デロイト トーマツ サイバー 上原 茂が訊く 日本での自動運転の社会実装はいつになる?【前編】 ブックマークが追加されました
各分野の専門家をお招きし、自動運転がもたらす未来や企業に求められる対応を語り合う本連載。今回はいよいよ、自動運転の社会実装を真正面から議論します。
ガスや水道、電気は言うまでもなく私たちの日常生活を支える社会基盤として深く根付いています。同様にインターネットを利用したさまざまなサービスも、高齢者を含めたすべての人が利用するようになり、今後、社会基盤と呼べるようになるでしょう。昨今注目度を増す自動運転技術を使用したサービスも、将来的に国民生活を支え、社会を円滑に機能させる基盤になることが期待されます。
こうした環境を実現するには、行政府や民間企業が一丸となり、道路や通信インフラなどの対応はもちろん、法や安全管理の仕組み構築などの制度や規制を整備する必要があります。今回は、多数の政府系自動運転プロジェクトを長年けん引してきた葛巻清吾氏をお迎えし、自動運転の社会実装に向けた動向をさまざまな角度から議論します。
(2024年4月4日収録。各登場者の肩書は当時のものです)
【登場者】
・株式会社サムズオフィス代表取締役社長
葛巻 清吾 氏
京都大学工学部航空工学専攻・修士課程修了。1985年にトヨタ自動車入社。2003年より車両技術開発部の車両安全機能主査として技術企画と技術開発を担当。2014年からSIP「自動走行システム」(SIP-adus)プログラムのサブプログラム・ディレクターを務めた後、2016年にプログラム・ディレクターに任命され、その後7年間プロジェクトを推進。2023年に同社退職後にサムズオフィスを設立し、自動車関係の技術戦略の策定・研究開発プロジェクトの支援などを行っている。
・デロイト トーマツ サイバー合同会社 シニアフェロー
上原 茂
長年、国内大手自動車メーカーに勤務。国内OEMで電子制御システム、車両内LANなどの開発設計および実験評価業務に従事したほか、近年は一般社団法人 J-Auto-ISACの立ち上げや内閣府の戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)adus Cybersecurityの研究リーダーを務めるなど、日本の自動車業界におけるサイバーセキュリティ情報共有の枠組みを構築。欧州駐在経験もあり、欧州自動車業界の動向などへの理解が深い。
(以下、敬称略)
上原:葛巻さんは、経済産業省の「RoAD to the L4」プロジェクト*1で推進委員を務められているほか、国土交通省の「中小企業イノベーション創出推進事業」*2で自動運転車両の社会実装プロジェクトのリーダーを務めていらっしゃいます。まず、「RoAD to the L4」と中小企業イノベーション創出推進事業の自動運転技術実証について、どのような取り組みを実施しているのか教えてください。
葛巻:「RoAD to the L4」は経済産業省の自動車課が推進しているプロジェクトで、「無人自動運転サービスの実現及び普及」「IoTやAIを活用した新しいモビリティサービス(MaaS)の普及」「人材の確保・育成」「社会受容性の醸成」の4つのテーマを設け、公道での地域限定型の無人自動運転移動サービスの実現に向けて活動しています。中小企業イノベーション創出推進事業の自動運転技術実証は、国土交通省の物流・自動車局が推進しています。これは「Small Business Innovation Research(SBIR)」と呼ばれる制度で、自動運転だけでなく、さまざまな分野のイノベーションを起こすベンチャー企業を支援するものです。SBIRでも自動運転のベンチャー企業の開発および社会実装をサポートしつつ、安全性評価手法の構築に取り組んでいます。
上原:もう一つ、葛巻さんはイノベーションを後押しする国家プロジェクト「戦略的イノベーション創造プログラム(Cross-Ministerial Strategic Innovation Promotion Program : SIP)」*3のリーダーでもありましたね。
葛巻:はい。SIPは内閣府が主導する、省庁の枠を超えた研究開発を推進する国家プロジェクトです。自動走行システム、サイバーセキュリティ、革新的深海資源調査技術など、さまざまな分野で研究開発が進められています。2014年度から始まり、これまでに第1期(2014~2018年度)と第2期(2018~2022年度)が実施され、現在は第3期です。私は3年目(2016年)からプログラム・ディレクターを務めました。上原さんには、SIP第2期にサイバーセキュリティに関するテーマのリーダーになっていただき、侵入検知システム(IDS)の評価法構築などにご尽力いただきましたね。
上原:今、ご説明いただいたプロジェクトを含め、葛巻さんはこれまで数々の国家プロジェクトで重要な役割を担われてきました。その立場からご覧になって、日本における自動運転の社会実装は目前だとお考えですか。
葛巻:いきなり直球の質問ですね(笑)。上原さんは懐疑的ですか。
上原:米国・サンフランシスコや中国・北京ではすでに自動運転タクシーが営業運行しています。日本でも首都圏で2026年ごろを目標に、自動運転タクシーの実現を目指していることは承知しています。しかし、現実問題として狭い道が入り組んでいる日本の道路事情を考えると「上手くいくのかな?」と考えてしまうのです。
実は先日、ある自治体が実運用に近い形で実証実験している自動運転バスに試乗しました。その時の感想は「とても目前とは言い難い」でした。信号機のある比較的大きな交差点では、路車間通信による完全自動での停止・右左折・発進はできました。しかし、信号機のない交差点や横断歩道での歩行者対応などは、同乗するオペレーターが発進・停止をスイッチで操作していました。要するに「レベル2(部分的な自動化)」の運行です。
葛巻:私は中国のことは詳しく知りませんが、1つ言えるのは「米国と日本では自動運転の実用化に対するアプローチがまったく違う」ということです。
米国はコモンローに基づく自己認証制度のうえに成り立っています。これは「新技術はまず世の中に出して、その後に問題があれば法律で規制していく」というアプローチです。一方、日本は型式認証制度です。「新技術を出す前に評価法を考え、それをクリアしたものが認証されて世の中に出ていく」というアプローチですね。つまり、米国は「まずは世の中に出して、後から法整備する」。一方、日本は「法整備をしっかりしてから世の中に出す」という違いがあります。
米国では、「レベル4」(一定条件下において自動運転システムがすべての運転操作を行う)のロボタクシーのサービスが開始されましたが、渋滞を引き起こしたり緊急車両の妨げになったりすることが多発し、消防や住民からの苦情も多いと聞きます。ですから、法整備はこれから進むことになるでしょう。ロボタクシー車両が襲撃されるという事件も発生しています。社会受容性の醸成もこれからが正念場だと思います。
一方、日本は何事も「安全第一」です。そのため導入までの歩みは遅いですが、同時並行で法整備や社会受容性の醸成を進めています。地方の移動手段確保など、社会的なニーズが高いこともあり、国はドライバー不足の解決策として自動運転に期待し、かなりの投資をしています。安全に対して厳しい日本ですから「目前」とまでは言い切れないのが正直なところですが、法整備と技術開発は着実に進んでいます。
葛巻 清吾氏(株式会社サムズオフィス代表取締役社長)
上原:今、話に出た「社会受容性」について伺わせてください。葛巻さんは、SIP-adusのプログラム・ディレクターとしても、自動運転の社会受容性確保に取り組んでいらっしゃいました。どのような内容だったのでしょうか。
葛巻:社会受容性の醸成は自動運転普及を実現するうえでもっともハードルが高く、時間がかかります。その理由は「自動運転車が身近になく、よく分からない」からです。
私はこれまで、過疎地域で住民を集めてディスカッションをしたり、メディアを集めて試乗会を開いたり、若者向けにウェブで発信したりと、さまざまな活動を行ってきました。しかし自動運転車そのものが無いので、議論の論点が定まらないのですね。むしろ踏み間違いによる事故多発問題に関心が集まり、その対策として自動ブレーキ(衝突被害軽減ブレーキ)搭載車の試乗のほうが盛り上がる状態でした。
その後、世界初となる「レベル3」(ドライバーの監視下にあり、条件付きで自動運転可能)の日本車の登場や地方での実証実験など、少しずつ自動運転車を目撃するようになると、さまざまな意見が挙がるようになりました。つまり、実際に自動運転車を見たり試乗したりすることで、初めて「自動運転が自分にとってメリットがあるのか、それとも迷惑なのか」を判断できるのです。その段階になって、初めて社会受容性についての議論ができるようになりました。
自動運転は「目的」ではなく、あくまでも移動の「手段」です。ですから今のバスや鉄道に代わる完璧な自動運転車両を目指す必要はなく、「移動したいけどドライバーがいないから移動できない」という社会課題を解決する「足」となればよいのです。日本の過疎地では「人手不足で移動ができなくなるくらいなら、(自動運転車が)ゆっくり走行しても構わない」と考える人は多いのではないでしょうか。「必要は発明の母」という言葉がありますが、差し迫った課題解決の手段として自動運転を受け入れる素地はあります。そうした部分から社会受容性を高めることが必要だと考えます。
上原 茂(デロイト トーマツ サイバー合同会社 シニアフェロー)
上原:次に、法整備や管理・監督する省庁の安全管理について取り上げましょう。グローバルの動向を見ると、各国の官公庁は自国の発展を目的に、自動運転の社会実装に向けた取り組みを支援しています。その一方で、さまざまな規制を設けて厳しく管理したいという意図も伺えます。特に欧州ではその傾向が強いと感じています。
例えば、欧州での規制の動きとしては、2022年9月に「欧州サイバーレジリエンス法案」が提出されました。同法律が施行されると、デジタル要素を持つすべての製品はEU-CS認証適合とSBOM作成が義務化され、ライフエンドまでのサイバー対応が求められます。さらに、脆弱性発見時やインシデント発生時には、24時間以内に欧州連合サイバーセキュリティ庁に対しての報告が義務付けられます。
日本での支援の動きの例としては、V2X(Vehicle-to-Everything:車両とあらゆるモノとがワイヤレス通信で接続する技術の総称)による協調型自動運転の実現を目指すというのが挙げられます。総務省は国際的な動向に合わせて、世界共通周波数帯域である5.9GHz帯をITS(高度道路交通システム)に割り当てようとしています。これは、コネクテッド機能の世界展開を後押ししてくれるものと思います。日本における自動運転の質の向上や、安全確保に向けた支援はどのくらい進んでいるのでしょうか。
葛巻:安全性確保は「How safe is safe enough?」と言われるように、「自動運転がどこまでの安全性を確保すればよいか」を明確にする必要がありますが、まだ結論は出ていません。ただ国は社会課題解決の手段として自動運転を実用化する方針なので、各省庁は協力的です。
一方、規制を策定する立場の官庁は安全性担保の説明責任があるので、安全性低下につながるような動きは取れません。そのような状況の中で、自動運転を世の中に出していくためには、安全性評価の方法を明確にする必要があります。
ただしここにも課題があります。自動運転車の安全性を評価するためには、無数にある走行環境や周辺車両の状況を想定し、実際に危険な状況を再現する必要があります。再現すること自体が困難なケースもありますし、評価には膨大な時間とコストがかかります。このため安全性評価手法の構築に向けた研究は、SIP第2期(2018~2022年度)でも重点課題として取り組んできました。
上原:安全性評価手法の構築に向けた研究とは具体的にどのようなものですか。
葛巻:精度の高いシミュレーションを活用するアプローチです。自動運転車ではセンサーが周囲の状況を把握し、安全な経路を決定しながら走行しますから、センサーの性能が非常に重要です。このため単一のセンサーに頼るのではなく、カメラやRadar、LiDARなどを組み合わせることで、それぞれのセンサーの弱点を補完しながら総合的に安全性を高めているのです。
SIP-adusで取り組んだ仮想空間での安全性評価手法は、「各センサーの性能を同時に評価できる一致性の高いシミュレーション」として、ユーザーから高評価をいただいています。この取り組みは経済産業省や国土交通省物流・自動車局などのバックアップを得て、現在も継続的に安全性評価手法の開発が進められています。
上原:法制度についてはいかがですか。先ほど「安全性担保の説明責任がある監督省庁は安全性を緩和するような動きは取れない」とのお話がありました。
葛巻:関係各省庁では前向きに検討しており、現時点で法整備がネックとなって自動運転の開発が進まないということはありません。国としての後押しは十分あると思います。むしろ課題となっているのは、むしろ日本人の国民性です。安全性に対して非常にシビアな日本が、ベンチャー企業の野心的なチャレンジに対して寛容な土壌を持つ米国とどう戦うかは大きな課題です。開発や運営側に過度の責任を負わせた結果、誰もチャレンジしなくなるようなことにならないよう、安全性は重視しつつ、法整備を含めて社会全体で支援することが必要です。
*1:「自動運転レベル4等先進モビリティサービス 研究開発・社会実装プロジェクト(RoAD to the L4)」(経済産業省)
*2:「中小企業イノベーション創出推進事業(SBIRフェーズ3基金事業)に係る補助対象事業の採択結果について」(国土交通省)
*3:「戦略的イノベーション創造プログラム(SIP:エスアイピー)」(内閣府)