海外成功事例から読み解く量子スタートアップ成功の鍵 ブックマークが追加されました
量子技術の発展は、2040年には世界で120兆円規模の市場を形成すると予想されています。しかし、昨年までに起きたいくつかのブレークスルーにより、それはさらに前倒しになる可能性があります。例えば米国企業QuEraやGoogle等が様々な実証を進めている誤り訂正技術は、量子コンピュータ業界のロードマップを数年前倒しにするインパクトをもたらしたとも言われます。
量子コンピューティングは新たな産業革命を起こす技術と期待され、各国政府も国家戦略の一つとして位置づけるなどして投資を行なっています。下の図は量子コンピューティングにおける各国政府の投資額と、量子スタートアップの調達額の比較です。新しい産業が盛り上がる時は政府の投資に加え、民間の投資も増えていく必要があります。
その点で、アメリカは政府投資とスタートアップ調達額がほぼ同等です。これは、量子領域に限らず豊富な投資家の存在や、アカデミアを含めたスタートアップ育成のエコシステムが確立されているからでしょう。アメリカでは大きなスタートアップのExitに成功した投資家たちが巨額の投資を行なっています。アメリカ以外でこのようなエコシステムを一朝一夕に生み出すことは至難の業です。
そこで私が注目したいのはスタートアップ調達ランキング(2025年2月)の5位D-Wave Systems(以降、D-Wave)や7位Xanaduを擁するカナダです。上図で示しているとおり、日本の政府投資額とカナダの投資額はほぼ同じです。しかし、カナダはスタートアップ調達額で見ると日本よりもはるかに多いのです。量子スタートアップの数も日本が約15社に対して、カナダは約60社といわれています。日本よりも人口が少なく、政府投資額は同じであるのに、なぜこのような差が生じるのでしょうか。
調達額の差に加え、世界で初めて商業量子コンピュータを開発したD-Waveを始め、有力な量子スタートアップがカナダで生まれる背景には、同国の量子技術産業の育成のために作り上げたエコシステムが挙げられます。カナダでは政府、大学、投資家が連携し、研究成果を迅速に商業化する体制が整っているのです。
このエコシステムの構築には、政府の積極的な支援が大きな役割を果たしています。カナダ政府はインフラ整備や税制優遇措置を通じて、研究機関や企業が量子技術の研究開発に専念できるよう支援しています。さらには「グローバル・タレント・ストリーム」や「スタートアップビザ」といったビザ緩和によって、国外の優秀な研究者や起業家を引き付けるプログラムを講じています。
大学もまた、量子技術分野での人材育成と研究推進に重要な一翼を担っています。ウォータールー大学の量子コンピューティング研究所(Institute for Quantum Computing, IQC)はその一例であり、大学の「知的所有権は大学ではなく発明者のもの」という方針が、優秀な研究者を引きつける仕組みを作っています。
この動きをけん引している一人が、元祖スマートフォン「BlackBerry」を生み出し、現在では量子コンピューティング技術の投資家として知られるマイク・ラザリディス氏です。同氏は2000年にペリメーター理論物理学研究所(Perimeter Institute for Theoretical Physics)を設立し、2002年にはウォータールー大学の量子コンピューティング研究所を創設しました。また、ウィルフリッド・ローリエ大学に寄付し、テクノロジー特化の経営研究所を設立しました。この研究所は現在、ラザリディス・スクール・オブ・ビジネス&エコノミクスとして知られています。
ラザリディス氏の投資会社Quantum Valley Investmentsも、量子コンピューティング技術のブレークスルーを開発する研究者に対して商業化資金、専門知識、サポートを提供しており、基礎技術と商業化の壁を乗り越える支えとなっています。
このように、政府、大学、投資家がそれぞれの立場で環境を整備し協力し合った結果として、カナダは量子技術分野で世界をリードするポジションを確立しているのです。
私たちデロイト トーマツは、2024年にカナダ大使館と共催し、「日本・カナダ量子技術パートナーシップセミナー」を開催しました。カナダの量子スタートアップ8社によるピッチが行われ、日本企業にとっては量子技術の急成長を肌身で感じ、海外先端技術とのビジネス連携を探る機会になったと考えています。
また、世界最大級の量子特化ベンチャーキャピタルQuantonationの主導のもと、昨年パリで開催された量子技術ベンチャーキャピタル・インキュベーション会議に日本から唯一、デロイト トーマツが招待を受けて参加しました。カナダ、フランス、イタリアなどでは量子技術の研究開発に必要なインフラ設備やビジネスプラン構築支援を提供するインキュベーションプログラムが確立され、国を超えた連携も議論されています。このように海外では量子技術の専門家たちが新たな量子スタートアップを創出し、育てるという取り組みを既に活発に行われています。これまで各国でそれぞれ動いていた取り組みが、各国でつながりあうことで量子スタートアップの成長と、それを支える取り組みはますます加速していくでしょう。
このようなグローバルな取り組みにおいて、日本も積極的に関与し、量子技術分野での競争力を高める必要があります。デロイト トーマツは量子コンピュータ開発の米国企業QuEra Computing Inc.と戦略的協業を開始しました。この目的の一つは、量子人材を育成する基盤や機会の創出、学術界・産業界の連携です。日本のビジョンや取り組みを共有しながら、量子技術の黎明期における日本の量子ユニコーン創出に貢献すべく、国際連携を深化させていきます。
補足)
文中、量子力学の原理を利用したハードウェアを指す場合は「量子コンピュータ」、ソフトウェアや理論など、量子コンピュータを使った計算手法や技術全般を含む場合は「量子コンピューティング」、更に量子暗号通信や量子センシングなども含む場合は総称して「量子技術」と記載しています。
寺部 雅能/Terabe Masayoshi
デロイト トーマツ グループ 量子技術統括
日本の量子プロジェクトを統括。
自動車系メーカー、総合商社の量子プロジェクトリーダーを経て現職。量子分野において数々の世界初実証や日本で最多件数となる海外スタートアップ投資支援を行い、広いグローバル人脈を保有。国際会議の基調講演やTV等メディア発信も行い量子業界の振興にも貢献。著書「量子コンピュータが変える未来」。ほか、経済産業省・NEDO 量子・古典ハイブリッド技術のサイバ-・フィジカル開発事業の技術推進委員長など複数の委員、文科省・JSTの量子人材育成プログラムQ-Quest講師、海外量子スタートアップ顧問も務める。過去に、カナダ大使館 来日量子ミッション・スペシャルアドバイザー、ベンチャーキャピタル顧問、東北大学客員准教授も務める。