ナレッジ

第21回 企業価値とのれん(その1)

月刊誌『会計情報』2021年11月号

国際会計基準(IFRS)―つくり手の狙いと監査

前 国際会計基準審議会(IASB)理事 鶯地 隆継

会計と企業価値

わが国においてIFRSを強制適用すべきかどうかの議論が活発であった2010年頃、IFRSの特徴は公正価値会計であるとの説明に接することが多かった。そのような説明の中には、IFRSは財務諸表によって企業価値を示すことを目的としているというような説明もあったが、このような理解は正しくない。

IFRSの財務報告に関する概念フレームワーク(以下、概念フレームワーク)の第1.7項には「一般目的財務報告書は、報告企業の価値を示すようには設計されていないが、現在の及び潜在的な投資者、融資者及び他の債権者が報告企業の価値を見積るのに役立つ情報を提供する。」との記載があり、IFRSが企業価値を算出することを目的にした会計基準でないことを明確にしている。したがって、IFRSの財務諸表上の純資産はその企業の企業価値を表さない。しかし、この項の後半に、現在の及び潜在的な投資者、融資者及び他の債権者が報告企業の価値を見積るのに役立つ情報を提供するとあるように、IFRSの財務諸表は、利用者がその報告企業の企業価値を推定するベースとなる情報を提供することが目的であり、財務諸表上の純資産は企業価値を推定するスタートポイントになり得る。

企業価値を推定するもう一つの指標が時価総額である。実際にその金額で売買が成立しているのだから、時価総額イコール企業価値だと考える人もいる。しかし、時価総額はあくまでも特定の日に一部の株式が売買された価格に過ぎず、企業全体の価格を表すものではない。たとえばある企業の株式を、その企業の支配権が獲得できるまで取得しようとすると、それまでの価格以上の価格でないと入手できないことが多い。これはコントロール・プレミアムと呼ばれるもので、企業価値が時価総額以上である可能性を示すものである。さりながら、時価総額が企業価値の目安であることは間違いない。

このように、企業価値を推定するに当たり、会計上の純資産と時価総額という2つの数字が非常に重要である。しかし、当然のことながら、会計上の純資産と時価総額は同じにならない。その理由は、財務諸表の資産・負債は混合測定により計上されており、公正価値とは異なる金額で計上されているからである。また、リーマンショックの後、世界中の中央銀行による金融緩和と財政当局による財政拡大によって、金融市場にマネーが過剰に供給され、それが株価を押し上げている傾向がある。このようなことから、会計上の純資産と時価総額の乖離が大きくなりつつある。日本企業では、大きく乖離している企業は比較的少なく、時価総額が純資産よりも少額で、PBR(株価純資産倍率)が1を下回っている企業もあるが、世界的には時価総額が純資産を大きく上回っている。金融緩和や財政拡大により行き場のなくなったマネーが株式市場に流入していることが直接的な原因であるが、背景にはもっと大きな構造的な要因がある。一般的にいわれているのは以下の2点である。

 

(1)財務諸表には長期的な企業の将来戦略を織り込むことができない。

財務諸表は基本的に過去の事象の記録であり、将来の情報を織り込むことはできない。投資家が企業の将来戦略を評価して、株価が形成される場合は、財務諸表上の純資産との差額を生み出す。特に最近では、気候変動への対策を始めとする、SDGs(持続的な開発目標:SustainableDevelopmentGoals)への戦略が株価形成に大きな影響を及ぼすようになってきている。このため、サステナビリティ報告書などの非財務情報が有用視されて、財務情報の有用性が相対的に低下している。

また企業をとりまく環境は、多様化・複雑化しており、単一業種だけで長期的な戦略を描くことが難しくなってきている。さらに、環境変化のスピードも速くなっている。したがって、どの企業も現時点の業態の延長線で戦略を語るだけでは、株主をはじめとするステークホルダーの理解を得られず、より多角的な展開を描いた将来設計を期待されている。特に金融緩和の局面においては、バラ色の将来設計をうまくデザインしている企業に投資が集中しがちで、そのような企業においては会計上の純資産と時価総額が大きく乖離することが多い。

くわえて、近年の投資環境においては、個別の銘柄に対して投資するのではなく、運用目標とされるベンチマークに連動する運用成果を目指すパッシブ運用が主流となってきている。一般的にパッシブ運用の方が機械的に運用できるので、コストが少なく、かつリスクも少ないためであると思われる。ただ、そのような運用が主流となると、個別の企業の財務データとは関係なく株価が動くので、企業の会計上の純資産と時価総額との差額が広がる可能性がある。

 

(2)財務諸表には自己創設無形資産や自己創設のれんを織り込むことができない。

企業価値には、その企業が独自に生み出した技術・ノウハウ・顧客ベース・ブランドといった無形資産と呼ばれるものや、会社自身が築いてきた信用力、社風や経営理念などから生まれる企業固有の超過収益力、すなわち企業価値の源というべきものがある。前者は自己創設無形資産とよばれ、後者は自己創設のれんとよばれる。いずれも企業価値を測る際には、なくてはならない要素であるが、ごく一部の自己創設無形資産を除いては、これらを会計帳簿に載せることが出来ない。なぜこれらが会計的に認識できないのかについての分析は次の項で詳しく行うが、このように企業価値の源というべきものが、会計上の資産として認識できないことが、会計上の純資産と時価総額を乖離させる大きな原因となっている。

特に近年のデジタル技術の飛躍的な進展や、消費者の価値観の多様化に伴うサービス業へのニーズの高まりなどにともなって、巨額の設備投資を必要とする製造業から、有形固定資産への投資を要しないソフト・サービス産業の成長が著しく、このことが株式市場全体を通じて、会計上の純資産と時価総額との乖離の拡大要因となっている。

以上の2点が、会計上の純資産と時価総額の乖離の構造的な原因であると考えられるが、このことは、企業報告というシステムの抱えるより大きな課題を示している。すなわち、現在の経済環境は大きな構造的変貌の節目にさしかかっており、気候変動問題深刻化や社会のデジタル化といった変化のスピードは非常に早く、革命的なものであり、その影響は根本的なものとなっている。しかし、これに対して会計の基本的な構造は大きく変わらず、これらの変化に対応できていないとの批判もある。このような外部環境の変化に合わせて、会計も変わっていかなければならないという声もある。

ただ、筆者は会計の基本的な考え方をみだりに変えていくことには賛同しない。もちろん、社会環境の変化によって投資家のニーズも変わり、それに合わせて重要性も変わるので、結果的に財務諸表も変わっていくことになると思うが、会計の基本的な考え方を大きく変えていく必要はないと考える。そういったところを、無形資産と自己創設のれんの現在の会計処理の分析を通じて確認していきたい。

550KB, PDF ※PDFダウンロード時には「本記事に関する留意事項」をご確認ください。

無形資産等の会計処理

〇無形資産

無形資産は、IAS第38号第8項で、物理的実体のない識別可能な非貨幣性資産と定義されており、IAS第38号第9項には、一般的な事例として、コンピューター・ソフトウェア、特許権、著作権、映画フィルム、顧客リスト、モーゲージ・サービス権、漁業免許、輸入割当、フランチャイズ、顧客又は仕入先との関係、顧客の忠誠心、市場占有率及び販売権などが挙げられている。しかしこのような一般的な事例としての無形資産が、第8項の定義を満たすとは限らない。特に、ハードルが高いのが識別可能かどうかという点である。IAS第38号第12項では識別可能であることの条件として、(a)分離可能である場合と、(b)契約又はその他の法的権利から生じている場合という2つを挙げている。さらに、実際に資産として認識するにあたっては、IAS第38号第21項が、(a)当該資産に起因する期待される将来の経済的便益が企業に流入する可能性が高く、かつ、(b)当該資産の取得原価を、信頼性をもって測定することができるという2つの要件を課している。このような条件を満たす無形資産は限られてくるが、たとえば、法律的に保護されたライセンスで、第三者に譲渡可能なものなどを有償で購入した場合などは、これらの条件を満たすと考えられる。もし、それらの条件を満たさなければ、資産計上ではなく経費として処理される。

〇自己創設無形資産

有償で外部から購入したのではなく、自社で研究開発した技術や自社で開拓した販売網などは、自己創設無形資産と呼ばれる。自己創設無形資産を資産として計上するには、さらに高いハードルがある。IAS第38号第52項は自己創設無形資産の認識にあたっては研究局面と開発局面に分類することを要求している。そして、研究(又は内部プロジェクトの研究局面)から生じた無形資産は、認識してはならないとしていて、研究(又は内部プロジェクトの研究局面)に関する支出は、発生時に費用として認識しなければならないとしている。一方で、開発(又は内部プロジェクトの開発局面)から生じた無形資産は、企業が定められた要件のすべてを立証できる場合に、かつ、その場合にのみ、認識しなければならないとされている。そしてその要件とは、完成させることの技術上の実行可能性、使用するか又は売却するという意図、使用又は売却できる能力など無形資産の有用性を立証することである。また、合わせて必要となる資源の利用可能性があることや、支出を、信頼性をもって測定できる能力があることも大事な要件となる。

ただし、このような自己創設無形資産の会計処理は簡単ではない。そもそも研究段階と開発段階をどのように区別するのか。イメージとして、研究段階では、まだ海のものとも山のものとも分からないものを、いろいろ試行錯誤をしながら研究をしている段階であり、開発段階とは、研究で一定の成果が得られたものについて、商品化できるという見通しをもって、具体的に商品化に向けて動き出しているような段階であると理解できる。さりながら、個別の案件での判断は難しい。どうしても主観的にならざるを得ず、会計処理はかなりばらつきがあるという。

なお自己創設無形資産の認識基準は、通常の資産の認識基準と同じである。資産の定義を満たし、かつ認識の条件をクリアしなくてはならない。その点を踏まえて、上述のIAS第38号第21項の2つの要件を挙げ、それを満たし、かつ、その場合にのみ認識しなければならないとしている。そして計上すべき当初測定の金額は取得原価であるとしている。さらに、IAS第38号第63項は、内部で創出したブランド、題字、出版表題、顧客リスト及び実質的にこれらに類似する項目は無形資産として認識してはならないと、具体的な禁止事項を明確にしている。

このような自己創設無形資産の会計処理を概観すると、資産計上をするハードルは非常に高い。研究費などの支出は基本的には経費として処理し、非常に限定された開発費用についてのみ、判断を用いて資産計上できる場合があるという程度に考えておくほうが良いだろう。実際に実務では、一定の商品化の実績のある開発案件などに限定して資産計上される場合があるという程度と聞く。そうであれば、計上されずに、経費として各年度のP/Lにのみ計上されて、B/Sには累積されずに消えていく巨額の支出があるということになる。この消えていく巨額の支出こそが隠れた無形資産であると分析するアナリストは多い。

〇自己創設のれん

IAS第38号第48項は、自己創設のれんを資産として認識してはならない、と短い文章で、自己創設のれんの資産計上を明確に禁止している。それは、自己創設のれんは、信頼性をもって原価で測定できるような、企業が支配している識別可能な資源ではないからである。自己創設のれんは、分離可能ではなく、契約その他の法的権利から生じたものでもないので、そもそも識別のできないものである。

自己創設のれんは、すなわち報告企業の超過収益力を意味し、会計帳簿上の純資産以上の企業価値を意味する。これは、報告企業自らが報告企業自身の企業価値を見積もることになり、財務諸表の利用者が報告企業の価値を見積るのに役立つ情報を提供するという本来の財務諸表の役割と矛盾することになる。また、報告企業の超過収益力について、客観的な見積もりは不可能であり、財務諸表全体の客観性を大きく損ねてしまう。このようなことから、自己創設のれんを財務諸表に計上することは認められていない。

 

企業買収の場合

以上のような会計処理は、しかし、企業買収という行為を経ると、大きく様相が異なってくる。企業買収をした場合は、企業自身が連続して運用してきた資産とは異なる歴史を持つ、一連の資産および負債が財務諸表の中に参加してくることになる。新しく参加する資産および負債は、報告企業自身が自ら培った自己創設のれんとは異なり、買収価格という客観的な数字を伴って参加してくる。買収価格は、実際に発生した取引に基づく値であり、たとえば、現金買収の場合には、現金の流出という具体的な資産の実際の変動を伴うものである。よってその数字は客観的なものであり、会計上は尊重せざるを得ない。しかし、このように参加してきた一連の資産および負債は、会計の連続性という観点から言えば、トラブルメーカーである。それをどう扱うか、それが企業結合会計であり、買収のれんの扱いという大きなテーマとなる。

以上

本記事に関する留意事項

本記事は皆様への情報提供として一般的な情報を掲載するのみであり、その性質上、特定の個人や事業体に具体的に適用される個別の事情に対応するものではありません。また、本記事の作成または発行後に、関連する制度その他の適用の前提となる状況について、変動を生じる可能性もあります。個別の事案に適用するためには、当該時点で有効とされる内容により結論等を異にする可能性があることをご留意いただき、本記事の記載のみに依拠して意思決定・行動をされることなく、適用に関する具体的事案をもとに適切な専門家にご相談ください。

お役に立ちましたか?