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社会的投資収益率(SROI)を用いた非財務指標の定量化について

新しい評価基準の潮流シリーズ

近年、多くの企業が、事業やCSR活動によりもたらされる社会的インパクトの見える化とそのインパクトの企業価値への反映について検討を開始しています。本稿では、幅広いステークホルダーが理解しやすい方法で社会的インパクトを定量化する手段として注目されているSROI分析について解説します。

以前の「新たな価値基準:社会的価値について」では、投資家やステークホルダーの期待が変化する中での“価値”という言葉の定義の変化について解説した。本編ではその“価値”の定量化手法の一つであるSROI分析について解説する。

社会的価値には、特定の商品や活動により広く社会にもたらされる効用が含まれるものの、市場経済において定量化することができないものも存在する。狭義には、特定のプログラムを実行することで直接的にもたらされる社会、環境、経済的変化が社会的インパクトと呼ばれる。社会的価値や社会的インパクトの見える化は、政府の政策決定の観点だけではなく、企業の意思決定の観点からも注目が高まっている。

近年、多くの企業が、事業やCSR活動によりもたらされる社会的インパクトの見える化とそのインパクトの企業価値への反映について検討を開始している。企業は様々な価値を創造するが、これらの価値と伝統的な企業価値評価のバリュエーション手法を用いて視覚化される価値の間には大きなギャップが存在する可能性がある。

企業やプロジェクトへの投資や、投資後に行われるアプローチは、投資家や投資先だけではなく、様々な社会的・経済的階層に直接的または間接的に影響を与える。社会的インパクト分析の目的は、そのようなインパクトを可能な限り見える化し、検証可能にすることである。下図は、社会的価値が、全体的な企業価値の文脈において、どこに位置づけられるかを簡略的に示したものである。

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この文脈において、近年、SROI分析は、幅広いステークホルダーが理解しやすい方法で社会的インパクトを定量化する手段として注目されている。SROIは様々なステークホルダーによる参加型の評価手段である。このアプローチを通して、プロジェクトによってもたらされた社会、環境、経済的変化は、より伝統的な費用便益分析を使用することであらわされ、市場の金銭的価値に転換される。SROI分析は、金銭的価値を社会的利益に割り当てた後、投資に対するリターンとしてすべての価値を包括している。これは、通常、元の投資額に対する利益の比率または倍数として表される。

ここでは、SROI分析の背景、SROI分析を支える方法論と計算、最近の海外や日本における事例、将来の見通しを説明する。ESGがビジネスイシューとして扱われるようになり、SROIのような定量化の普及が進んでいるが、企業が組織的な経験を積むためのベストプラクティスはいまだ発展途上である。本記事が日本における新たな議論に貢献することを期待する。

 

SROI分析の背景

SROI 分析は、政府および/または非営利団体が資金提供したプログラムの価値を評価するための、より厳密な分析フレームワークを提供するための試みとして英国で生まれたが、近年、ESGの文脈で、企業がより広範な社会的インパクトの測定と管理を検討するにあたり、ますます関心を集めている。

SROI 分析は様々な目的で企業に対して適用されるが、通常は次のいずれかまたは両方が含まれる。

例えば、特定の事業活動によって生み出される利益の価値をステークホルダーに「証明」するといった外部の視点。これは、重要な社会的要素がある投資の場合によく見られ、明示的であっても、黙示的であっても、プロジェクトがゴーサインを得るためには、外部のステークホルダーの承認が重要である。これは、意思決定にステークホルダーを関与させることがより重要なESG 主導の世界における企業の意思決定のあり方の変化を示す一例である。

例えば、内部における評価項目として、より広範な社会的要素が考慮に値する投資機会を考えてみよう。これは従来の「稟議」という意思決定の手法がプロジェクトの経済的リターンのみに焦点を当てているケースでよくみられる。しかし、潜在的なプロジェクトの投資機会においては、社会的(または実際には、環境的)便益が生まれることが前提となる。このようなタイプのプロジェクトにおいては、相対的な収益は、組織として許容できる最小の財務収益よりも低いか、または実際にはそれを下回っていることが多い。これは、より広範な意味での組織の目標が現在の意思決定フレームワークと競合する可能性がある一例である

SROI 分析は現在、海外の多くのアプリケーションでデファクト スタンダードになっている。特に、コミュニティに大きな利益とコストをもたらす民間投資のステークホルダーに価値を示すために利用されている。海外のSROI分析の例は様々であるが、英国の風力発電やその他の再生可能エネルギーによる社会的利益、慈善活動、スポーツ活動などが含まれている。日本での例は限られているが、この記事では、日本のクライアントと協力して得た経験と洞察の一部に触れることとする。

 

SROIの分析・計算手法

SROI 分析は基本的に、内部収益率 (IRR) 分析などの従来の意思決定ツールに基づいて構築することを目指しているが、特定の活動により社会が回避することができるコストや得られるポジティブな結果に関連した金銭的価値を捉えることとしている。 これは、支払い意思額 (WTP) 分析などの金銭代理指標を使用して、社会的利益の金銭的価値を間接的に推定することによって行われている。

SROI 分析には主に 2 つの用途がある。資産または活動によって生み出されるアウトカムの実績に関する分析および資産または活動によって生み出されることが期待されるアウトカムの予測分析である。

意思決定の文脈では、潜在的な投資の予測結果(インパクト)を評価する際にクライアントを支援することが通常求められるが、実際には、事業活動によって生まれる幅広いインパクトを定量化すること、管理することの両方が総合的な管理の一部として一緒に検討されるべきである。

 

SROIを評価するための主な6つのステップ

  1. ステークホルダーの特定:プロジェクトの実施目的を明確にし、評価可能であることを承認したうえで、評価対象者とプロジェクトに関与するステークホルダーを決定する。 プロジェクトの実施による変化が適切に評価されるように、プロジェクトまたは活動によって直接影響を受けるステークホルダーを含めることが重要である。
  2. ロジックモデルの作成: インプット、アクティビティ、アウトカム、およびインパクトから構成されるロジック モデルを作成し、アウトカムを測定する方法と利用可能なデータを決定する。これには通常、さまざまなインプット、アウトプット、およびアウトカムを把握するための詳細な定量分析とモデリングが必要である。
  3. データの分析と評価: 調査、アンケートなどから収集されたデータを分析して、アウトカムの程度を測定する。このステップでは、アウトカムを事業や活動に紐づけ、対応するデータを収集し、評価する。SROI 分析は推定値を使用し、場合によっては代理データを使用するため、安定した分析を行うためには収集された情報の品質を評価することが重要である。
  4. インパクトの定量化: プロジェクトを実行しなくとも発生したであろう変化や外部要因によって生じた変化を除外することにより、実際のプロジェクトから純粋に生じた変化を測定する。これらのアウトカムは、社会的インパクトを単一の尺度で評価できるように、金銭的単位に変換される。
  5. SROI の測定: SROI を測定するためにはアウトカムの合計を費用の合計で除算する。これは、プログラムの合計の社会的インパクトの倍数として表すことができる。たとえば、2倍の比率は、1円のコストをかけた活動が2円の社会的価値を生み出すことを示しており、2倍程度という比率はしばしば目指すべき水準のベンチマークと見なされている。
  6. レポーティングと行動のステップ: 分析結果に基づいて、データ収集とアウトカムおよび対応するインパクトの測定を改善する方法を特定する。レポートの利用目的に応じて、調査結果は、ステークホルダーや外部関係者の間で共有されることもあるほか、分析結果に基づいて社会的インパクトをどのように改善できるかを検討するためにプロジェクト内で利用される。
     

以下に、SROI 分析のアウトプット例を示す。ビジネスプロセスの初期なインプットが識別され、アウトプットが定量化され、これらのアウトプット、評価されたアウトカムに基づいて、最終的にこれらのアウトカムを金額に変換して、SROI 倍数または比率を算出する。

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海外の最近のSROI事例

多くの主要企業にとって、ESG に関する議論は、初期段階としての ESG 目標の設定、第2段階として明確な KPI の設定を行い、ESG のアウトカムの定量化を意思決定と報告にどのように組み込むことができるかを検討する段階へと移行している。特にライフ サイエンスと再生可能エネルギーセクターからのいくつかの関連する例を挙げて、海外で観察される新たな傾向を示すが、他のセクターでも同様の傾向が観察されている。
 

  <ライフ サイエンス>

多くのライフ サイエンス ビジネスでは、事業活動に対するSROI 分析の事例を公開し始めている。

ESG活動とインパクトを定量化する経験が豊富な企業の場合、通常、非財務指標を定量化し、これらを事業全体の金額に変換する確立された企業メカニズムが存在する。これは通常、企業がそのような分析を可能にするためのマテリアリティ、KPI、データ定義、およびデータ取得方法をすでに確立しているケースである。例えば、ノバルティスは、世界全体に医薬品を提供することの社会的インパクトとそれに対応する患者の健康転帰への影響を含む、社会的、環境的、経済的影響を評価するための包括的なアプローチを確立した。

対照的に、ESG の定量化の経験が少ない企業の場合、最初のステップとして、全体的な企業の社会的価値ではなく、個々のプロジェクトに焦点を当てることが合理的である。例えば、英国のライフ サイエンス グループであるアストラ ゼネカは、非感染性疾患の予防に関連するヤング ヘルス プログラム (YHP) に関して 780% の投資収益率があることを示す研究を発表している。YHP は 21 カ国にわたる活動に関連しており、喫煙、肥満、暴力、性と生殖に関する健康など、様々な問題に関連して行動を (直接的および間接的に) 変えるなど、多種多様な活動を網羅している。健康というアウトカムに関連する便益を考慮して、アウトカムは十分に確立された尺度を使用して測定され、回避されたコストや罹患率の値は、1日調整生存年数 (DALY) の測定基準を使用して評価されている。
 

<再生可能エネルギー>

多くの先進国でエネルギーミックスが変化しており、政府はエネルギーミックスを温室効果ガスや石炭などから、再生可能エネルギーをはじめとする「よりクリーンな」エネルギー源に変えるため、洋上風力発電、陸上風力発電、太陽エネルギーの3つの主要分野に多額の投資をしてきた。こうした投資は、初期投資として多額の固定費を必要とする一方、景観や環境面でのコミュニティへの悪影響があるほか、雇用面での影響が限定的であることを考えると、地域コミュニティへの「便益」を見える化することが重要である。例えば、英国では、そのような投資の社会的価値を実証するために SROI 分析レポートを発行することが確立された慣行になっている。 Electricity North West は最近、SROI 分析を使用して 35 の提案されたプロジェクトの社会的価値を詳述したレポートを発行した。

長年の経験を反映し、英国での慈善活動および非営利活動の価値を評価するためのガイドラインを作成するのに尽力した英国内閣府は、SROI分析のベストプラクティスに関して次のガイダンスを発行した. :

  • Involve stakeholders
  • Understand what changes
  • Value the things that matter
  • Only include what is material
  • Do not over-claim
  • Be transparent
  • Verify the result

多くの場合、同じプロジェクトを何度も継続して再分析するか、同じ手法を異なるプロジェクトに適用して、分析の充実度や、組織の経験値を高めることで、これらのベストプラクティスはより明確になる。

<日本での最近の例>

SROI 分析を日本の状況に適用する際に、SROI 分析で特定した課題には次のようなものがある。

  • データ収集: 組織は、初期評価を実行するための非財務データも、その後 SROI をモニタリングするためのシステム機能も持っていない可能性がある。これは特に、KPI や意思決定者を含む十分に確立された ESG フレームワークを持たない日本の組織に当てはまり、主要な非財務情報のデータ定義、定量化、集中的なモニタリングが十分に確立されていない可能性がある。
  • 組織の受容: SROI は日本において新しい評価方法であり、組織の理解と受容のレベルは限られている可能性がある。これは特に、SROI 分析によって得られた非財務的措置の検討を含む、稟議システムとプロジェクトの目的が明確に一致していない場合に当てはまる。さらに、ESGの採用の初期段階にある組織では、活動のインパクトを考慮するよりも、活動からのインプットまたはアウトプットに焦点を当てる場合がある。
  • ワンタイムと繰り返し: 企業の意思決定への安定的な測定と組み込みに向けた ESG活動に係る次のステップを模索している企業の場合、最初のアプローチは、非営利活動などの単一のプロジェクトで SROI 分析を実行することである。これにより、活動により得られる利益に関する貴重な洞察を得ることができ、組織の知識が構築されるにつれて、今後の意思決定のためにこの共通のフレームワークを使用してすべてのプロジェクトを評価し、外部関係者により多くの情報を提供したり、より豊富な洞察を提供したりすることができる。

その洞察に目を向けると、日本のサッカークラブであるFC今治のプロジェクトにおけるSROI 分析とその後の実施サポートから得たものがある。元日本代表の岡田監督のリーダーシップのもと、チームはJ1昇格を目指しているが、同チームが生み出している社会的インパクトに関連して、デロイト トーマツはSROI 分析の実施を依頼された。多くのスポーツチームと同様に、投資の利益にはかなり幅広い社会的利益が含まれる。我々が実施した分析によると、FC今治は主要な4つの事業(サッカークラブ運営事業、育成・普及事業、ホームタウン活動、および独自の活動)を通じて、それぞれSROI 1倍以上の価値を生み出していることが明らかになった。また、ロジックモデルの作成等のプロセスにFC今治も関与することで、改めて事業の意義を見つめなおし、従業員自身が事業に自信と誇りを持てる機会となった。

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今後の展望

この記事では、SROI 分析を、特定のビジネス活動の幅広いメリットを定量化するための新しい主要な分析ツールとして説明した。このアプローチは、企業と非営利団体の両方で、非財務的活動の意思決定に定量的な指標を提供するためにますます使用されてきている。この分析は、企業活動のESG 関連のメリットをステークホルダーに広く知らせることで、間接的に企業のブランド価値にメリットをもたらす可能性がある。また、内部の観点からは、利益を金銭的単位で評価し、財務的利益と同一のアプローチで非財務的利益を評価する企業に総合的な意思決定アプローチを提供するのに役立つ。

SROI 分析へのアプローチは、まだ発展途上であるが、このアプローチはすでに ESG への取り組みにおいて大きな一歩を踏み出している日本企業に利益をもたらす可能性がある。

次回の記事では、意思決定と資本配分を目的として、非財務的な ESG 対策を財務上の意思決定と「結びつける」方法について見ていくこととする。

 

執筆者

デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社
Valuation & Modeling
パートナー サイモン メイザー
シニアヴァイスプレジデント 渡辺 真里亜
バイスプレジデント 若菜 俊之
シニアアナリスト 佐々木 友美

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