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Industry Eye 第42回 ライフサイエンス業界

IoT&AI時代におけるライフサイエンス領域の知的財産戦略について

世の中のAI・IoT化の波は医療機器や製薬といったライフサイエンス分野にも押し寄せており、「デジタルヘルス」という一つのビジネス領域が確立されつつあります。ライフサイエンス企業にとってデジタルヘルスは新規領域であるがゆえに、マネタイズの難しさ、IT技術の新規開発や外部調達が必須である点など検討すべき課題があるといえます。今回は、当該領域において先進している米国企業の事例を中心に、デジタルヘルスにおける医療機器メーカーの取り組みやマネタイズ方法、特許出願動向を紹介します。

I.はじめに ~ライフサイエンス領域におけるIoT・AIの重要性~

ライフサイエンスにおけるIoTやAI、通称「デジタルヘルス」と呼ばれる領域が、今後の有望市場であるとして近年注目を集めている。グローバルでの市場規模は2020年に1000億USDを超えると予想されており、IT大国である米国を追いかける形で日本も技術開発や導入を徐々に進めている段階だ。

デジタルヘルスが注目される理由の一つとして、デバイスの小型化やスマートフォンの普及、通信・ソフトウェア・電子カルテ技術などの発達などによって、モノの販売以外でマネタイズを行う選択肢が広がっているという点が挙げられる。例えば今まで製薬会社は薬を販売することのみに注力してきたが、近年はBeyond the pills (薬の先にあるもの)をスローガンに、薬の販売を超えた新たな事業モデルの構築を進めようとする企業が出始めている。データビジネスにおける収益化や、予防・予後・診断・健康増進といった領域への事業拡大をすることによって、治療薬に頼る従来の事業体制を変えようとするものである。

今回は同分野におけるマネタイズに成功している例としてGEを、デジタルヘルスの特許出願に強い企業例としてSamsung、製薬企業のAI・IoT分野への進出例としてRocheの取り組みを紹介する。

II.GEの事例 ~ハードメーカーのサービス事業におけるマネタイズ~

GE(ゼネラル・エレクトリック・カンパニー)は世界最大規模の機器メーカーであり、医療機器の売上は世界第2位を誇る。主軸事業はハードの販売および保守であるが、一方で近年はAIと連携したサービス事業の収益化に成功しており、医療機器メーカーのデジタルヘルス領域への進出の良い例と言える。具体的には、自社において開発した機器故障予知AIシステム「Predix」を2013年に発表、これを自社医療機器と連携させることで、「Brilliant RaDi」および「機器稼働状況分析による医療機関の経営分析コンサルティング」などのサービスを提供し、そのサービスフィーを得ているのである。

Brilliant RaDiは、医療機関にあるGE製医療機器が取得したデータをクラウド上のPredixにて収集・AI解析することで、医療機器が故障しそうなタイミングを予知しアラートを出すサービスである。アラートを受けたGEは医療機関へとエンジニアを派遣し機器の修理対応を行うため、医療機関側はダウンタイムなしで機器を使用し続けることができるというメリットがあり、GEは付加価値の付与により機器を高価格にて販売できるとともに、ランニングにてサービスフィーを得ることができるという構造である。自社の機器が既に医療機関に広く導入されているという強みを生かして、ハードの販売・保守に留まらず、サービスによる収益化を達成した例と言える。

図表1 Brilliant RaDi サービス概要
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GEは2007年以降ソフトウェア関連企業や事業の買収を25件、出資を73件行っており、それに伴い特許も多数導入された。2015年に設立されたGE Digitalを中心としてソリューション関連の研究開発も行っているため近年では自社出願も増えており、現在ではGEの保有米国特許のうち10%はソフトウェア関連の技術である。ゆくゆくは医療データのプラットフォーマーとなるべく事業面・特許面の強化を行っている傾向が見られる。

III.Samsungの事例 ~デジタルヘルス領域における新規プレイヤーの脅威~

Samsung(サムスン電子)の基本事業はハードウェアの製造販売であるが、買収などを通じてさまざまな分野の技術導入を行っており、現在はデジタルヘルスに必要とされる多数の強みを併せ持っているコングロマリットへと成長していると言える。具体的には、①X線・CTなどの画像系を中心とした医療機器等の販売事業を広く行っている、②スマートフォンメーカー大手として多くのエンドユーザーへのアクセスがある、③スマートホームサービス「Smart Things」を提供しておりIoTのデバイス・データプラットフォームのノウハウがある、④2016年にFluenty、Viv Labという韓国のスタートアップAI企業2社を買収したほか2018年には自社AI事業強化のために220億ドルの投資を行うことを決定するなどAI領域に注力している、⑤2011年に米Quintiles社とSamsung Biologicsを設立するなど近年はバイオ医薬品事業に注力している、などの点が挙げられる。

Samsungがこれら全ての技術を連携させることでデジタルヘルス事業に近々本格参入するであろうことは、有力な仮説として考えられる。比較的最近の動きであるためまだ大々的なアウトプットには至っていないが、今後の動きに要注目である。

図表2 Samsung医療×IoT関連特許 出願数推移
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図表3 Samsung医療×AI関連特許 出願数推移
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SamsungにおけるIoT関連の特許出願が2012年以降急増していることからも、同社はIoTの技術開発に近年注力していることが見て取れる。近年の出願の中で特に目立つ技術は、①遠隔医療等向け映像処理・通信技術、②医療機器間での情報連携技術、③小型バイオセンサ、④スマートフォンと医療データを連携させたサービス、の4点である。このことから予測される仮説としては、Samsungは既存の医療機器販売網を生かした病院のスマート化サービスや、スマホや小型バイオセンサを用いたエンドユーザー向けのバイタルデータ収集サービスなどの領域への参入を狙っている可能性が考えられる。

一方AI技術についても、絶対的な件数はIoTと比較して少ないものの、2016年に急激に出願を行っている。これはAI企業2社を買収した年とも一致し、Samsungは2016年からAI事業に本格参入したとみなすことができる(なお上記はSamsungからの自社出願の件数であり、買収により獲得した特許は含まれない)。内容としては心電図等バイタルデータをもとに患者の心理健康状態や生死を推測するといった技術や、X線等医療画像の解析技術が中心である。このことから予測される仮説としては、Samsungは予防・予後管理などIoT技術を生かした領域への事業拡大や、自社の医療画像装置の処理技術向上による製品の高付加価値化などを狙っているということが考えられる。

いずれのアプローチにおいても、Samsungが既に有している医療機関・エンドユーザーへのアクセス力という地盤の上でのサービス展開となるため、参入障壁が非常に低いといえ、その点は大きなアドバンテージとなる。

もう一点Samsungについて特筆すべきは、積極的な買収による特許の強化である。例えば上記AI企業2社の買収により、Samsungはグローバルで約30件のAI関連特許を取得した。自社が強みを持たない領域については外部からの技術・特許調達で賄うというのがSamsungの基本方針であるが、この戦略は特にAIのようにベンチャー企業が多い領域においては非常に有効である。

IV.Rocheの事例 ~製薬企業のデジタルヘルス領域への進出~

医療機器だけではなく、製薬企業においてもAIやIoT技術の導入は徐々に進んでいる。特にAIを用いた疾病情報や論文情報の解析に基づいたターゲット化合物のスクリーニングプロセスの効率化や、IoTによる患者情報の管理分析による治験の効率化などは徐々に進んでいる。ただし製薬企業が自社でそれら技術を開発するという例はほぼ無く、またIT企業を製薬企業が買収したという例も非常に少ない。ほとんどがソフトウェア製品の導入のみか、共同研究などの提携までにとどまっている。

その中で、医療関連IT企業5社を買収したのが製薬会社Roche(エフ・ホフマン・ラ・ロシュ)である。2014年にBina社(遺伝子情報の収集分析)、2017年にViewics社(医療データの収集とビッグデータ解析)およびmySugr社(糖尿病患者向けバイタルデータ管理プラットフォーム)、2018年にFlatiron Health社(腫瘍関連の健康記録の収集分析)とFoundation Medicine社(がん遺伝子解析システム)を買収することで、医療データの解析技術を自社へと導入している。同時に2018年にはGEと提携を行い、がんの早期発見を目的としたデジタル診断システムの共同開発を開始するなど、提携ベースでの事業推進にも積極的である。これらのことからRoche社は、医療データビジネスやエンドユーザー向けサービスからの収益獲得にも積極的であると考えられ、Beyond the pillsの方針を買収により実現しようとしている例であると言える。

またこの買収によりRocheはゲノム解析技術関連特許などの権利も得ており、買収によってソリューション関連の特許強化も果たしていると考えられる。

V.おわりに

日系のライフサイエンス企業の間でデジタルヘルスへの興味が非常に高まっていることは、当社への依頼案件等の増加からも実感している。一方で各社ともなかなか本格的な事業化・特許出願には至っておらず、特に収益化には苦心しているように見受けられる。医療機器・製薬企業がデジタルヘルス領域に参入し成功するためには技術や提携ありきの戦略ではなく、マネタイズ方法を含めた出口戦略をしっかりと策定し、それに付随した形での技術開発や外部企業との提携を進めてゆくべきだと考える。

Rocheのようなライフサイエンス企業がデジタルヘルスへと事業拡大を行い、Samsungのようなコングロマリットがライフサイエンス分野に進出してゆくなどの例に見られるように、これから「ライフサイエンス」という領域の境界線は曖昧になってゆくことが予想される。その中においては視野を広げた思考が非常に重要であり、今までは競合と考えていなかった企業についても広く事業面・特許面での動向をウォッチしてゆくことが今後のデジタルヘルス界での成功には大切であると考える。


※本文中の意見や見解に関わる部分は私見であることをお断りする。


出所:
各社プレスリリース、ウェブサイト、公開資料、各種ニュースサイト、特許データベース(Patentsquare, USPTO等)


執筆者

デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社
知的財産グループ 
アナリスト 福田 彩

(2018.12.14)
※上記の社名・役職・内容等は、掲載日時点のものとなります。

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