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核酸医薬・遺伝子治療における知的財産戦略

次世代モダリティにおける知財出願動向とリスク対応の必要性

次世代モダリティと呼ばれる遺伝子治療や核酸医薬の領域では、低分子とは全く異なる知的財産戦略が必要とされる。次世代モダリティ領域は現在どのような事業/知財環境にあるのか、またそこに進出しようとする製薬企業はどのように知的財産戦略や他社からの知財リスク対応に取り組むべきか、具体的な事例を交えて紹介する。

I. 次世代モダリティ市場の成長と大手企業の参入

近年、製薬業界において次世代モダリティと呼ばれる核酸医薬・遺伝子治療・再生医療技術の成長が著しい。

かつて製薬業界においては薬=低分子治療薬という図式であったが、2000年頃からはより選択的な治療薬である抗体医薬が多く用いられるようになった。そして2010年頃以降には核酸医薬や遺伝子治療薬の承認が徐々に進むようになり、疾患を対処療法的に治療するのではなく、原因となる遺伝子レベルで治療するという手法が普及しつつある。

次世代モダリティの市場は現在6,000億円程であるが、今後は遺伝子治療と再生医療を中心として、年平均成長率(CAGR)60%超の急激な速度で市場は成長してゆくものとみられている。実際、現時点で承認済の遺伝子治療薬は限定的であるが、治験段階のパイプラインは米国だけで約250あり、近いうちに治療薬の承認が相次ぐであろう。

図1 次世代モダリティの市場規模予測(グローバル)
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図2 モダリティ別 承認済・臨床試験中パイプライン数
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このような状況に伴い、関連する特許出願も増加している。核酸医薬では2013年頃から、遺伝子治療はそれに少し遅れる形でおよそ2016年頃より特許出願の増加がみられる。

それらの特許出願はIonis、Alnylam、Regeneronといった、核酸医薬や遺伝子治療に特化した企業たちがトップを占めている点が特徴である。特許出願の上位企業の中に、いわゆる低分子や抗体医薬において有名な既存の大手製薬企業の名前は見られない。低分子医薬と次世代モダリティ、あるいは次世代モダリティの中でも核酸医薬と遺伝子治療では、必要とされるナレッジや技術が大きく異なる。そのため既存の大手製薬企業は、核酸医薬や遺伝子治療において中心的地位を確保できていないのが現状である。

図3 核酸医薬 出願件数推移
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図4 核酸医薬 上位出願人
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図5 遺伝子治療 出願件数推移
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図6 遺伝子治療 上位出願人
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この状況を受けて大手製薬企業各社は近年、急ピッチで次世代モダリティ領域への参入を進めている。

参入の方法として主流なのは企業買収である。武田薬品工業のShire買収やBristol MyersのCelgene買収に代表されるように、遺伝子治療を中心とした大型の買収案件が近年続いている。

図7 プレイヤーマップ(モダリティ×疾患領域)
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また買収のほかに、他社からある程度臨床試験が進んだパイプラインをライセンスインするというアプローチも頻繁に行われている。この場合ライセンシー側は、技術的にある程度確立されたパイプラインを他社から導入できるため、次世代モダリティの技術自体にはナレッジや実績が浅い場合でも比較的低リスクで参入が可能であるという利点がある。一方で、低分子や抗体医薬を通じて培ってきた疾患特化型の知識や病院とのリレーション・販路を生かすことで、臨床試験の実施や薬の販売を行うという形でバリューを発揮するものである。

なお次世代モダリティ領域において治療技術を完成させるためには、疾患に直接的に作用する目的遺伝子の部分だけではなく、その運び手となるウイルスやプラスミドなどのベクター、遺伝子の発現を補助するプロモーター、薬剤を安定的かつ組織選択的に運ぶための技術であるドラッグデリバリーシステム(DDS)、あるいは薬剤の調整を行うための細胞やウイルスの培養方法のように、特定の疾患だけに限らず汎用的に使用される基盤技術も活用することが必要となる。どの製薬企業においても共通ではあるが新規参入の企業の場合は特に、そうした基盤技術は外部企業からの製品購入や製造委託にて賄う必要がある。このように、製薬企業が次世代モダリティ領域に参入し事業を行ってゆくためには、外部企業との提携が重要となる。

II. 次世代モダリティ事業における知財部の役割

こうした環境の中で、製薬企業の知的財産部が果たすべき役割として、下記3点が重要であると考える。

(1) 出願戦略の構築

低分子医薬品は保護すべき対象となる技術が非常に明確であり、ひとつの基本特許のみで一つの製品・事業を全て保護しているというケースも多く見られる領域であった。一方で例えば遺伝子治療の場合、有効成分にあたる目的遺伝子の配列のみ押さええていれば技術が網羅的に保護されている状況とはならず、より多面的な特許出願が必要となる。遺伝子治療薬を製品として完成をさせるためには上述した通り、目的遺伝子に加えベクター、プロモーター、場合によってはDDSなど複数の構成要素が必要となるほか、製造において細胞やウイルスの培養技術も関連するものであり、これらを特徴とする場合は当然それらの特許出願も行う必要がある。また遺伝子治療の場合は低分子薬に比べ、製品が完成してから実際に治療が行われるまでの工程にも、様々な技術的特徴が伴いうる。例えば製剤の劣化を防ぐための輸送や保存に関する方法や、医師から患者に投与をする際の方法などである。これらを加味した多面的な特許出願が重要であること、そして必然的に製品ひとつを保護するための特許出願にかける費用が低分子に比べて大きくなること認識する必要がある。

図8 遺伝子治療における関連技術の概念図
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(2) 知財リスク対応

次世代モダリティの領域において、大手製薬企業がもつ知財ポートフォリオは決して強いものではなく、必然的に他社の特許により訴訟やライセンス交渉を受ける知財リスクが高いといえる。そのため製薬企業は、綿密な知財リスク対応が必要と考えられる。

特に次世代モダリティの特徴としては前述したとおり、有効成分にかかる技術だけではなく、細胞培養方法、ベクター、プロモーター、DDSといった、疾患に限定をされない様々な基盤技術が関連するという点が挙げられる。そのため、同じ疾患の薬に強みを有する明らかな市場上の競合製薬企業だけではなく、一見して利害関係がなさそうな、他の疾患領域に注力をしている製薬企業や基盤技術のみを専門とする企業も技術上のオーバーラップが頻繁に起こりうるため、それら企業の知財リスクを評価・対策する必要がある。

実際、近年すでに核酸医薬や遺伝子治療に関する訴訟が活発化してきている。またその特徴としては、基盤技術を有する企業が、同レイヤーの事業者を相手取るのではなく、基盤技術の使用者でありバリューチェーンの最下流に位置する企業である製薬企業を相手に訴訟を行っているということが挙げられる。

図9 訴訟事例
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具体例をあげると、2019年に細胞培養装置メーカーであるWilson Wolf社は、核酸医薬・遺伝子治療薬のメーカーであるSareptaに対して、細胞培養装置に関する特許出願をもとに侵害訴訟を行った。Sarepta社は細胞培養装置を自社で製造していた訳ではなく、Wilson Wolfではない企業より装置を購入し、それを用いて医薬品の製造を行っていたという立場である。しかしながらWilson wolfは細胞培養装置メーカーではなく、より大きな損害賠償金の獲得を見込むことができるSarepta社を訴訟相手として選択したのである。これと類似の例として、ベクターに関する特許や、核酸の保存方法に関する特許を用いた侵害訴訟なども見られる。

製薬企業はバリューチェーン上において最も知財訴訟を受けるリスクが高い立場の企業であることを認識し、基盤技術や製造・流通にかかる幅広な技術・企業について知財リスク対応を行ってゆく必要があることに留意すべきである。

知財リスクの対応としては、まず同じ疾患慮域の同業者だけではなく、幅広の技術/プレイヤーについてクリアランス調査を実施することがあげられる。その際には、どのような企業が自社にとっての知財リスクが高い企業となるのかの整理・見極めが、困難かつ重要な点となる。

また、外部のベンダーより原料や製造機器の調達を行う場合は、調達した製品の使用について製薬会社が第三者より特許侵害訴訟を受けた場合でも、その損害賠償支払いについては製薬会社が負うのではなく原料や製造機器のベンダーに負ってもらえるよう、ベンダーとの契約に特許補償を盛り込んでおくことがリスク低減策となる。調達などを含む第三者との契約の社内レビュー工程について、知財部がコミットできるような社内体制を構築することも検討すべきである。

(3) アライアンスへの貢献

次世代モダリティ領域では、前述の通り製品を完成させるにために複数の構成要素/技術が必要となるという経緯から、一部の構成要素について外部調達や製造委託を行うようなアライアンス機会が生じやすいといえる。

その際には当然、優れた技術を有し、かつそれが知的財産にて適切に保護をされている企業と提携することが重要となるため、特許情報を起点として有望企業を探索し、知的財産部から事業部やアライアンス部門にインプットを行ってゆくということが、社内における知財部の貢献としては有効であると考えらえる。

その他には、アライアンス時にスムーズかつ適切な対応を行うため、アライアンス契約における知財の取り扱いについて、常日頃より知財部としてある程度のポリシー・ガイドラインを定めておく必要があると考えられる。またアライアンスの範疇として、共同開発のような大きなものに限らず、前述したとおりベンダー契約のような比較的小規模の契約でも知財の取り扱いは重要になってくるため、幅広の契約について知的財産部がレビューに関与できるよう社内体制を整える必要があると考えられる。

III. まとめ

次世代モダリティの市場は、今後急激に成長してゆくと考えられている。しかしながら現状特許出願を牽引しているのは、低分子の大手製薬企業とは異なるメーカーであり、大手製薬企業はそれに遅れる形で、買収やパイプラインのライセンスインを通じて次世代モダリティ領域へと事業参入を進めている。

低分子領域と次世代モダリティ領域では、必要とされる知財戦略は大きく異なる。複数の特許/技術から多面的に製品を保護する出願戦略が必要であるということ、疾患を限定しない基盤技術による訴訟リスクを含めて幅広なクリアランス調査とリスク対策をとってゆく必要があるということ、事業上必要となる様々なアライアンスに対して知財からの貢献を検討すべきであるという点を重要ポイントとして、製薬企業の知的財産部は今後、次世代モダリティにあわせた知財戦略を立案してゆくことが重要である。

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