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第19回 気候変動の影響(その7)気候変動と公正価値

月刊誌『会計情報』2021年9月号

国際会計基準(IFRS)―つくり手の狙いと監査

前 国際会計基準審議会(IASB)理事 鶯地 隆継

公正価値はfair valueの日本語訳で、公正な評価額と表現されることもある。IFRS第13号「公正価値測定」では、公正価値を、「測定日時点で、市場参加者間の秩序ある取引において、資産を売却するために受け取るであろう価格又は負債を移転するために支払うであろう価格」と定義している。このため公正価値は市場価格と同義であると捉えられることも多い。また、もう少し使い慣れた言葉として時価と同義であると捉えられることが多い。時価という言葉は長く日本の会計基準で使われてきた言葉であり、一方で公正価値という言葉はIFRSを含む日本以外の会計基準で使用されている言葉である。尚、企業会計基準委員会(ASBJ)が2019年7月に公表した会計基準第30号「時価の算定に関する会計基準」は、IFRS第13号の定めを基本的に全て取り入れたものであるが、そこでは、我が国における他の関連諸法規において時価という用語が広く用いられていること等を配慮して、公正価値に代えて時価という用語を使用しているので、公正価値と時価とはここでは同義(ただし、後述の通り対象範囲は異なる)と考える。一方で、公正価値と市場価格とは少し意味合いが異なるので、本稿ではそのような点も含めて、気候変動と公正価値との関係を中心に解説したい。

これまで述べてきたように、IFRS基準に従って財務諸表を作成する場合に、気候関連問題は必ず考慮に入れなければならない問題となってきている。それは、投資家の気候関連問題への関心の高まりに伴い、気候関連問題の重要性が高まっているからである。気候関連問題を財務諸表に反映させるためには、気候関連問題が資産や負債の公正価値にどのように影響するかを見積もることが必要になる。さらに活発な市場で取引される金融商品のようなマーケットがない場合に、どのように公正価値を算定するのかが重要なポイントとなってくる。

今回は、IFRS財団が2020年11月に公表した「気候関連問題が財務諸表に与える影響」という教育的資料(以下、資料と呼ぶ)がリストアップした以下の基準のうち、四角枠で囲ったIFRS第13号「公正価値測定」についての説明を紹介する。

また、資料に述べられていることに加えて、基準の背景や、現在のIASBや市場関係者の間で行われている議論も踏まえて、筆者自身の理解も含めて解説する。

 

資料がリストアップした基準

IAS第1号「財務諸表の表示」
IAS第2号「棚卸資産」
IAS第12号「法人所得税」
IAS第16号「有形固定資産」
IAS第38号「無形固定資産」
IAS第36号「資産の減損」
IAS第37号「引当金、偶発負債及び偶発資産」
IFRS第7号「金融商品:開示」
IFRS第9号「金融商品」

IFRS第13号「公正価値測定」


IFRS第17号「保険契約」

541KB, PDF ※PDFダウンロード時には「本記事に関する留意事項」をご確認ください。

IFRS第13号「公正価値測定」

関連する条文

資料では、IFRS第13号の第22項及び、第73項から第75項、第87項、及び第93項を留意すべき項として挙げている。紙幅の関係で条文を掲載は出来ないが、簡単に整理すると以下のとおりである。

まず、IFRS第13号は他のIFRS会計基準にはないユニークさがある。というのは、IFRS第13号は具体的な会計処理を要求するのではなく、他の基準での要求事項に使われている公正価値という言葉の意味を定義する会計基準であるからである。したがって、IFRS第13号に書かれていることは、単に一つの要求事項だけではなく、ひろく公正価値という概念を使用する、IFRSのすべての要求事項に影響を与える。ちなみに、日本の会計基準第30号ではその対象範囲が金融商品に限定されている。

IFRS第13号が明確にしたのは、公正価値が市場を基礎とした測定であり、企業固有の測定ではないということである。ただ、ある資産又は負債については、観察可能な市場取引又は市場情報が利用可能かもしれないが、他の資産又は負債については、観察可能な市場取引又は市場情報が利用可能ではないかもしれない。しかし、公正価値測定の目的は両方の場合で同じである。IFRS第13号はその点を踏まえたガイダンスを提供している。

IFRS第13号では公正価値算定にあたって、まず、評価技法(例えば、マーケット・アプローチやインカム・アプローチ)と評価技法へのインプットとを分けて整理している。その上で、「同一の資産又は負債についての価格が観察可能でない場合には、企業は公正価値を他の評価技法を用いて測定する。その評価技法は、関連性のある観察可能なインプットの使用を最大限とし、観察可能でないインプットの使用を最小限とする。公正価値は市場を基礎とする測定であるため、市場参加者が当該資産又は負債の価格付けを行う際に用いるであろう仮定(リスクに関する仮定を含む)を用いて測定する。(IFRS第13号、第3項)」という手順を示している。

さらに、インプットについては、公正価値ヒエラルキーという概念を導入し、インプットを3つのレベルに分けて、レベル1のインプットが最も優先度が高く、レベル3のインプットが最も優先度が低いとしている。レベル1のインプットは、活発な市場における無調整な相場価格、レベル2のインプットは、レベル1に含まれる相場価格以外のインプットのうち、資産又は負債について直接又は間接に観察可能なものである。レベル3のインプットは、資産又は負債に関する観察可能でないインプットである。

このようにIFRS第13号は、評価技法とインプットを分けて整理し、インプットについて公正価値ヒエラルキーを明らかにしたことにより、それまでばらばらだった市場価格のない取引についての公正価値測定の手順を明確化した。しかし、難しいのはやはりインプット3の扱いである。特に、気候変動などの長期的な影響を測定するには、一定の仮定をおかねばならず、その仮定は、市場参加者が当該資産又は負債の価格付けを行う際に用いるであろう仮定でなくてはならない。

この点について、資料が紹介している第22項は「企業は、資産又は負債の公正価値の測定を、市場参加者が当該資産又は負債の価格付けを行う際に用いるであろう仮定を用いて、市場参加者が自らの経済的利益が最大になるように行動すると仮定して、行わなければならない(IFRS第13号、第22項)」としている。

また、資料が紹介している第73項から第75項は、公正価値ヒエラルキーと評価技法との関係について具体的なテクニカルなガイダンスを示している。そして第87項は、測定日において当該資産又は負債に関する市場活動がほとんどない状況への対応方法について記載されている。そこで強調されているのは、公正価値測定の目的は引き続き同じであるということで、観察可能でないインプットは、市場参加者が資産又は負債の価格付けを行う際に用いるであろう仮定(リスクに関する仮定を含む)を反映しなければならないということである。

尚、資料で紹介されている第93項はIFRS第13号が要求している開示事項が記載されている。IFRS第13号では、公正価値で測定される資産及び負債について、測定に用いた評価技法及びインプットの詳細、ならびにその測定が当期の純損益又はその他の包括利益に与える影響を開示することを求めている。IFRS第13号の第93項で求められている開示はかなり詳細にわたるもので、負担が大きいという批判もある。ただ、財務諸表の利用者の立場から見れば、市場価格のない資産又は負債の公正価値をどのように計測したのかという事は、非常に重要な情報である。とくに、気候変動などの長期的なものについては、不確実性が高いので、ここで求められる情報は重要性が高い。

 

気候関連問題の反映

資料では、気候関連問題が財務諸表上の資産又は負債の公正価値評価に影響を与えると指摘している。例えば、市場参加者が気候関連の新たな規制が立法化されるという見方を持っていれば、それは資産又は負債の公正価値に影響する。また、気候関連問題は、公正価値測定に関する開示にも影響を与える。具体的には、公正価値測定ヒエラルキーのうち、レベル3に分類される公正価値測定では、測定の重要なインプットとして観察不能なインプットが使用される。IFRS第13号では、そのような観察不能なインプットは、市場参加者が価格付けにあたって用いるであろうと想定される仮定を反映することを要求している。資料は、そのような仮定には、気候関連リスクを含むリスクも織り込んでおかなければならないことを強調している。

さらに資料が指摘している最も重要なポイントは、IFRS第13号が公正価値測定に利用した仮定を開示することを要求しているということである。特に頻繁に使われる公正価値については、もしその変動が公正価値を著しく高くしたり、低くしたりする可能性がある場合には、インプットの変動に対する公正価値の感応度を文章によって表現することを求めている。

気候関連問題は非常に不確実性の高い問題であり、仮定が少し変わるだけで状況は大きく変わり得る。また、想定していない現象も後から出てくる可能性がある。したがって、一定の仮定に基づいて算出された公正価値、それ自体に大きな意味があるのではなく、どういう仮定に基づいて、どういう計算をしたのかということの透明性こそが重要となる。

 

基準のつくり手のねらい

冒頭に述べたとおり、公正価値という用語と、市場価格、あるいは時価という用語との区別は、必ずしも分かりやすいものではない。時価という用語との区別については、上述の日本の会計基準第30号との関係もあるので、ここでの議論は避ける。むしろ重要なのは市場価格という用語との区別である。市場価格という用語は実際にマーケットで取引された価格そのものを指し、それ以外の要素を含むとは考えられていない。したがってマーケットが存在しないか、あるいは機能していない場合には市場価格が存在しないという判断になる。

これに対してIFRS第13号は、公正価値は市場を基礎とした測定であり、企業固有の測定ではないということを明確にした上で、マーケットで成立した価格(市場価格)がなかったとしても、公正価値は存在するとし、それを計測するための手法を整理している。つくり手の狙いは、これまで市場価格がないことを理由に、公正価値の測定を放棄したり、あるいは安易に代替的に取得原価を用いたりしないようにすることである。

この狙いに沿って、IFRS第13号は、市場価格がない資産又は負債について、観察可能なインプットと観察可能でないインプットの双方を用いて公正価値を算出するためのガイドラインを示した。まず、観察可能なインプットと観察可能でないインプットを区別し、関連性のある観察可能なインプットの使用を最大化し、観察可能でないインプットの使用を最小化することを企業に要求した。この要求事項について注視すべきは、単に「観察可能なインプット」という言葉ではなく、「関連性のある観察可能なインプット」という表現を用いた点である。これは、2007年に始まった世界的な金融危機の際に、観察可能なインプットが必ずしも公正価値で測定される資産又は負債を表すものではないという事例が見られたことによる。この点について、IFRS第13号の結論の根拠では、「場合によっては、資産又は負債の特徴と測定日現在の状況(例えば、市場の状況)を考慮すると、利用できる観察可能なインプットに企業が大幅な調整を行う必要があることにIASBは留意したからである。(IFRS第13号結論の根拠 BC第151項)」と説明している。

さらにIFRS第13号は、公正価値は財務諸表の主要な利用者の立場から見て、合理的な測定を財務諸表に反映させるという目的に沿ったものでなければならないとし、観察可能でないレベル3のインプットを含めている。このレベル3のインプットを含めることについて、IFRS第13号の結論の根拠第173項では、「一部のコメント提供者は、重要な観察可能でないインプットを用いた測定を公正価値測定と表現するのは誤解を招くと述べた。」という経緯を紹介している。すなわち、市場価格を使わないものを公正価値というのはおかしいのではないかという指摘である。この指摘はマーク・トゥ・マーケット(Mark to Market)とマーク・トゥ・モデル(Mark to Model)を混同すべきではなく、それぞれ別の名称を付して使い分けるべきであるということを示唆している。そのポイントは、マーク・トゥ・モデルには企業固有の判断が含まれてしまい、それを混同すると公正価値の純粋性が失われるということであろうと、筆者は想像する。

この指摘についての反論が、このIFRS第13項の本質を表しており、かつ気候変動問題をIFRS財務諸表においてどう扱うべきかについてのヒントになると考える。

反論は公正価値の目的を中心に以下のように展開される。まず、公正価値の定義は、公正価値は測定日時点で、市場参加者間の秩序ある取引において、資産を売却するために受け取るであろう価格又は負債を移転するために支払うであろう価格である。これを測定するために、IFRS第13号は評価技法及び評価技法へのインプットを示している。その目的は、市場参加者が考慮するであろうすべての要因を考慮し、市場参加者が除外するであろうすべての要因を除外することである。この目的達成のために、レベル2とレベル3を分けることは困難であり、レベル3のインプットを別扱いすることは、有益ではないとしている。それらの測定の主観性に関する懸念には、それらの測定に関する開示の強化が最もよく対処できると結論を下している。

さらに、IASBは、レベル3のインプットの出発点が、企業が作成した見積りであるかもしれないことを認めている。それは、企業自身のデータを含む情報が、ある状況において入手可能な最良の情報である場合もあるからである。したがって、企業は自己のデータを出発点とすることができる。ただし、他の市場参加者が異なるデータを用いていたり、見積りの中に、他の市場参加者には入手できない、企業に固有のもの(例えば、企業固有のシナジー)が含まれたりしている場合は、そのようなデータは利用できず、調整されなければならない。

ここから見えてくるポイントは、市場参加者からの目線である。インプット3の場合は、スタートポイントはどうしても、企業の自己のデータを出発点としなければならない場合があるが、手前勝手な見積りをしてはならず、他の市場参加者がどのような測定をするのかという立場に立って、測定しなければならないということである。すなわち公正価値は使用価値でない。使用価値は経営者目線からの見積りであるが、公正価値は市場参加者目線からの見積りでなくてはならないということだ。

そうすると、難しいのは、市場参加者が使用する仮定である。この点について、IFRS第89項では、「企業は、市場参加者の仮定についての情報を取得するためにあらゆる努力を払う必要はない。しかし、企業は合理的に入手可能となる市場参加者の仮定についての情報はすべて考慮しなければならない。」としている。つまり市場参加者の仮定に関する情報が合理的に利用可能な場合には、企業はそれを無視することはできないのである。

この一連の議論は、気候関連問題を財務諸表に反映させる際に非常に重要な影響がある。気候関連問題では、市場参加者が共有する仮定が何であるかを察知することが非常に重要であり、またそれを適切に開示することが求められているのである。

以 上

本記事に関する留意事項

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