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ヘルスケア領域におけるメタバース活用の現状と普及に向けた提言
我々はヘルスケア領域におけるメタバースの価値を①リアルなコミュニケーション・体験の提供②バーチャル治療・ケア行為の提供③医療シミュレーションを通じた製品・サービスの改良、と定義し、ヘルスケアの変革を促す重要な基盤技術の一つとして位置づけている。このような価値が見込める一方で、我が国のメタバース普及状況はグローバルと比べ芳しくなく、当該技術のヘルスケア領域への適用において後塵を拝している。
要旨
弊社は2022年に我が国におけるヘルスケアの将来像を論じた「2040年のヘルスケアを象る変革ドライバー」を発行している 。我々は今後のヘルスケア秩序の変革を、「健康長寿から永遠の寿命への拡張」「製薬業界の産業構造変革」「医療提供体制の刷新」「産業基盤整備による価値転換の加速化」、と4つの視点から捉え、その要因となる10のドライバーを論じている。
今回取り上げるメタバースについて、その価値を我々は以下のように定義しており、ヘルスケアの変革を促す重要な基盤技術の一つとして位置づけている。
① リアルなコミュニケーション・体験の提供
実際の診療に近い遠隔診療の実現、病院全体の仮想化による患者体験の向上、新たな生活・活動空間の提供
② バーチャル治療・ケア行為の提供
精神疾患の治療やリハビリテーション等における仮想空間上の体験を通じた治療やケアの提供
③ 医療シミュレーションを通じた製品・サービスの改良
病態や医薬品のシミュレーションによる医療の質の改善や新規医薬品の設計、病院や工場等の物理環境のシミュレーションによるオペレーション改善
このような価値が見込める一方で、我が国のメタバース普及状況はグローバルと比べ芳しくなく、当該技術のヘルスケア領域への適用において後塵を拝している。
今後我が国において同技術の普及を通じたヘルスケアの変革を推進するためには、産官学を巻き込んだ形でのコンセプト設計や実証事業の推進が必要であると考え、我々は様々なプレーヤーと具体的なアイデアを基に議論を行ってきたいと考えている。
ヘルスケア領域におけるメタバース技術の概況
(1) ヘルスケア領域におけるメタバースの価値
メタバースとはインターネット上に構築される三次元仮想空間であり、様々なデジタル技術を組み合わせることでユーザに対し現実に近い感覚での交流や活動を可能とする。すなわち、XRやグラフィック技術によりユーザに対し現実感や没入感の提供が可能であること、仮想空間であることから場所や規模の制約が解消された場の提供が可能であること、センシングやデータモデリング技術により仮想空間に物理空間との同期(デジタルツインの構築)が可能であること、がメタバースの特徴として挙げられる。
ヘルスケア領域におけるメタバースの概況を述べるにあたり、まず当該領域におけるメタバースが提供可能な価値について考えてみたい。
- 「今そこにいる感じ」を伴うリアルなコミュニケーション・体験の提供
診療現場において、現在の遠隔診療はビデオ通話を通じた簡易な問診しか実現できていないが、センシング技術等を組み合わせることで、医療従事者と患者双方の表情や仕草から言葉による説明では把握できなかった様々な生体・心理的な情報を読み取ることで、現実の診療に近づけることが可能になる。さらに、病院全体を仮想環境として構築した場合には、患者は様々な診療科をシームレスに受診できるようになり、待合時間を有効活用したり、付き添いの家族の負荷も軽減できるようになる。
また、フレイルや身体的障害等により日常生活に支障が生じている生活者においては、仮想空間上での様々な経済活動や社会活動を行うことで、制約のない自由な自己実現が可能となる。 - 現実では提供できないバーチャル治療・ケア行為の提供
メタバース空間内でしか実現できない映像(空中の浮遊、瞑想、等)を提供することで、例えば精神疾患患者に対する没入度の高い瞑想治療の提供や、リハビリ患者に対してボールを投擲することで従来のリハビリよりも広範囲な体の動きを求める等、現実空間では実現できなかった新たな治療方法を生み出すことが可能となる。 - 医療シミュレーションを通じた製品・サービスの改善
センシングやモデリング技術の発展により病院や工場のような物理的環境を仮想環境に再現したり、病気のメカニズムや医薬品の効果をシミュレーションする環境も構築できる。これらいわゆるデジタルツインを活用し、仮想空間上で物理環境の改善や製品開発の設計を行うことが可能になる。
例えば、正確な医療シミュレーション環境を提供することで診療上の課題や改善策を検討することで医療の質を高めたり、医薬品の安全性/有効性/アドヒアランスをシミュレーションし、医薬品のコンセプト設計や開発方法論の検討を行うことで開発成功率を高めることが可能となる。
我が国の医療は世界最高レベルと認知されつつも、様々な課題を抱えており、健康寿命の延伸、地域医療格差の解消、キュア中心の医療からケアへのシフト(身体的な健康のみならず、精神的・社会的な意味も含めた健康を保つこと)、社会保障費の抑制のように多面的な変革が求められており、筆者らは、メタバースの有する価値がこれら課題を克服する重要な基盤技術の一つになりうると考えている。
例えば地域医療格差の解消において、メタバースの“リアル感”を活かした遠隔医療システムの提供によって、医療過疎地においても先進医療施設での診療をオンラインで受診可能となる。また、社会保障費の抑制の観点では、薬剤治療に過度に依存しない安価な“バーチャル治療・ケア”を提供したり“医療シミュレーションを通じたコラボレーション”によって医薬品の開発コストを大幅に抑えることで、医療支出を抑制することが可能になるであろう。
(2) 各国政府によるメタバース社会実装の推進
各国政府はヘルスケア領域を含めたメタバース技術の産業利用促進に向けて、基盤となる法規制整備と産業支援策の両面から様々な施策を講じている。
各国政策の方向性は、主に民間企業主導での産業育成を基本とする欧米と、政府主導での産業育成を目指すアジア諸国(中国・韓国)に大別される。
- 法規制整備
メタバース空間においては、著作権の侵害やアバターによる性被害等の利用者保護規制が未整備である点、空間内における経済活動に対する税制度がリアルと比べ不公平である点、国境を越えた多様な取引が行われることがスタンダードとなる可能性がある中で空間内での被害に対する訴訟等に対して準拠される国の法律が不明瞭である点等が、有識者より普及を阻害する課題であると指摘されている。そのため各国政府は産業界と連携しながらメタ空間における法規制整備を急速に進めている状況にある。
EUでは2022年にメタバースの主要な利害関係者を集め、メタバース開発のための指針・ルール作りに向けた「Virtual and Augmented Reality Industrial Coalition」の発足を発表している 。また、韓国では科学技術情報通信部がメタバースの開発者・利用者を対象に「真正性、自律性、互恵性、プライバシー尊重、公平性、個人情報保護、包括性、未来への責任」の8項目に関して言及した「メタバース倫理原則」を昨年公表している 。
わが国においても、メタバース空間における知的財産権の保護を目的とし、不正競争防止法や特許法といった知的財産関連6法の改正案を本年1月に国会提出する等各国に追随する形で法規制整備を進めつつある 。 - 産業支援策
政府主導の産業支援策としては主に中国や韓国において活発に行われている。例えば中国では、企業のクラスター形成によるイノベーションの集積、官民協力による技術課題の解決、知的財産の保護強化、人材の獲得、メタバース産業基金の設立等を柱とする「10メタバース措置」を昨2022年に発表している 。また、上海市は独自にメタバース開発に特化した2,000億円規模のファンドの設立により、100以上の企業育成を目指すことが公表されており 、中央・地方両側から手厚い支援を打ち出している。一方韓国においては「メタバース新産業先導戦略」というメタバース産業の成長戦略を昨年打ち出し、2026年にグローバルメタバース市場のシェア5位を目指して中央主導で産業育成を開始することを公表している。その中では、①政府主導によるワールドクラスのメタバースプラットフォーム構築②高度専門人材の育成③メタバース企業の成長インフラ拡充・競争力強化が柱として掲げられ、定量的な目標としてグローバルメタバース市場5位・産業にかかわる人材育成4万人・基幹企業220社育成・関連サービス創出50件、と意欲的な数値が掲げられている 。
一方、わが国においては、経産省による実証実験としてメタバース空間を会場にNFTを活用したファッション展示会の実施や自民党によるメタバース演説会の実施等、簡易的な取り組みにとどまっており、産業育成観点では大きく後れを取っていると言わざるを得ない状況にある。
(3) ヘルスケア領域におけるメタバース技術の開発動向
ヘルスケア領域におけるメタバース技術を用いた製品開発は近年急速に盛り上がりを見せつつある。直近1年間でヘルスケア・製薬領域において報告されたメタバース製品を、対象課題と本質的価値の2軸で整理した結果を以下に示す 。
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現時点の開発の主戦場はヘルスケア領域であり、製薬領域におけるメタバース活用はほとんど進んでいない。
ヘルスケア領域における開発目的は大きく2つあり、1つは現実で提供できない治療・ケアの実現によるデジタル治療の普及促進で、もう1つはシミュレーション環境の提供による医療従事者の負荷軽減である。特に海外においては現実では提供できない治療・ケアの実現を目指し、医療機器としての製品開発が活発に行われている。例えば米国のPenumbra社が開発したREAL® Immersive Systemは、患者は体の動きをキャプチャする複数のウェアラブルセンサーやVRヘッドセットを身に付けてリハビリを行うシステムである。VR空間内の没入型ゲームにおいて、患者が物を動かしたり、飛んでくる物体を避ける動作を行うことで筋肉や神経の再生を通常のリハビリよりも高度に促すことが可能である 。こういった製品はスイスにおけるMindMazeや米国におけるRENDEVER等多くの事例が報告されている。
一方、医療従事者の負担軽減においては、英国のFundamentalVR社が開発するVRを用いた仮想手術トレーニングシステムが例として挙げられる。同システムでは、オペレータは専用デバイスにより皮膚や骨の接触感覚を感じることで操作中にリアルな手術体験が可能なため、実際の手術における技術習得や患者の負担軽減が可能となっている 。
製薬領域でのメタバース活用は、医療従事者向けの講演会をメタバース空間で行う等医療従事者とのコミュニケーション効率の改善を目的としたものが複数報告されるにとどまっている。同分野において期待されるデジタルツインを活用した医薬品研究開発のROI向上等は今後の技術開発が待たれる状況である。
我が国におけるメタバース技術の開発状況と課題
(1) 海外における開発動向との差異
我が国の状況を俯瞰するために、前述するメタバース技術の開発動向を日本と海外で分けて整理した結果を以下に示す。
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開発製品の種別は海外もわが国も類似する傾向にあるが、日本のほうが医療従事者向けの臨床シミュレーション製品や医療従事者とのコミュニケーション改善を目的とした非医療機器としての製品開発割合が多い状況にあり、海外では新規治療を目的とした医療機器としての製品開発が多い点に差異が認められる。ビジネスモデルの点においては、日本は患者や医療機関の実費による製品購入を意図したものが主であり、一方海外(特に米国)においては医療機器としての承認・償還取得を意図したものが多いことが想定される。
このビジネスモデルの差異はPHRサービス市場においても同様に認められる構図であり、今後の市場成長において海外との顕著な差を生む要因となることが懸念される。日本のPHRサービス市場規模は2019年時点で米国の5%にとどまっており、コロナ禍においても海外より市場成長が鈍いと言われている。この理由の一つには、米国のPHRサービスが医療現場での活用を見据えている点にある。すなわち、米国では、SaMD、遠隔診療、PHRを組み合わせて医療現場と患者をシームレスにつなぐVirtual-care platform等が上市され、保険償還を積極的に目指すビジネスモデルが市場成長を牽引している一方、日本でのPHRサービスの主流は予防・健康増進領域における一般消費者向けビジネスが主流であり、消費者のヘルスリテラシーの低さも相まって市場が拡大していないと考える。
メタバース技術においてPHRサービスと同じ轍を踏まないためにも、医療現場での活用を想定した臨床的価値の高い製品の開発を促進し、市場成長を促すことが求められる。
(2) 臨床的価値の高い製品開発を促す上で想定される課題
しかし、臨床的価値の高いメタバース製品の開発を企業に促す上で、わが国では以下の課題が想定される。
- サービス供給側(開発企業)の課題
① サービス開発基盤の不足
新規参入企業やスタートアップにおいては、製品開発に必要なリソース(特にエビデンスの構築に必要な臨床試験を行うノウハウやケイパビリティ)と、高度なAI開発や効果検証に有益な医療データを保有していない。
② インセンティブの不足
臨床使用を目的とした製品に対するインセンティブ(ドイツにおける早期償還制度や英国における補助金等)が不足しており、スタートアップが投資すべき市場と判断しにくい。 - サービス需要側(医療機関/製薬企業等)の課題
① 本質的価値への理解不足
サービスの受け手である医療機関や製薬企業がメタバース技術の本質的価値を十分に理解できておらず、ヘルスケア領域・製薬企業の課題解決の手段としてメタバース技術の積極的な検討に着手できない。
② 法規制の未整備
メタバース空間における活動に対する医療的観点での法規制が未整備であり、何をどこまで行えば医師法・薬機法に触れるのかが判断できず積極的な製品導入に踏み切れない。
これらの課題を産業界だけで解決することは困難であることが想定されるため、政府と連携し課題解決に向けた取り組みの実施が必要となる。
課題解決に向けて取るべき施策
先述の課題解決に向けて、製品開発基盤を新規参入する大手企業やスタートアップに提供し、開発される製品の実証事業を支援することで、ヘルスケア領域におけるメタバースの価値を可視化して医療機関に共有することが欠かせないであろう。さらにビジネス化を支援するために、上市後のインセンティブの提供も求められる。インセンティブの形態は、保険償還の改定には長期にわたる議論が求められるため英国のように効果の認められる製品に対し期間限定の補助金を支給することが短期的には実現可能性が高い。さらに一般的な法規制整備だけでなく、医療的観点での実践的な法規制整備も並行して進める必要がある。
これらを行うためには、スーパーシティなどの国家戦略特区における産官学のエコシステムを活用し、メタバース製品のスピーディーな事業開発・社会実装を見据えた臨床現場における先行事例の創出、実証を通じて洗い出される実践的な法規制要件の抽出、上市後の製品に対する補助金拠出を、産官が一体となり進めることが必要なのではないかと我々は考えている。
行政及び産業界が果たすべき役割を具体的に述べる。
(1) 行政の役割
行政の役割としては、特区内の医療機関を複数巻き込み当該医療機関を実証事業の場としつつ、保有する医療データを統合したデータベースを構築し参入企業に提供することが求められる。また、開発された製品に対し、上市後の補助金を支給するために政府と交渉し、独自の予算を獲得しておくことも求められるであろう。さらに実証を通じて洗い出される法的要件を参入企業とともにまとめ、厚労省や経産省などの中央省庁にフィードバックするなど、課題解決に向けて司令塔の機能が求められる。
(2) 産業の役割
産業、特に技術の受け手となる製薬企業等の役割としては、事業を通じて収集する臨床課題を参入企業に連携し、臨床意義のあるメタバース製品開発を促すとともに、行政と連携して資金を提供しベンチャーキャピタルを立ち上げ、スタートアップを資金面から支援したり、臨床試験のノウハウを提供するなど開発基盤の一部を提供することが想定される。
なお、Deloitteでは現在ヘルスケア領域におけるメタバース技術の普及を促すために、前述したメタバースの本質的価値を可視化するための実証事業について、メタバース病院などの具体的なアイデアに基づき様々な企業や自治体を交え議論を進めている。このような壮大な取り組みを単独の企業が成し遂げることは困難であり、様々なプレーヤーを巻き込むエコシステムの形成が欠かせない。我々が産官学の様々なプレーヤーを繋ぎ合わせるハブとなり実証事業を推進することで、わが国のヘルスケア領域におけるメタバース技術の発展に少しでも寄与できれば幸いである。
Emerging Technology
デロイト トーマツ グループは、Web3、量子技術、5GといったEmerging
Technology(以下ET)について、各業界の支援実績等に基づく幅広い知見を有しています。また、グローバルを含むアカデミア・産業界・政府系機関との繋がりを有しており、ETの最新動向を踏まえた価値提供・創造が可能です。
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