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第23回 企業価値とのれん(その3)

月刊誌『会計情報』2022年2月号

国際会計基準(IFRS)―つくり手の狙いと監査

前 国際会計基準審議会(IASB)理事 鶯地 隆継

フィクションとしての、のれん

企業買収に伴って取得した資産の取得原価を配分する作業(PPA:Purchase Price Allocation)の結果、配分しきれなかった残余がのれんとなる。したがって、のれんの金額の算出は、積極的な算出ではなく、買収価格と取得原価の配分が可能であった個別資産の合計値との差額という、消極的な算出によって導かれる。PPAによって取得原価が配分される資産には、現金や有価証券のように極めて明確に取得原価が確定するものもあれば、工場や土地のように、公正価値の見積もりが必要なものもある。公正価値の見積もりが必要な資産の中には、工場や土地のように比較的信頼できる公正価値を見積ることが可能な有形資産もあれば、公正価値の見積もりが難しい無形資産もある。とりわけ、被取得企業が創業以来築いてきたブランドや顧客基盤、知的財産、技術資産といった自己創設無形資産については、見積もりが難しい。

このような自己創設無形資産は、被取得企業においてはオフバランスであることが多い。一般論として、自己創設無形資産は概念フレームワークで定義された資産の要件を満たしていた場合でも、オンバランスされることは稀である。その理由としては、その取得原価を、信頼性を持って測定することが困難であるからである。すなわち、資産の定義を満たしても、認識の要件を満たさないからである。IAS第38号「無形資産」第51項(b)では、無形資産の取得原価を、信頼性を持って測定することが困難であることの理由として、無形資産を内部で創出するためのコストは、企業の自己創設のれんの維持又は増強のためのコストや、日常業務の運営のコストと区別できないからであると指摘している。

一方、企業買収を通じて、取得企業が取得した被取得企業の自己創設無形資産は、オンバランスされることが多い。その理由は、取得企業が取得時に対価を支払っているからである。企業買収では、対価を支払って被取得企業の個別資産を企業ごと取得しているのであるから、企業買収の結果取得される個別資産の公正価値が、企業買収の対価の中に含まれているはずである。したがって、取得した個別資産の取得原価は、その個別資産の公正価値である。このような流れから、被取得企業の自己創設無形資産についても、取得日の公正価値を算出することができれば、信頼性を持って測定された無形資産の取得原価として配分できることになる。このことにより、被取得企業ではオンバランスできなかった無形資産が、取得企業の買収後のバランスシートではオンバランスとなる。たしかに、企業買収の性質によっては、顧客基盤や技術資産を主なターゲットにした企業買収もある。そのような企業買収においては、無形資産のターゲット価格をベースにして積み上げて企業の買収価格を決めるケースもある。そのような場合には、ターゲットとなる無形資産については、取得企業が妥当であると考えていた公正価値があり、そのような公正価値は信頼できるといえる。

しかし、全ての企業買収がそのような緻密な積み上げ計算によって成立している訳ではない。もちろん買収する以上は、財務諸表などの公開情報や、その他さまざまな情報を通じて被買収会社の資産内容を分析して、妥当と思われる公正価値を積み上げて計算はしているが、本当の内容は、買収後にその会社の資産内容を精査しないと分からない。買収後に発見する事実もあり、想定していた環境も異なることもあって、PPAの作業の中でも被取得企業の自己創設無形資産の取得原価配分は、きわめて困難であり、大きな判断が必要となる。言葉を飾らずに言えば、恣意的になるリスクも高い。

そもそも、買収時点で想定していなかった個別の資産の取得価格は、フィクションである。なぜならば、買収価格を決める際に、そのような資産は計算に入っていなかったからである。また、計算に入ってはいたが、当てが外れた資産もあるであろう。高度な技術を保有していると信じて買収したが、買収してみれば、意外に陳腐化した技術であったというようなこともあり得る。このように、企業買収というのは福袋を買うようなものであり、福袋全体の値段はあっても、福袋の中身の個別の値段はないのである。

このように、PPAで算出した個別の資産の取得原価にフィクションがあれば、その残余として算出されるのれんの金額もフィクションとなる。しかし、のれんの金額は、いったん算出されてしまうとそれがひとり歩きする。

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サンクコストとしての、のれん

一方で、このように算出されたのれんの金額を、投資家はどのように見ているのであろうか。投資家の意見はさまざまであり、それぞれのアナリストが行っている分析技法によっても意見は異なるので、一般的な見解というものを導き出すのは難しい。ただ私がIASBでのれんの議論をするにあたって、さまざまなアウトリーチの場で聞かれた意見の中で印象的であったのは、のれんはサンクコストなので、そもそも分析の対象にしていないという言葉であった。

のれんの会計処理の議論は、作成者や監査人にとっては非常に関心の高い議論であり、強い主張も聞かれるが、投資家やアナリストからは、会計処理そのものについての強い意見は、あまり出てこない。それというのも、のれんに関しては既にキャッシュが対外的に流出してしまっているものであり、既に流出した金額について、あれこれ分析しても有意義な情報は出てこないと考えている。したがって、多くのアナリストは企業価値分析においては、のれんの金額を純資産価格から差し引いている。そのため、どのような会計処理をしようと、それは分析上のノイズにしかならず、ノイズは少なければ少ないほど良いと考える。たとえば、のれんを償却すると、毎期一定の金額が、のれん償却費として損益認識される。このことは業績をミスリードしているだけだと考える。

このような発想の違いが、のれんは償却すべきか、あるいはすべきではないという、長く続いている議論の根源にある。では、なぜアナリストたちはのれんをサンクコストと考えるのであろうか。そもそもサンクコストとは、投資や生産活動に投じた費用のうち、その経済活動を途中で中止、撤退、白紙にしたとしても、回収できないような費用を意味する。すなわち埋没してしまった費用である。もちろんそのような投資や生産活動は初めから行わなければよかったのかもしれないが、それは当初ではそれは予測できなかったので、結果的に回収不能の費用が発生してしまった場合などに使われる言葉である。もし、サンクコストが、このような一般的な解釈どおりであるとするならば、それは、減損資産である。

のれんは、しかし、少なくとも取得時点では減損資産ではない。取得時点で減損であると分かっているならば、そのような取得は行われないはずである。企業が意図を持って企業買収をした以上は、のれんは、少なくとも買収を行った取得企業においては、減損資産ではなく、将来キャッシュフローを生む立派な資産であるはずである。では、なぜアナリストは、そのような資産をあたかも減損資産であるかのように扱うのであろうか。

 

プロフォーマ財務諸表

現在の企業結合会計はIFRSのみならず、US-GAAPでも日本基準でもパーチェス法に一本化されている。パーチェス法は、他の企業の支配を獲得する取得企業の観点から企業結合を捉えるものである。企業結合会計をパーチェス法に一本化した理由は、ほとんどの企業結合は、どちらかの企業がもう一方の企業を取得する取引であるという事実に着目したからである。もし企業結合の大部分が取得という行為であるならば、取得企業の観点からの会計処理に統一した方が、持分プーリング法などの複数の会計処理を準備して、その選択の基準を定めるなどの複雑な会計処理をする必要はない。また、パーチェス法以外の選択肢のある会計処理は濫用を招く可能性がある。実際にパーチェス法に一本化する以前は、持分プーリング法の濫用が問題となっていた。このようなことから、企業結合会計はパーチェス法に一本化され、現在に至っている。

ただ、パーチェス法には実は大きな欠点があった。それは、企業買収というイベントを挟んで、企業結合前と企業結合後の間に大きな分断があることである。たしかに取得企業の観点からは、新たな資産を取得したという大きなイベントがあり、取得前と取得後で全く異なる事業体になったのであるから、分断があるのは当たり前である。しかし、被取得企業の立場から見ればどうであろうか。たとえば、被取得企業の取引先から見れば、企業結合というイベントは、単に取引先の株主が変わっただけのことである。もちろん株主が変わったという事は、取引先を連結ベースで見れば、取引先そのものが別の企業体に変わったのであるから、大きな変化ではある。しかし、日常の取引は連結企業体と行っている訳ではなく、単体の企業と行っているのであり、その取引自体は、企業買収というイベントがある前と後とで何も変わらない。

もちろん、アナリストの多くからパーチェス法は歓迎されている。それは、パーチェス法が現実の取引の実態を適切に反映しているからである。また、パーチェス法では、取得した資産及び引き受けた負債を公正価値で当初認識するので、それらの資産や負債に対する市場の期待が財務諸表に反映されるからである。

ただ、多くのアナリストは同時に、企業のパフォーマンスを数年間のトレンドで把握しようとしている。たとえば、過去10年間の売上高の推移や、収益力の推移を把握して、今後の収益力を予想する際の参考にしている。被取得企業の収益のトレンドが、買収があったことによってどう変化したのかは、アナリストにとって最大の関心事である。このため多くのアナリストは、被取得企業のプロフォーマ財務諸表というものを取得企業に要求する。プロフォーマ財務諸表とは、ある一定の仮定に基づき、ある事業部門の財務情報を切り出した財務諸表のことを指すことが多いが、ここでは、被取得企業の事業を切り出した財務諸表を意味する。すなわち、被取得企業が独立して事業を継続していると仮定して作成した財務諸表である。被取得企業が単体企業として、従前と変わらない営業をしている場合は、その単独財務諸表が参考になるが、通常の企業買収では、資産や事業の入れ替えが行われるので、プロフォーマ財務諸表の作成を要求されても、作成できない場合も多い。

しかし、取得企業と被取得企業の両方の業績の推移やトレンドを見たい場合は、プロフォーマ財務諸表は是非とも入手したい情報である。たとえば、あるアナリストが、Aという企業と、Bという企業があって、それぞれの企業の業績トレンドを注目していたとする。ところが、ある日企業Aが企業Bを買収したとする。当然、企業Aはパーチェス法を用いて企業結合会計をするので、企業Aが取得企業になる。企業Bの資産は、企業Aの連結財務諸表上で公正価値評価され、取得価格との差額はのれんとして計上されることになる。Aの株主の立場からはこれで問題ない。しかし、Aという事業と、Bという事業のビジネスのトレンドを把握しようとしているアナリストからすれば、非常に困ったことが起きることになる。ビジネスのトレンドが分断されるのである。トレンドが分断されるのは、被取得企業の企業Bのビジネスだけではない。買収という大きな資金移動が発生し、財務諸表の構成が大きく変わるので、全体の流れも分断される。

ところで、企業Aによる企業Bの取得という行為は、企業Aが、企業Bの株主に対してキャッシュなどの対価を支払う行為である。仮に企業Aと企業Bの両方の業績のトレンドを見ているアナリストが、Aという事業とBという事業の全体の成長をトータルで把握しようとしていたとすると、ここで起こった企業結合は、単に、企業Bの株主に対してキャッシュが流出しただけの事象である。特に個別の資産価値以上の対価を支払ったのれんは、企業Bの株主の利益となっただけの可能性がある。したがって、このような見方をしているアナリストは、のれんをサンクコストと考える。
 

真のシナジー効果とは

企業買収の成果のひとつはシナジー効果の発揮である。Aという事業とBという事業が合体してひとつになることで、無駄が省け、効率が向上し、マーケットシェア拡大によるメリットや、技術の補完などにより、単なるA+Bよりも、より大きな成果を実現することである。真のシナジーとは、取得企業の立場からだけのシナジーではない。取得会社の立場だけから経済効果を発揮したとしても、本当の意味で企業結合の経済的効果があったのかは分からない。それを見るためには、事業Aと事業Bの業績を一体としてモニターする必要がある。事業Aと事業Bの業績を買収というイベントの前から、一体としてその業績の推移を見て、企業Aと企業Bが結合することで、どれだけ真のシナジーが発揮できるのかが、ポイントである。この点は、取得企業の立場から会計処理をするパーチェス法による企業結合会計では、なかなか見極めるのが難しい。

企業Aと企業Bをはじめから一体として見た場合、企業Aによる企業Bの取得というイベントは、企業Aと企業Bが実際に一体となった経営を行い始めるために、企業Bの株主に対して、その対価を支払ったという見方ができる。すなわち、より効率的な経営をするために、A+Bという事業から、B企業の支配株主をキックアウトする為に対価を支払ったわけである。では、その対価に見合った真のシナジー効果が発揮されるのかどうか、それを見極めるための情報をアナリストは求めるのである。

以 上

本記事に関する留意事項

本記事は皆様への情報提供として一般的な情報を掲載するのみであり、その性質上、特定の個人や事業体に具体的に適用される個別の事情に対応するものではありません。また、本記事の作成または発行後に、関連する制度その他の適用の前提となる状況について、変動を生じる可能性もあります。個別の事案に適用するためには、当該時点で有効とされる内容により結論等を異にする可能性があることをご留意いただき、本記事の記載のみに依拠して意思決定・行動をされることなく、適用に関する具体的事案をもとに適切な専門家にご相談ください。

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