Deloitte Insights

水平線の向こうへ

今後の展望

企業の関心は、「最新のトレンドは何か」から「次に来る波は何か」という視点に移っている。当然のことではあるが、最新事情を理解することで早期の計画が可能になり、将来の収益源の芽を刈り取る関係性を先んじて作り出すことができる。

日本のコンサルタントの見解

日本企業とイノベーション

「水平線の向こうへ」と題した本編では、現時点では実現可能性が不透明な技術を含む、未来に対する取り組みについて触れている。これは、18~24ヶ月程度の近未来について述べている前編までとは大きく異なっており、本編では個々の技術の有用性や具体的な活用シーンではなく、今後も現れ続ける新技術に対する企業・組織のスタンスが議論の対象となっている。

水平線の向こうへ(日本版)【PDF, 1.3MB】

新技術の活用による価値創造というテーマは、いわゆる「イノベーション創出」といわれている分野である。今日では、GoogleやAmazonといった事例を引用するまでもなく、テクノロジーによるイノベーションが企業にとって重要なテーマである点は強く認識されている。デジタルディスラプション(テクノロジーによる既存市場の破壊)という言葉も飛び交い、またその実例ともいえる変化が現実に表れてきており、企業の存続すら左右するトピックとして危機感を持って捉えられているといって差し支えないだろう。

日本においても、イノベーションを掲げた取り組みに早期から着手している企業は少なくない。2019年2月に経団連が発表した「Society 5.0 実現に向けたベンチャー・エコシステムの進化[1]」においても、国内先進企業における複数の事例が取り上げられている。

このような先進的な事例がある一方、イノベーションに関する取り組みを上手く進めることができていない日本企業も多い。あるいは、取り組み自体は始めていても、一過性で小規模な活動になっていたり、本業とはさほど脈絡の無い活動に終始してしまっていたりと、コントロールに苦慮している企業も少なくない。WIPO(世界知的所有権機関)では、各国経済のイノベーション能力とその成果をランキングした指標としてGlobal Innovation Indexを公表している[2]。2019年のランキングにおいて日本は前回の13位から15位に順位を落としている。また、アジアに限って見ても、シンガポール、韓国、香港、中国に続く5位となっている。

下図は、デロイト トーマツ グループがCIOに対して実施したアンケートにおいて、グローバルと日本のIT予算構成を比較したものである[3]。将来におけるビジネスイノベーション分野の投資予算について、日本企業が23%程度の構成を想定していることに対し、世界のデジタル先駆者は33%であり、世界の平均的な組織の26%と比べても低いレベルに留まっている。つまり、日本企業におけるイノベーションへの取り組みは、単に制度やカルチャーの問題だけではなく、投資という面においても世界と比べて十分ではない、ということが見て取れる。

図1 デジタル先駆者、平均的な組織および日本におけるIT予算構成比
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イノベーションへの取り組みは、どうしても不確実性を伴うものである。そのため、品質や正確性が最大の競争力となっていた日本企業から見ると、不安を覚える部分があることは無理もないように思える。しかしながら、イノベーションへの取り組みは時代の要請として必要不可欠なものになりつつある。そこで、イノベーションに対する科学的なアプローチの研究が進められてきた。

イノベーションの標準化に向けた取り組み

イノベーションとは本来的に不確実なものであり、統制が難しいものであることは日本固有の問題ではない。そこで、ISOにおいてイノベーション・マネジメントシステムの設計が行われ、2019年7月に「ISO 56002:Innovation Management System - Guidance」として国際規格が発行された[4]。上記の世界的な動きに対応する形で、日本においても経産省が2019年10月に「日本企業における価値創造マネジメントに関する行動指針」を発行した[5]。

図2 ISO56002構造概念図
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国内の各大手企業における事例や経営者の声が集められた、充実した内容となっている。このレポートにおいて、イノベーション創出に向けた12の推奨行動が取り上げられているため、参考としてここで紹介しておきたい。

「日本企業における価値創造マネジメントに関する行動指針」12の推奨行動

① 存在意義に基づき、実現したい未来価値を構想・定義し、価値創造戦略をつくり、社内外に発信する

② 自社の理念・歴史を振り返り、差し迫る危機と未来を見据え、自社の存在意義を問い直す

③ 経営者自らが、戦略に基づき、情熱のある役員と社員を抜擢し、常に、守護神として現場を鼓舞し、活動を推進する

④ 既存事業の推進と同時に、不確実な未来の中から、事業機会を探索・特定し、短期的には経済合理性が見えなくても、挑戦すべき新規事業に本気で取り組む

⑤ 資金・人材等のリソース投入プロセスを、既存事業と切り分け、スピード感のある試行錯誤を実現する【意思決定プロセス・支援体制】

⑥ 経営状況に関わらず価値創造活動に一定の予算枠を確保し、責任者に決裁権限を付与する【財源・執行権限】

⑦ 価値創造にむけ、社内事業開発と社外連携を通じて試行錯誤を加速する仕組を設ける

⑧ 価値創造活動においては、自由な探索活動を奨励・黙認すると共に、リスクを取り、挑戦した人間を評価する仕組みを装備する【人材・働き方】

⑨ 価値創造活動においては、小さく早く失敗し、挑戦の経験値を増やしながら、組織文化の変革に取り組む【組織経験】

⑩ スタートアップとの協創、社内起業家制度の導入等により、創業者精神を社内に育む【組織文化】

⑪ スタートアップや投資家に対して、価値創造活動を発信し、自組織の活動を支える生態系を構築する

⑫ 経営者が価値創造活動を見える化(文書化)し、組織として反芻(はんすう)し、活動全体を進化させ続ける

これらは、イノベーション創出への取り組みをこれから進めていく企業にとって、重要な示唆になると思われる。さらに、実務上の観点から特に重要と思われる3点について補足しておきたい。

⑥ 経営状況に関わらず価値創造活動に一定の予算枠を確保し、責任者に決裁権限を付与する

イノベーション活動であっても案件投資に稟議を通す必要があり、社内説明資料の作成に多くの時間を要する結果、タイミングを逸してしまう、ということは残念ながら良く聞く話である。しかし、投資時点で明確なメリットがあると見えているなら、それはすでにさほどイノベーティブではないともいえる。案件自体の審査に時間を掛けるより、決済権限を一任する責任者の人選に時間を掛けるべきであろう。

⑧ 価値創造活動においては、自由な探索活動を奨励・黙認すると共に、リスクを取り、挑戦した人間を評価する仕組を装備する

価値創造活動を奨励しておきながら失敗を許さない風土がある、というのは明白な矛盾であるが、実際には発生していることも多い。これは、単なるカルチャーの問題ではなく、制度の不備に起因する問題であると捉えるべきであろう。イノベーション活動を適切に推進していくためには、挑戦すること自体の定量化と、それを評価する仕組みの整備を行っていくことが重要である。

⑫ 経営者が価値創造活動を見える化(文書化)し、組織として反芻(はんすう)し、活動全体を進化させ続ける

イノベーションに関する活動は、その特性からどうしても属人的になり易いという側面がある。そのため、特に経営者や推進責任者が代わった場合に活動継続が困難になるケースが多い。イノベーションに関する活動を文書化することは、その時点においてはあまり大きな意義を感じないかもしれないが、組織としての取り組みの継続性という観点では非常に重要な活動といえる。

方法論だけですべてが解決できる訳ではないが、このような指針があれば、イノベーションを進めていくための重要な手がかりとなることは間違いないだろう。

最後に:伝統文化とイノベーション

『ウイスキーでもそうだが、良い酒をつくるためには、規模や設備では解決できないものがある。熟成をじっくり辛抱して待つ精神や気質がないと、決してよいものはできないというのが私の信念のひとつである。』竹鶴 政孝

ウイスキーは蒸留後に樽熟成を経て市場に出荷されるが、その熟成期間は約10年、長いものでは20年になるものもある。つまり、今市場に出ているウイスキーは20年前に作られた、いわば先人の遺産ともいえるものであり、現在作られているウイスキーは、これから20年後の後世で花開く贈り物であるともいえる。そんな歴史に思いを馳せながら楽しむのも、ウイスキーの醍醐味の一つといえるだろう。

イノベーションも、数年のスパンですぐに結果が出ると約束されているものではない。現在のCxOから見ると、自身の在任中には成果が出ない可能性すらある。しかし、今ある技術も見方を変えれば20年前の先人の遺産であるといえる。では今から20年後の未来に何を遺すべきか、という視点で見ると、イノベーションに対する捉え方も変わってくるのではないだろうか。

これは、基礎研究の分野では以前からあった考え方であるが、ついにデジタルの世界においてもこのような視点が必要になってきたともいえる。しかし、基礎研究分野における日本のノーベル賞実績がアジア諸国では突出していることが物語っているように、継続性と伝統を重んじ、世代を超えて後世に伝えていくという、本来の日本的文化の強みが最大限に活かせる部分であるともいえるだろう。

前述の標準規格を始めとして、イノベーションを体系的に推進できる土台はすでに整っている。企業の先進性を維持し続け、後世に歴史を繋いでいくためにも、多くの日本企業が積極的にイノベーションに取り組まれることを願ってやまない。
 

参考文献

1. Society 5.0 実現に向けたベンチャー・エコシステムの進化
https://www.keidanren.or.jp/policy/2019/012.html
2. WIPO Global Innovation Index 2019
https://www.wipo.int/global_innovation_index/en/2019/
3. 2018 Global CIO Survey(日本版)
https://www2.deloitte.com/jp/ja/pages/technology/articles/tsa/cio-survey.html
4. ISO 56002:2019 Innovation management ― Innovation management system ― Guidance
https://www.iso.org/standard/68221.html
5. 経済産業省「日本企業における価値創造マネジメントに関する行動指針」
https://www.meti.go.jp/press/2019/10/20191004003/20191004003-1.pdf

執筆者

森永 直樹 シニアマネジャー

IT系コンサルティング会社を経て現職。IT戦略立案、全社システム改革など多数の大規模プロジェクトに従事。システムアーキテクトとしての豊富な経験に基き、実行性の高いIT戦略立案やシステム構想策定、クラウドマイグレーション戦略策定に強みを持つ。

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