハウが不足しイノベーションが停滞する可能性がある。こうした技術やノウハウの不足については、B2B領域の業務課題を理解し、ソリューションの全体像を設計・推進するブリッジ人材の育成や確保がほとんどの業種に共通する課題となっている。

次に経営戦略面での課題については、既存の商取引慣行やレガシーとの調和が挙げられる。メタバースを活用したイノベーションを通じたビジネスの拡大を推進する際に、従来の業界での取引慣行や、従前より投資を続けてきた有形・無形資産が不要になる可能性があり、イノベーションを推進する上での阻害要因になる可能性がある。他方で人間の五感に関連する新領域の需要が喚起される際に、すでに成熟・衰退フェーズに入っている自社技術やプロダクトの成長が後押しされる可能性もあるため、個社・単一レイヤーにおける取組では他社に劣後するリスクをヘッジすべく、バリューチェーンや業種をまたいだ連携を検討する必要がある。

最後に政策面における課題については、規制や運営要領が未整備で民間だけではリスクを取ったチャレンジがしづらいことや導入インセンティブの不足が挙げられる。メタバースのソリューションサービスを拡充するための周辺デバイスやコンテンツの拡充を目指すにあたり、当該技術を活用したプラント運営や保守点検が、規制が厳格で活用・展開できない、規制が不明確で導入についてのジャッジが困難であるといった問題がある。これらは民間だけでは対応が難しいことから、政府がイニシアティブを持って取り組む必要があり、ルール整備のロードマップ策定や導入コストに見合うインフラ技術を整備するにあたっての、補助金や税制優遇などのメニューを充実させることが期待されている。

こうした課題を解決するために企業がとるべき戦略の方向性について、①異業種や官民連携の推進、②非連続な世界も視野に入れた中長期的な取り組みの重要性について論じたい。既述の課題については個々に独立したものではなく、相互に影響を与えあっているとの認識の下、業種横断で共通して当てはまるもの、業種特性に応じて濃淡があるものと最低限解決すべきものと整理する必要がある。

異業種や官民連携の推進を通じて、個社では不足する技術やノウハウ・人材に関するケイパビリティを補い合う取り組みが重要である。中長期的な目線で協調領域や共創領域を区分けし技術開発・データやノウハウの蓄積、人材育成への取り組みを進めることでイノベーションを加速する効果が見込まれる。政策面では特区の設定や補助金・税制優遇のような仕組みの設定、実証実験や社会実装のロードマップ整備を踏まえた法制度・運営ルールの整備支援は、官民が各種の課題を共有し実効性のある内容としていくうえで重要な論点である。

非連続な世界も視野に入れた中長期的な取り組みについては、メタバースをベースにしたイノベーションの推進やビジネスプラットフォームの構築・拡大に伴い想定される事業機会を獲得することを目指した場合、既存のビジネスモデルへの影響が大きくなることが想定されるが、従来の商取引慣行と調和しつつイノベーションを進めていくことが重要になってくることである。メタバースの活用を前提として大量に生成される無形資産を保護するためのセキュリティや、より没入感のある仮想空間を形成するための量子コンピューティング技術や半導体の先端パッケージ開発のような技術への積極的な投資のほか特定領域のデジタルコンテンツの生成やプラットフォームの構築に中長期的な投資を計画する必要がある。

現時点における同業界向けのメタバースソリューションは期待が先行しており、技術実証や単体ソリューションの導入が多いものの、いずれも同業界が抱えている各種課題の解決に資するものである。イノベーションの取り組みにあたり、論点は多いものの、業種や官民を問わないオープンな連携や、コロナ渦の影響で変化したイノベーションの全体像を高い視点と中長期的な視野で、環境や課題整備を加速していくことが求められる。

Emerging Technology

デロイト トーマツ グループは、Web3、量子技術、5GといったEmerging
Technology(以下ET)について、各業界の支援実績等に基づく幅広い知見を有しています。また、グローバルを含むアカデミア・産業界・政府系機関との繋がりを有しており、ETの最新動向を踏まえた価値提供・創造が可能です。

Emerging Technologyに関する各種コンテンツはこちら

岸本 展明/Hiroaki Kishimoto
ディレクター

国内メガバンク・外資系コンサルティングファームを経て現職。業種を横断しロボティクス・ドローン・ブロックチェーン・AI・IoTなどの先端技術領域を中心に、戦略策定~社会実装~M&A・アライアンス構築支援まで幅広くコンサルティングサービスを提供している。
 

お役に立ちましたか?