ナレッジ

第35回 IFRS第17号「保険契約」(その4)

月刊誌『会計情報』2023年7月号

国際会計基準(IFRS)―つくり手の狙いと監査

前ᅠᅠ国際会計基準審議会(IASB)理事 鶯地ᅠ隆継

収支相等の原則

保険ビジネスが他のビジネスと大きく異なるのは、保険ビジネスには「収支相等の原則」というものがあることだ。収支相等の原則とは、たとえば生命保険について言えば、生命保険は大勢の保険契約者が保険料を負担し、それを財源として、誰かが死亡したときや病気になったときに、保険金や給付金を受け取ることができる「助け合い」「相互扶助」の仕組みによって成り立っているので、生命保険の収支においては、集めた保険料(収入)と支払った保険金(支出)が等しくなることが基本であるという考え方である。この収支相等の原則を計算式で表すと以下のようになる。

保険金×死亡者数=保険料×契約者数
(一般財団法人生命保険協会による生命保険の基礎知識から)

日本の伝統的な生命保険の会計においては、この収支相等の原則をベースに会計処理が行われる。具体的には保険契約の当初認識時点においては、想定する保険料の現在価値と保険料の算出で想定する保険金支払いの現在価値を同じであると見積もる。すなわち、保険契約締結時点では利益を見込まない。実際には営利企業のビジネスで利益を見込んでいないという事はあり得ないのだが、日本の伝統的な生命保険の会計においては、少なくとも当初測定の段階ではそれを見積もらず、実際に時の経過に伴って保険金の支払いが生じて順次終了していくとともに、見積もっていた保険料と保険金支払いとの間にあった差額が実現損益として認識されることになる。このような方法は保守的であり、かつ、キャッシュ・フローとの関係が分かり易く検証しやすいというメリットがある。このため監督会計としては管理しやすく、伝統的にこのような方法が用いられている。

このような会計処理は非常に分かり易い反面、企業としての期間損益を適正に表していないのではないかという批判もある。生命保険の契約を非常に単純化してみると、保険契約を締結しても、その保険金の支払が行われるまでは利益が確定せず、保険金の支払いがあって契約が終了してから初めて利益が確定するからである。

 

510KB, PDF ※PDFダウンロード時には「本記事に関する留意事項」をご確認ください。

日本の伝統的会計処理の単純化モデル

日本の伝統的な会計処理がどのような流れになるのかを理解する為に、極端に単純化した例を用いて説明したい。尚、この設例は実際にはありえないモデルであり、生命保険のビジネスに携わっておられる方々から見れば非現実的で違和感があるモデルかもしれないが、会計処理の骨格を理解しやすくするために、非現実で極端な設例を用いている。

前提条件

金利ゼロ
経費ゼロ
保険契約者の変動なし
契約者は当初の想定どおりに死亡
保険期間中の金利変動なし
保険期間中の死亡率などの基礎率の変動なし


 モデル

保険期間

5年

保険契約者

500人

保険料(平準払い)

1,000万円(年0.4万円/1人)

死亡保険金(実際の見積り)

800万円(2人×400万円)

(5年目に2人死亡することを想定し、実際に5年目に想定どおり死亡)
(一方、保険料は5年目に2.5人死亡することを前提に算出していた)

当初認識(t0)

日本の収支相等の原則を適用した会計処理における当初測定は以下のようになる。

将来キャッシュ・イン・フローの見積り
  1,000万円

将来キャッシュ・アウト・フローの見積り
  1,000万円

両方を合計した履行キャッシュ・フロー
  0円

責任準備金繰入額
  0円

尚、責任準備金とは、保険会社が保険金を確実に支払うために、保険会社が保険料の中から積み立てるものである。責任準備金の金額は、将来保険会社が支払う保険金や給付金の予定額から将来保険会社が受け取る予定の保険料収入を差し引いて求められる。当初測定の段階では両者が同額であるため、責任準備金繰入は発生しない。したがい契約開始直後の当初認識としては会計上の認識はない。

初年度から第4年度まで(t1~t4)

 初年度(t1)

 

   保険料収入

200万円

   責任準備金繰入(P/L)

200万円

   純損益

0万円

   責任準備金残高(B/S)

200万円

   キャッシュ残高

200万円

初年度から第4年度までは死亡した人はおらず、保険金の支払いがなく保険料収入のみが入って来るので、保険料と同額の責任準備金繰入(P/L)が発生し純利益はゼロとなる。一方で責任準備金残高(B/S)は、受け取った保険料と同額が結果として残り、実際のキャッシュ入金額と一致する。これが4年間繰り返されるので、4年間合計では以下のとおりとなる。
 

 初年度から第4年度までの合計(t1~t4)

 

   保険料収入

800万円

   責任準備金繰入(P/L)

800万円

   純損益

0万円

   責任準備金残高(B/S)

800万円

   キャッシュ残高

800万円

第5年度(t5)

 第5年度(t5)

 

   保険料収入

200万円

   保険金支払い

800万円

   責任準備金取り崩し(P/L)

800万円

   純損益

200万円

   責任準備金残高(B/S)

0円

   キャッシュ残高

200万円

第5年度では、保険料は予定どおり200万円入金するが、保険契約者が2名死亡し、それぞれに400万円の保険金、合計800万円の保険金を支払う。これに伴って4年度末まで積み立てた責任準備金800万円は全額取り崩される。結果的に、第5年度では受け取った保険料の200万円がそのまま純損益となる。

初年度から第5年度までの全期間合計(t1~t5)

初年度から第5年度までの全期間の合計は以下の通りとなる。

 第5年度(t5)

 

   保険料収入

1,000万円

   保険金支払い

800万円

   責任準備金取り崩し(P/L)

±0万円

   純損益

200万円

   責任準備金残高(B/S)

0円

   キャッシュ残高

200万円

   負債残高

0円

結果的に5年間トータルでは1,000万円の保険料収入に対して保険金の支払いは800万円で利益が200万円となり、その金額はキャッシュ残高と一致する。このような会計処理は非常に分かり易く、かつ、検証もし易い。しかしながら上記の例で明らかなように、初年度から第4年度までの純損益はゼロであり、第5年度に利益が全額計上される形となっている。ただし、これが保険会社の期間損益を適正に表しているのかどうかは議論のあるところである。

IFRSの一般的な財務諸表との比較

このような日本の伝統的な会計処理をIFRSの一般的な財務諸表と比較してみよう。一般の企業で保険契約を保有している企業は、IFRS第15号「顧客との契約から生じる収益」やIAS第37号「引当金、偶発負債及び偶発資産」あるいは、IFRS第9号「金融商品」及びIAS第32号「金融商品:表示」などの会計基準を利用して保険契約の会計処理をするであろうということを前稿で紹介した。それぞれの基準における処理との比較をしてみる。
 

(1)収益認識基準(IFRS第15号)との比較

料収入はキャッシュの受取りに過ぎず、IFRS第15号の収益認識の原則である履行義務の充足ではない。一方で、保険のリスク負担機能、すなわち、stand readyのサービスを履行義務とみた場合に、便宜上保険料収入をその対価とみなして保険期間にわたって均等に認識していくことには一定の合理性がある。しかし、それはあくまでも保険料の支払いが均等払いであった場合のみであり、一時払いの場合には当てはまらない。また、均等払いであったとしても保険料収入全額をその期の収益とすることの合理性はない。
 

(2)引当金(IFRS第37号)との比較

責任準備金は、簡略的に言えば、将来保険会社が支払う保険金や給付金の予定額から将来保険会社が受け取る予定の保険料収入を差し引いて算出される。しかし、収支相当の原則に基づいてこれを積み立てた場合、前出の数値例では、保険契約の当初認識はゼロとなる。しかし実際に保険会社は営利ビジネスとして保険商品を設計しているので、将来保険会社が支払う保険金や給付金の予定額と将来保険会社が受け取る予定の保険料収入とは同額ではない。このため通常予測されるリスクに備えておく引当金としては、経営者の見積りを反映していない過剰計上となっていて、モデルに示したような経営者の見積りどおりの結果となった場合には、その差額が一気に実現する形となることがある。
 

(3)金融商品(IFRS第9号、IAS第32号)との比較

保険契約を金融商品として扱うのであれば、基本はIFRS第9号の分類と測定の原則に従って評価方法を決めなければならない。IFRS第9号での大原則は、その契約条件が元本及び元本残高に対する金利のみ(Solely payments of principal and interest=SPPI)によるキャッシュ・フローを生じさせるかどうかで判定し、その条件を満たさなければ、その金融商品は公正価値評価され、期間に生じた公正価値の差額は損益に計上される。しかし日本の伝統的な会計処理では保険契約債務を原則公正価値評価することはない。

このように、日本の伝統的な生命保険の会計処理は、IFRSの一般的な財務諸表における会計処理とは大きな乖離があることが分かる。これに対してIFRS第17号は、IFRSの一般的な財務諸表における会計処理との整合性を意識して基準設定されている。次の稿では、IFRS第17号ではどのような会計処理となるのかについて、上記と全く同じモデルを用いて比較してみる。

以上

本記事に関する留意事項

本記事は皆様への情報提供として一般的な情報を掲載するのみであり、その性質上、特定の個人や事業体に具体的に適用される個別の事情に対応するものではありません。また、本記事の作成または発行後に、関連する制度その他の適用の前提となる状況について、変動を生じる可能性もあります。個別の事案に適用するためには、当該時点で有効とされる内容により結論等を異にする可能性があることをご留意いただき、本記事の記載のみに依拠して意思決定・行動をされることなく、適用に関する具体的事案をもとに適切な専門家にご相談ください。

お役に立ちましたか?