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第20回 気候変動の影響(その8)気候変動と保険

月刊誌『会計情報』2021年10月号

国際会計基準(IFRS)―つくり手の狙いと監査

前 国際会計基準審議会(IASB)理事 鶯地 隆継

最も早く直接的に気候変動の影響を受けるのは、損害保険会社だと思われる。最近頻発している極端な気象現象の遠因は地球温暖化であると言われており、通常の想定以上の気象現象が起これば、保険の対象となる損害が等比級数的に大きくなる可能性があるからだ。例えば、スーパー台風などによる建物や構築物の損壊、線状降水帯による集中豪雨、洪水、浸水、土砂災害、ひいては交通網のマヒに伴う輸送遅延、工場の操業停止、イベントのキャンセルなどである。現代は社会機能が緊密に連動している為、1つのピースが欠落すると、機能停止が連鎖し、損害の合計額が巨大になる。地方の半導体部品の工場が浸水したことによって、世界中の自動車生産が止まってしまうというようなことも起こる。そして、100年に一度と言われるような特例的な損害が毎年起きるという状況に、我々はすでに直面している。また、異常な高温に伴う山林火災、干ばつなど農業生産への影響など、その規模も以前では考えられなかったほど巨大なものとなってきている。

当然のことながら、こういったことは保険会社が一番よく分かっていることである。したがって保険会社は気候関連財務情報開示タスクフォース開示にも率先して取り組み、気候関連問題のリスクを徹底的に分析し、環境問題対応のイニシアティブ活動にも積極的に貢献している企業が多い。また、保険会社は投資家としての顔もある。投資家としてSDGs投資などに注力するなど、保険会社は投資家サイドから気候関連問題への対処についてリーダーシップを発揮する存在となっている。

一方で財務会計であるが、IFRSでは新しい保険会計IFRS第17号「保険契約」が2023年1月1日以降に開始する事業年度から適用される。日本においては、まだこのタイミングでIFRS第17号を適用する企業は多くないと思われるが、海外の保険会社は適用を開始するので、海外に子会社を保有する企業は影響を受ける可能性がある。また、海外での企業買収や、資本提携などを行う際にもIFRS第17号の影響は避けて通れない。

一方で、保険業界に関与していない方にとっては、会計の専門家であったとしても保険会社の財務諸表はなじみの少ないものではないかと思う。今般、IFRS第17号によって、従来の保険会計が大きく変わろうとしている。筆者の個人的見解ではあるが、保険会社の財務諸表が、より一般企業の財務諸表に近くなるような変化である。

今回は、IFRS財団が2020年11月に公表した「気候関連問題が財務諸表に与える影響」という教育的資料(以下、資料と呼ぶ)がリストアップした以下の基準のうち、四角枠で囲ったIFRS第17号「保険契約」について、資料に述べられていることに加えて、基準の背景や、現在のIASBや市場関係者の間で行われている議論も踏まえて、筆者自身の理解も含めて解説する。

資料がリストアップした基準

IAS第1号「財務諸表の表示」
IAS第2号「棚卸資産」
IAS第12号「法人所得税」
IAS第16号「有形固定資産」
IAS第38号「無形固定資産」
IAS第36号「資産の減損」
IAS第37号「引当金、偶発負債及び偶発資産」
IFRS第7号「金融商品:開示」
IFRS第9号「金融商品」
IFRS第13号「公正価値測定」

IFRS第17号「保険契約」

 

IFRS第17号「保険契約」

IFRS第17号の特徴と、これまでの保険会計との違い

そもそも保険というビジネスについて、一定の期間を区切った期間損益を計算することは非常に難しい。たとえば、掛け捨ての10年満期の保険で、毎年10万円の保険料をもらう代わりに、事故があれば、300万円を支払うという保険契約があった場合、10年間保険事故がなければ100万円の保険料はまるまる利益になる反面、1年目でいきなり事故が起こってしまえば290万円の大損失になる。したがって、保険期間が終わってみないと、その保険契約が黒字の取引だったのか、赤字の取引だったのか分からない。ただ、保険会社は保険契約を1件だけ行うということはなく、何十万という保険契約を保有し、大数の法則によって保険事故をカバーする。それこそが保険ビジネスの本質である。

このような保険ビジネスについて、伝統的な保険会計では、収支均衡の原則に基づいて、想定する保険料の現在価値が想定する保険金の支払いの現在価値と等しいという考え方で処理する。収支均衡原則を用いて会計処理するのは、伝統的な保険会計が当局による規制を前提とした規制のための会計であり、期間業績を把握することに主眼を置くのではなく、保険契約者に対する支払い能力の確認に注力が置かれているためである。

このため伝統的な保険会計では、収支均衡の原則に基づいて、受け取った保険料を保険料収入として認識すると同時に同額を責任準備金に繰り入れる。よって、純損益はゼロとなる。非常に単純なケースを想定すれば、保険料として入金したキャッシュと責任準備金は貸借同額で積みあがることとなる。そして、実際の保険事故に伴い保険金を支払った場合は、見合いの責任準備金を取り崩し、保険金の支払額を差し引いた残高が利益となる。このような会計処理は、直感的には分かりやすいが、途中経過として企業の業績を期間損益として把握することは困難である。

これに対してIFRS第17号は、企業の収益ならびに業績について、可能な限り、保険セクター以外の産業セクターに属する企業との比較可能性を追求し、一定期間に亘る企業の財務業績又は算定を求める。つまり、保険会社も普通の企業のような業績把握をするということである。その前提として、仮に保険契約に関する会計基準がないと想定し、一般の企業が保険契約を締結したら、どのような会計処理をするであろうかということをシュミレーションしてみる。その場合、収益の認識はIFRS第15号「顧客との契約から生じる収益」に基づいて認識することになる。IFRS第15号では収益は履行義務の充足に伴って認識されるとしている。では、保険会社の履行義務は何であろうか。もちろん保険事故があった場合に契約通りの保険金を支払う事であるが、保険事故が起こっていない平時には履行義務はないのであろうか。そんなことはない。では、保険会社が保険契約者に提供しているサービスとは一体何であろうか。それは、一言でいえば、安心を提供しているということである。そして、どうして保険契約者は安心していられるのかといえば、そこに保険会社があって、いつでも契約に基づいた補償の支払い用意が出来ている状態でいるからである。IASBのメンバーの間では、これを Stand readyのサービスというような言い方をしていた。

IFRS第17号第1項は、この新しい保険会計を「保険契約グループからの利益を、企業が保険カバーを提供する期間にわたり、また、企業がリスクから解放されるにつれて、認識する。契約グループが損失を生じているか又は損失を生じるようになった場合には、企業は当該損失を直ちに認識する。」と要約している。

具体的な会計処理は、保険契約グループを当初認識において、(a)履行キャッシュ・フローと、(b)契約上のサービスマージンに分けて測定する。ここには収支均衡の原則はなく、企業が保険契約グループで見込んでいるマージンが反映される。保険料収入の将来キャッシュ・フローと履行キャッシュ・フローの差額が契約上のサービスマージン(Contractual Service Margin:CSM)となる。そしてこのCSMをサービスの提供に従って償却する。サービスの提供とはStand readyであることなので、多くの場合は時の経過に伴った規則償却となる。

以上がIFRS第17号の特徴であるが、これを踏まえて、資料がIFRS第17号での会計処理に気候関連問題がどう影響すると指摘しているのかを見ていく。

 

関連する条文

資料では、IFRS第17号の第33項、第40項、第117項、及び第121項から第128項を留意すべき項として挙げている。さらに、付録Aも留意すべきとしている。紙幅の関係で条文を掲載は出来ないが、簡単に整理を試みる。

第33項は、保険契約の将来キャッシュ・フローの測定についての説明であり、すべての合理的で裏付け可能な情報を、偏りのない方法で織り込むことなどを求めている。また第40項は保険負債の事後測定に関するもので、将来のサービスに関わるもの(残存カバー)と過去のサービスに関わるもの(発生保険金)の両方とも事後測定が必要であるという事を述べている。資料がこの2つ項を留意すべき項としてピックアップしている理由は、保険負債の測定における網羅性を強調したかったものと思われる。保険契約は、契約によっては非常に長い期間をカバーするし、また、保険事故の対象もさまざまである。さらに、事故が発生してからも支払保険金額が変動し得る。そして、最も重要なことが、保険負債の見積りには環境の変化が大きく影響し、事後測定において測定値が大きく変動することもあり得るということである。

第117項、及び第121項から第128項は開示についての要求である。第117項は、企業がIFRS第17号を適用する際の重要な判断について書かれている。企業は、IFRS第17号を適用する際に行った重要な判断及び当該判断の変更を開示しなければならない。また、第121項から第126項は、IFRS第17号の範囲に含まれる契約から生じるリスクの性質及び程度についての開示を要求している。具体的には、企業は保険契約から生じる将来キャッシュ・フローの性質、金額、時期及び不確実性を財務諸表利用者が評価できるようにする情報を開示しなければならないとしている。第127項はリスクの集中についての開示、そして第128項は保険リスク及び市場リスクの感応度分析についての開示を要求している。この中で、気候関連リスクという観点から注目しなければならないのは、不確実性に関する開示と、感応度分析であろう。特に感応度分析においては、感応度分析の作成に使用した方法及び仮定を開示しなければならず、かつ、仮定を変更した場合は、変更内容とその変更の理由も開示しなければならないといしている。

付録Aは、IFRS第17号で使用される用語の定義集である。資料がこの定義集を留意すべきものとした理由は、保険会計には先に紹介したCSMなど、一般の会計ではあまり使用されない用語が多いので、そのような特殊な用語の持つ意味を再確認しておく必要がという意味で付け加えられたものと思う。一般にはなじみのない用語として、たとえば、「非金融リスクに係るリスク調整(risk adjustment for non-financial risk)」という言葉があるが、これは、企業が保険契約を履行するにつれて非金融リスクから生じるキャッシュ・フローの金額及び時期に関する不確実性の負担に対して企業が要求する報酬と定義されている。保険ビジネスにおいて引き受けるリスクとそれに見合う報酬とがバランスしていないとビジネスは成り立たない。気候関連問題の深刻化に伴って、保険リスクは増えるので、リスク調整も増えていくことになる。

 

気候関連問題の反映

資料では、気候関連問題は保険事故の頻度を増やしたり、規模を拡大したりする可能性があることや、保険事故が起こるタイミングを想定よりも早くさせる可能性があることを指摘している。また、想定される保険事故にはビジネスが中断されることによる資産のダメージ、病気や死亡者数への影響なども含まれる。気候関連問題は、したがって、IFRS適用による保険負債の測定に当たって使用される仮定に影響を与えることを資料は強調している。

また、気候関連問題は以下のIFRS第17号で要求されている開示項目にも影響を与えることを、資料は指摘している。

a)IFRS第17号を適用するに当たって用いた判断とその判断の変更

b)リスク・エクスポージャー、リスク集中、リスク・マネジメント、リスク要因の変化に対する感応度分析

 

基準のつくり手のねらい

IFRS第17号は20年以上の審議を経て完成された基準である。1997年に審議をスタートしてから、基準の発効年である2023年まで数えると実に26年の歳月を要している。どうしてそれほどの時間がかかったのかと言えば、保険というビジネスの多様性が原因であったと筆者は思っている。保険という名称は同じでも、契約の本質が全く異なるビジネスが、世界中に多く存在する。また、保険ビジネスは規制下におかれていることが多く、その規制方法も国により様々である。このようなことから、関係者の合意を形成するのに20年以上の歳月を要したのである。

しかし筆者は、IFRS第17号は画期的な基準であると感じている。それは、この基準が会計の最も難しい部分にチャレンジし、一定の方向性を示しているからである。会計は過去の記録であると同時に、将来の合理的な予測でもある。保険の場合は、過去の記録だけでは会計は成り立たない。将来の合理的な予測をどう組込むかが重要になる。その難しいことにチャレンジしたのがIFRS第17号であり、気候関連問題は当然大きな影響を与える。

 

おわりに

2021年8月9日に公表されたIPCC(気候変動に関する政府間パネル)の第6次評価報告によれば、地球温暖化の原因が人類の活動によるものであることに疑いの余地はないと断定している。また、地球温暖化がこれまでの予想よりも急速化しているとの見通しを示している。このようなことから、脱炭素の動きがますます加速することが見込まれる。同時に、関係者の努力もあって、脱炭素などの取組が不十分な企業は、投資や融資ばかりでなく、営業活動を継続する上においても不利な扱いを受ける可能性があるので、企業側もそれに対応する為に、自社がいかに真剣に脱炭素に取り組んでいるかを積極的にアピールしている。

この傾向自体は良いことであるが、環境関連銘柄とのラベルをつけられた一部の特定の企業に対する集中的投資な投資ブームが起きているとも聞く。また環境対応を実態以上に誇張している企業もあるかもしれない。残念ながら、企業の対応が宣言どおり実行されているかを検証する手段はあまり多くない。このため、「言ったもの勝ち」という風潮が起きるリスクは否定できない。

このようなことを防止するためには、何らかの第三者による検証が必要である。もちろんCO2排出量の測定のような物理的な検査も重要であるが、やはり、企業行動を担保するには財務面からの「監査」が機能する必要がある。これまで8回に亘って紹介してきた、IASBの気候関連問題に対する取り組みは、我々が現時点において対応なければならないポイントを明確にしている。企業が環境対応への取組姿勢を積極的に取り組むことは素晴らしいが、その取り組みが真剣であるならば、それは現時点での財務諸表にも正しく反映されていなければならない。そしてそれは、財務諸表への監査という形でしっかり検証されなければならない。

以 上

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本記事に関する留意事項

本記事は皆様への情報提供として一般的な情報を掲載するのみであり、その性質上、特定の個人や事業体に具体的に適用される個別の事情に対応するものではありません。また、本記事の作成または発行後に、関連する制度その他の適用の前提となる状況について、変動を生じる可能性もあります。個別の事案に適用するためには、当該時点で有効とされる内容により結論等を異にする可能性があることをご留意いただき、本記事の記載のみに依拠して意思決定・行動をされることなく、適用に関する具体的事案をもとに適切な専門家にご相談ください。

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