堤はなるほどと思った。自分自身も含め、これまで人材開発グループで議論されていたのは、主に研修の話だった。しかし本部が挙げていたのは、研修という手段の巧拙ではなく、人材育成自体を、誰がどうやって進めていくのか、という中長期的な課題だった。大きすぎるテーマを見て頭を抱えた堤に、最上は助け舟を出した。
「堤さん、いっぺんにやろうとする必要はありません。まずは、チームを作らねばなりませんから、堤さんがご提案してくれたように分科会メンバーの関心も高い研修のテコ入れから始めましょう。ただし、先ほども申し上げた通り、“何をゴールに研修を行い、そのために、今のやり方から何を変えるべきか”を検討しましょう。五月雨式に個別研修の善しあしを追いかけていても、現状は変わりません」
人事施策を調和させよ~人事制度との連動~
最上は続けた。
「ヒントは本部意見のなかにあると思います。キャリア形成に関するコメントのなかに、“社員がどう成長するか、いつどこまで到達させるかを明確化すべき” “きちんと仕上げてから昇進させるべき”というものがありましたね。これはまさに、総合職の新人事制度が目指す方向性と一致しています。新人事制度では、“資質や能力のある人を上げていく”とうたっています。だから、資質や能力を見出し、伸ばし、見定めなくてはいけません。“主任なら全員部下指導ができる”というような、共通基盤を作っていきたいのです。そして、その基盤のできた人から、より上位の仕事にチャレンジしていく。この仕組みを動かすには、研修が人事制度と対になっている必要があるのです」
「なるほど。しかし、具体的にはどうやったらいいんでしょう?」
堤は最上に問いかけた。
「貴社は実質的に本部の判断で昇進が決まっており、“本当にその人が昇進すべき人材か”という観点で、人事が検証材料に基づいて横串で見る仕組みがなかったのです。その点、全社研修は強い武器になります。人材開発グループが、各階層に共通して求める能力やスキル・知識を定義し、研修という形で提供する。そして、受講者が研修で学んだことを実施しているか、必ずチェックする形にしてはどうでしょうか」
「なるほど、人材開発グループがきちんと定着度をチェックし、それを昇進要件にも絡めるということですね。製品の生産過程で必ず品質チェックを行いますが、それと似た考え方でしょうか」
最上は大きくうなずいた。
「品質チェック、まさにその通りです。全社共通のチェックポイントを通過し、本部でも“この人こそは”と判断された人が昇進する仕組みにしたいですね」
この仕組みは今後“チェックポイント制”と呼ばれていく。
最上との会話を経て、堤は研修を体系的に、かつゴール起点で刷新するための検討ステップを組み立てた。
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〈今年度の教育改革〉
ステップ1:「育成目標」の決定
ステップ2:育成目標を実現するために身につけるべき知識・スキルの特定
ステップ3:ステップ2を踏まえた、教育研修体系の設計
ステップ4:個々の研修カリキュラムの概要設計(チェックポイント判定方法の設計含む)
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分科会のキックオフ
そして分科会のキックオフ当日を迎えた。事前の打合せ通り、分科会の舵取り役は堤が務め、有田と最上は後方から見守る形とした。
「皆さん、お忙しいところお集まりいただきありがとうございます。皆さんもお聞き及びの通り、現在わが社では、有田さんがスポンサーになり、ビジネスパートナー活動や人事制度改革を始めとした、人事全体のパワーアップ活動が進んでいます。我々も人事の一員として、研修の企画・運営を中心に人材育成を担ってきましたが、なかなか思うようにできないことも多々あると思います。そこで今日は、日頃の研修運営を通じた皆さんの意見を伺いたいと思います。困っていること、本当はやりたいけどやれていないこと、何でも結構です。我々がいかにアピールできるかで、有田さんが我々をどれだけ助けてくれるかが決まりますから、ぜひ忌憚ないご意見をお願いします」
あくまで現場に目線を置いた堤のファシリテーションはうまくいった。これまで有田に直接意見を言う機会がなかったこともあり、活発な問題提起がなされた。
その多くは、最上が見込んだ通り、個別の研修改善や負荷軽減に関するものだったが、なかには少し違った観点の意見も得られた。
例えばある中堅の場合。
「私は1年目社員の課題解決研修を担当しています。そこでは“何ごとも、仕事をするうえではPDCAを回しなさい”と教えていますが、実は講師である人材開発グループ自体が、PDCAを徹底できていません。実際、その研修の受講後アンケートをまとめて次年度の改善策を考えなくてはいけないのですが、未着手です。お恥ずかしい限りですが……」
また別の中堅からは、こんなコメントも得られた。
「私は以前、生産本部の研修をサポートしたことがあるのですが、実によくできた仕組みを持っていました。若手のうちは1年ごと、中堅以上でも数年ごとに、習得すべき知識やスキルが一覧化されているんです。その一覧表に沿って、研修で習得できるもの、研修とOJTの組み合わせで習得できるもの、OJTメインのもの……というように、育成手段が決められているのです。これを全社展開できるといいなと思いました」
それは運用が大変だな……という空気がその場を支配しかけた矢先、入社2年目の若手がこんな意見を寄せた。
「確かに研修運営は大変ですけど、昇進したらこういう研修があるとか、もっと仕事を任せてもらうためにはこんな研修を受けると良いとか、そういうことを知りたい若手は多いと思います。先週、他社に就職した大学の同期と会ったのですが、しょっちゅう研修や発表会があって大変だとぼやきつつ、勉強も仕事もがんばっていると言っていました。負けられないって思います」
有田の目についたのは、中堅や若手の意欲の高さだ。分科会終了後、有田は堤にこう声をかけた。
「人材開発グループでのキャリアが比較的浅い中堅や若手の意志をうまく引き出していこう。今までのやり方に精通していない代わり、変えることへのハードルも低いからね。ただし、現在の研修の中核を担っている管理職層が置き去りにならないよう、気をつけるんだぞ」
最上は堤にいくつか助言した。
「有田さんのおっしゃる通り、これまでのキャリアや経験によって、温度差が少しありそうですね。研修は人事制度と異なり、数が多く実施時期も分散していますから、一気にすべて変えるのは難しいものです。ですから、数年間のロードマップを考えておくと良いですね(図表3)。このとき工夫したいのが、マイルストンの設定です。例えば、今年度作っていく教育研修体系を実際運用するのは来年度になりますが、今年度にも、何か目標を置きたいですね……」
図表3 教育改革の3ヵ年ロードマップ