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監査上の主要な検討事項に関する分析~バイオ業界~

月刊誌『会計情報』2021年3月号

業種別KAM事例分析シリーズ(4)

公認会計士 風祭 雄太 米国公認会計士 前之園 啓信

1.はじめに

2019年2月27日、日本公認会計士協会監査基準委員会は、監査基準委員会報告書701「独立監査人の監査報告書における監査上の主要な検討事項の報告」(以下、「監基報701」)を公表した。監査上の主要な検討事項(Key audit matters。以下「KAM」)の報告の目的は、実施された監査に関する透明性を高めることにより、監査報告書の情報伝達手段としての価値を向上させることにあり(監基報701.2項)、監基報701は2021年3月31日以降終了する事業年度(ただし、2020年3月31日以降終了する事業年度から早期適用可能)にかかる監査から適用される。

シリーズ第4回となる本稿ではバイオ業界に焦点を当て、特に研究開発型の創薬企業の監査における主要な論点について考察した上で、先行している欧州及び、米国の創薬企業におけるKAM事例を紹介する。

538KB, PDF ※PDFダウンロード時には「本記事に関する留意事項」をご確認ください。

2.創薬企業における監査上の主要な論点

2.1.  継続企業の前提

監査・保証実務委員会報告第74号「継続企業の前提に関する開示について」において、継続企業の前提に重要な疑義を生じさせるような事象または状況として「継続的な営業損失の発生または営業キャッシュ・フローのマイナス」が例示されている。

一般的に創薬ビジネスは、新薬等の製品が上市するまでには長い年月を必要とし、また研究開発の過程で多額の資金を要する。このような事業上の特性から、創薬企業においては、製薬企業とのライセンス契約締結等による収益化が実現するまでは、継続的な営業損失は避けられないのが通常である。

このため、創薬企業の監査においては、継続企業の前提に関して慎重な検討が必要である。つまり、継続企業の前提は監査上特に重要であると判断した事項となり、十分にKAMの候補となる可能性がある。

監査人は、継続企業の前提に関する事項をKAMとして決定する過程において、継続企業の前提に関する評価ステップと関連付けて、KAMへの絞り込みを行うことが想定される。

継続企業の前提に関する評価ステップ

① 継続企業の前提に重要な疑義を生じさせるような事象または状況の有無

② それらの事象または状況を改善または解消する経営者の対応策の有無

③ 当該対応をしてもなお継続企業の前提に関する重要な不確実性が認められるか否か

 

以下では、特に重要な要素となる「重要な疑義の有無」と「重要な不確実性の有無」に焦点を当て、KAMの取扱いを検討する。

まず、「疑義あり・不確実性あり」の場合、企業は継続企業の前提に関する事項を財務諸表に注記することが求められる。このため、継続企業の前提に関する注記は当然に監査上の主要な検討事項となる。一方で当該ケースでは、重要な不確実性について財務諸表に適切な注記がなされている場合、監査人は監査報告書においても「継続企業の前提に関する重要な不確実性」という見出しを付した区分を設けて注記事項について注意喚起することが要求されている(監査基準委員会報告書570「継続企業」(以下、「監基報570」).21項)。このため、KAMにおいて二重に記載することはせずに、監基報570《文例1》で示されているように、継続企業の前提に関する事項以外の、特に重要と考えられる事項をKAMに記載することが想定される。

次に、「疑義あり・不確実性なし」の場合、企業は継続企業の前提に関する事項を財務諸表に注記するまでは至らない。しかしながら、有価証券報告書の「事業等のリスク」及び「経営者による財政状態、経営成績及びキャッシュ・フローの状況の分析」にその旨及びその内容等を開示することが求められる。当該ケースにおいては、監査上特に注意を払った複数の論点との相対的な比較により、継続企業の前提を特に重要であると判断することが考えられる。例えば、監査人が継続企業の前提に関する重要な不確実性が認められないとする結論に至るまでに検討した事項を、KAMとして決定すること等が想定される。また、KAMの記載においては、重要な営業損失、利用可能な借入枠、負債の借換え又は財務制限条項への抵触の可能性、及びこれらを軽減する要因など、財務諸表又はその他の記載内容に開示された特定の事象又は状況に言及することがある(監基報701.A41項)。なお、KAMは財務諸表の表示及び注記事項を代替するものではないことから、当該ケースにおいては、通常は、継続企業の前提に関する事項が「事業等のリスク」等において開示されていることが前提となると考えられる。

最後に、「疑義なし・不確実性なし」の場合には、企業は特段の開示を求められていない。このため、監査上特に注意を払った他の論点との相対的な比較により、継続企業の前提をKAMとするほど特に重要ではないと結論付けるケースが多いと考えられる。よって当該ケースにおいては、通常は、監査人は特に重要と判断した他の論点をKAMに記載することとなる。

 

2.2.  収益認識

創薬企業における収益は、ライセンスアウト契約や共同開発契約にもとづき、研究開発中の新薬に関する知的財産権の全部又は一部を製薬会社等にライセンスを供与する場合等に計上される。この際、創薬企業は、対価を契約一時金やマイルストン収入、更に新薬の上市後の売上高に一定の料率を乗じたロイヤルティとして受領するのが一般的である。またライセンスの供与の性質が、ライセンス期間にわたり創薬企業が保有している技術やノウハウにアクセスする権利の提供である場合とライセンスが供与された時点で存在する技術やノウハウを使用する権利の提供である場合がある。

このように、創薬企業における収益認識の判断の根拠となるライセンス契約等には個別性があり、画一的な会計処理を行うことが難しいという特徴がある。そのため、2021年4月1日以降開始する事業年度の期首から適用となる企業会計基準第29号「収益認識に関する会計基準」にもとづく会計処理を検討する過程でも、契約ごとに個別的かつ高度な判断が求められ、また、一般に企業規模に比して1件当たりの取引規模が大きくなることで、財務諸表全体に重要な影響を与える可能性がある。

以上の特徴から、収益認識は監査上特に注意を払った事項となることが一般的であり、KAMの候補となる可能性が十分に考えられる。

なお、収益認識をKAMとして決定した際には、監査報告書におけるKAMの記載が、契約の詳細に及ぶ可能性がある。このため、監査人は、KAMが未公表情報の開示とならないよう企業と協議の上、慎重に検討する必要がある。さらに、ライセンス契約等にかかる収益認識がKAMとして決定される可能性が高い場合には、企業と監査人は早期に協議を実施し、有価証券報告書の「経営上の重要な契約等」などにおいて当該契約の内容を開示する等の対応が必要となると考えられる。

 

2.3.  その他論点

創薬企業の監査におけるその他の論点として、M&Aや子会社設立等によりグループ展開を進めている企業の場合は投資の評価がKAM候補となる。決定理由として、会計上の見積りにおいて不確実性が存在する可能性があることや、投資の金額的重要性が高く、投資評価の結果が財務諸表全体に重要な影響を与える可能性があること等が考えられる。

また、研究開発にかかる外注費の会計処理、長期実施試験にかかる仕掛品の評価、営業損失が継続する事業特性に伴う繰延税金資産の評価や固定資産の評価等も、該当がある企業においてはKAMの候補となることが考えられる。

以上のように、創薬企業は特徴的な監査上の論点を有しており、当該論点がKAMとして決定されることが考えられる。またこれらの事項は、監査上のみならず、創薬企業にとっても経営上の重要な情報である場合が多い。このため、監査報告書にKAMとして記載される情報に関しては、経営者にも有価証券報告書等で十分な情報開示が求められることへの理解が必要となる。

 

3.欧州(英国)の創薬企業における事例

英国の創薬企業のKAMの事例の抽出にあたっては、ロンドン証券取引所のAIM(新興市場)のうち、バイオテクノロジー企業(FTSE産業区分)24社を対象とした。その結果は以下のとおりである。

※ロンドン証券取引所AIM市場のバイオテクノロジー企業24社をサンプルとして作成

表1 英国創薬企業のKAMの数ごとの分布
KAMの数 企業数

0

1

1

7

2

5

3

8

4件以上

3

企業数合計

24

 

表2 英国創薬企業のKAM記載内容の分類
KAM記載内容 件数

のれん・無形資産の評価

11

継続企業の前提

8

子会社投資・関係会社債権の評価

8

収益認識

6

研究開発費の会計処理

5

その他

18

KAM数合計

56

 

表3 英国創薬企業の継続企業の前提の監査報告書での取り扱い
財務諸表での継続企業の前提の注記 監査報告書での取り扱い 企業数

重要な不確実性あり

「継続企業の前提に関する重要な不確実性」区分に記載

9

重要な不確実性なし

KAMに記載

7

KAMにも記載無し

7

 

KAMの件数では、ほとんどの企業が1件〜3件を記載しており、4件以上記載のある会社は3社のみであった。また、KAMの内容別では、のれんや無形資産の評価が11件で最も多いが、継続企業の前提8件、子会社投資・関係会社債権の評価(親会社単体)8件、収益認識6件、の順で多い。

なお、日本基準と異なりIFRSでは、継続企業としての存続能力に対して重大な疑義を生じさせるような事象又は状態に関する重要な不確実性が無いと結論付ける際に用いた判断を開示しなければならない(IAS 1.122 IU 07-14)とされており、「疑義あり・不確実性あり」の場合に限らず財務諸表での注記が求められる。抽出した24件の内、23社で継続企業の前提の注記があった。そのうち重要な不確実性ありの企業は9社であり、監査報告書上でも「継続企業の前提に関する重要な不確実性」という見出し区分で注記事項について注意喚起していた。重要な不確実性なしの企業は14社であり、そのうち7社が継続企業の前提をKAMとしていた。

収益認識がKAMとされた理由は、ライセンスアウト契約において複数のマイルストンと履行義務が定められており、会計基準の当てはめにおいて重要な判断が用いられること(Avacta社)や、共同開発契約において契約一時金の履行義務への配分において判断を伴うこと(Silence社)が記載されている。

その他に含まれる項目には、投資の評価4件、その他の評価に関連する論点4件や、COVID-19やイギリスの欧州連合離脱の影響4件等の直近の経済又は社会情勢を反映した論点が含まれている。

 

4.米国の創薬企業における事例(早期適用)

米国における監査上の重要な事項(Critical Audit Matters: CAM)の適用時期は、大規模早期提出会社の監査においては2019年6月30日以降終了事業年度の監査から、それ以外のSEC登録会社の監査においては2020年12月15日以降終了事業年度の監査からである。

また、Emerging Growth Companies (直近の売上が$1.07 billion以下の会社Section 3(a)(80)of the Securities Exchange Act of 1934)にはCAMは要求されていない。

本稿執筆時点(2020年11月)で、米国創薬企業でCAMの記載がある会社はそれほど多くはないが、Form10-Kを提出している47社のうち、CAMの記載がある会社は11社あり、以下のとおりである。

※※ 2019年12月期のForm-10Kを基に作成

表4 米国創薬企業のCAMの記載内容※※
企業名 共同開発収益の有無 共同開発における収益認識 治験費用の見積り 在庫評価

Alnylam Pharmaceuticals, Inc.

1

   

Bluebird bio, Inc.

1

1

 

CRISPR Therapeutics AG

2

   

CytomX Therapeutics, Inc.

1

   

Denali Therapeutics Inc.

1

   

Editas Medicine, Inc.

1

   

Intellia Therapeutics, Inc.

1

   

Intra-Cellular Therapies, Inc.

 

1

 

Moderna, Inc.

1

   

Sangamo Therapeutics, Inc.

1

   

Sarepta Therapeutics, Inc

   

1

 

抽出した企業の特徴として、CAM件数は1件〜2件であり、ほとんどの企業が共同開発における収益認識をCAMとしている。その理由としては、共同開発における取引価格の配分に当たり、各々の履行義務の独立販売価格の見積りに経営者の重要な見積りが用いられること(Alnylam社)や、開発一時金の収益認識における研究開発の見積進捗度に経営者の見積りが用いられること(Sangamo社)が記載されている。

以上

本記事に関する留意事項

本記事は皆様への情報提供として一般的な情報を掲載するのみであり、その性質上、特定の個人や事業体に具体的に適用される個別の事情に対応するものではありません。また、本記事の作成または発行後に、関連する制度その他の適用の前提となる状況について、変動を生じる可能性もあります。個別の事案に適用するためには、当該時点で有効とされる内容により結論等を異にする可能性があることをご留意いただき、本記事の記載のみに依拠して意思決定・行動をされることなく、適用に関する具体的事案をもとに適切な専門家にご相談ください。

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