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Walk Don’t Run?:米ドルLIBOR公表停止時期延期

リスクインテリジェンス メールマガジン vol.65

リスクの概観(トレンド&トピックス)

有限責任監査法人トーマツ
リスク管理戦略センター
ディレクター
勝藤 史郎
 

LIBOR移行にかかるサプライズがあった。2020年11月30日、LIBOR公表元である米国インターコンチネンタル取引所(ICE)は、LIBORの公表停止時期についての市中協議開始の意向を表明した。表明の中でICEは、英ポンド、ユーロ、スイスフラン、及び日本円のLIBORの公表を、2021年12月31日を最後に停止にするとした。しかしながら、米ドルLIBORについてはこれを2023年6月30日まで公表継続するとした(一部テナー=期間=を除く)。英イングランド銀行(BOE)によるLIBORへの法的サポートが終了する2021年末を事実上のLIBOR移行期限と想定していた市場参加者にとって、これは大きな前提の変更となる。

ICEによる米ドルLIBOR公表停止期限延期は、取引量の多い米ドルLIBOR参照商品のうち特に「レガシー」と呼ばれる2021年末越え期日の取引のリスク・フリー・レート(RFR)への移行に猶予を与える。またこの方針は、英米の中央銀行や、米国NY連銀傘下の民間LIBOR移行推進団体である代替参照金利委員会(ARRC)等との連携に基づき決定されたと推測される。FRBはICEの表明を受けて同日、米国通貨監督庁(OCC)、同連邦預金保険公社(FDIC)と連名で声明を公表した。同声明でFRBらは「米ドルLIBORの一部テナーの公表を2023年6月30日まで延長するのは、レガシーLIBOR取引の期日到来に猶予を与えるため」と述べている。これは2023年6月末までに満期を迎える米ドルLIBOR取引について期日到来までRFRへの移行を見送ることで、LIBOR移行作業そのものに伴うリスクを軽減しようとする意図と読める。一方で「米ドルLIBOR参照の新規取引は2021年12月31日までの可能な限り早期に停止することを金融機関に求める」とも述べており、あくまで移行見送りは既存のLIBOR参照取引への配慮であることを示唆している。更にFRBらは「2021年12月31日以降の米ドルLIBOR取引」は「(既存取引に係る)顧客サポートの為のマーケットメイキング」「(既存の)LIBORエクスポージャーに対するヘッジ」などの「限定的な場合にとどまると考える」とも述べている。米ドルLIBOR公表停止期限延期の趣旨は、①あくまで既存取引を対象に期日到来を待つことによるLIBOR取引消滅を許容したものであること、②米ドルLIBOR新規取引は原則2021年内に停止することで、LIBORからRFRへの移行を促す姿勢は不変であること、が読み取れる。なお、BOEも同日の声明で、BOEのLIBOR取引禁止権限(英国議会での法案成立が前提)の行使においては「米国での措置と最大限の連携を考慮する」と述べた。

市場参加者として、米ドルLIBOR公表期限延期に鑑み、従前のLIBOR移行戦略を変更すべきか否かの判断には慎重な検討を要する。まず、米ドルLIBOR参照のレガシー取引を2021年末以降期日到来までRFRに移行せず放置することのメリットは相応にある。2021年末に一斉実施予定だった大量のフォールバック事務や関連システム開発の負荷軽減、またフォールバックそのものに内在するリスク(事務リスク、価値移転に伴う財務リスク)の軽減が可能になることである。ただし、デメリットも考えられる。2021年以降の米ドル参照新規取引がFRBの期待通りに一部の取引に限定されると、米ドルLIBOR商品の市場流動性が大幅低下し、保有する米ドルLIBOR資産の金利リスクヘッジが困難になる可能性がある。次に、2021年以降のLIBOR保有リスク回避のために2023年6月以前にLIBORからRFRに移行する場合は、取引相手との個別交渉が必要となる。フォールバックに伴うリスクと事務負荷はフォールバック条項発動によるそれよりも増大する可能性がある(ISDAのデリバティブ・フォールバック条項は公表恒久停止日の翌日に効力を発するとされており、公表停止前のフォールバックには個別同意が必要)。かかるメリット、デメリットは各金融機関のLIBOR参照商品の種類やエクスポージャー額により異なる。各金融機関は自社の保有するLIBOR商品ポートフォリオ特性とリスクを十分に分析したうえで、米ドルLIBOR取引の移行戦略を決定するべきであろう。

市中金融機関のLIBORからリスク・フリー・レート(RFR)への移行作業は必ずしも順調とは言えず、残り1年での完全移行の実現可能性には一部から疑問も呈されていた。米ドルLIBOR公表停止時期延期を、移行作業に余裕をもたらす朗報と受け止める向きもある。もっとも、米国ARRCでは、現在2021年内としている米ドルLIBOR新規取引期限の延長の是非について、今後議論を重ねたうえで慎重に決定する模様だ。LIBOR移行を急ぐあまりフォールバックが一時期に集中するよりも、時間をかけて期日到来を待つほうが結果的に円滑なLIBOR移行を可能とし、システミックリスクを回避できるとの考え方は首肯し得る。一方で、すでに指摘したように2022年以降の米ドルLIBOR取引の市場流動性には不確実性が高い。取引が細ればヘッジリスクが拡大、取引が従前通り活発に行われれば、実態的に米ドルのLIBOR移行のリスクが1年半先延ばしになっただけとの結果になりかねない。「急ぐか回るか」の判断は個別金融機関においてのみならず、市場全体の状況にも鑑みた慣行を醸成することも必要であろう。

執筆者

勝藤 史郎/Shiro Katsufuji
有限責任監査法人トーマツ ディレクター

リスク管理戦略センターのディレクターとして、ストレス関連情報提供、マクロ経済シナリオ、国際金融規制、リスクアペタイトフレームワーク関連アドバイザリーなどを広く提供する。2011年から約6年半、大手銀行持株会社のリスク統括部署で総合リスク管理、RAF構築、国際金融規制戦略を担当、バーゼルIII規制見直しに関する当局協議や社内管理体制構築やシステム開発を推進。2004年から約6年間は、同銀行ニューヨー...さらに見る

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