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第26回 企業価値とのれん(その6)
月刊誌『会計情報』2022年6月号
国際会計基準(IFRS)―つくり手の狙いと監査
前国際会計基準審議会(IASB)理事 鶯地 隆継
Goodwill
のれんは英語ではGoodwillであるが、Goodwillの本来の意味を辞書でひいてみると、好意や、善意、誠意、親切といった表現が並ぶ。Goodwillは、相手に対しての好意や友好的な感情(通常は恋愛感情を除く)を表現する言葉で、国際親善などに用いられる言葉である。さらにそれが発展し、交渉において、こちら側の誠意や善意を交渉相手先に示す場合や、今後のお付き合いのためにこちら側の気持ちを示すような場合に使われる。一方で、日本で使用されるのれんの意味は、説明不要であるが、老舗のブランドの商標としての暖簾から発生しており、暖簾分けという言葉にも表されるように、営業権という意味も含まれるようになった。会計の専門用語としては、日本語ののれんと、英語のGoodwillは直訳的に同義として扱われているが、本来の言葉としての意味は、上述のとおり英語と日本語で大きく異なっている。どうしてそのような相違があるのかについて調べて見ると、少し興味深い背景が見えてくる。
現在会計上使用されるのれんは、主に連結のれんを指すことが多いが、のれんそのものは、連結決算以外でも古くから存在していた概念だった。のれんの会計について、その歴史的背景を含めて体系的にまとめた「暖簾の会計」1によれば、Goodwillという言葉が商取引的な意味で初めて用いられたのは、1657年に採石場の譲渡が行われた際であるという。その際に「採石場の全権利とのれん(Goodwill)を譲渡する」という文言が使用された。その後19世紀に入ってから、主に英国でGoodwillという言葉が「旧顧客が利用を継続する蓋然性」という意味を持つ法律用語として使用されるようになった。
会計用語としてのGoodwillの概念について議論が行われるようになったのは19世紀の後半である。そこでの議論の中心は消費者による愛顧を意味する消費者のれん(Customer Goodwill)であったという。そして顧客が企業に対して好意(Goodwill)を持ってくれているということが、企業の資産であるという会計上の概念が生まれてきた。消費者のれんは、顧客からの信用、評判といった概念となる。このようにして、Goodwillという直訳すれば好意という言葉が、会計上ののれんを意味するようになった。
Goodwillという言葉が出来上がった当初は、基本的に顧客からの愛顧であり、すなわち、顧客ベースのような無形資産がのれんであると考えられていた。それでは、そのような無形資産と、のれんとは何が違うのかについて、本稿第25回で使用した無形資産の設例を用いて分析する。
のれんと、耐用年数の確定できない無形資産の相違
第25回では、企業Xと企業Yという機械設備などの有形固定資産を保有しないサービス業の企業という設例を設けた。その設例の内容は、以下のようであった。
企業X、企業Yともに運転資金の100万円(現金)以外の資産はない。一方で顧客ベースがあり、毎期20万円の収益がある。なお、企業Xと企業Yは同時期に設立され、設立から7年が経過した段階で、顧客ベースが現在の規模になった。創業後7年経過をした段階で、企業Xが企業Yを200万円で買収した。企業Yの資産の内容を精査した結果、運転資金の100万円(現金)以外の資産はなかった。そこで、買収時の処理は以下の3とおり考えられることを示した。(自由選択ではなく、精査した結果としての判断)
① 企業Yには、分離可能で信頼性を持って測定可能な識別可能無形資産(顧客ベース)があり、かつその無形資産の耐用年数を確定(10年)することができる。
② 企業Yには、分離可能で信頼性を持って測定可能な識別可能無形資産(顧客ベース)があるが、その無形資産の耐用年数を確定することはできない。
③ 企業Yには、分離可能で識別可能な無形資産はない。
第25回では、このうち①と②について、数値例を用いて自己創設の無形資産として顧客ベースの会計処理について考察した。企業Xならびに企業Yにおいて、顧客ベースが資産として計上されていないのは、それぞれの企業で、顧客ベースを形成する為に支出した顧客獲得コストが、そのままP/L負担されてきたからである。ところが、企業Xが企業買収により企業Yを買収すると、そのようなP/Lでの負担なしに顧客ベースが獲得される。ここで、取得した顧客ベースは、①であれば償却され、②であれば、償却されない。ただ、留意すべきは②のケースで償却しないのは、耐用年数が確定できないからであって、償却すべきではないということではない。この点において、買収によって取得した被買収企業の自己創設無形資産についての会計処理の考え方は明白である。それは、有形固定資産の減価償却と同様に、取得資産の減耗があるという前提で、その取得コストが、減損か償却かに関わらず、いずれかのタイミングにP/L認識されなくてはならないという考えである。
これに対して③のケースは状況が異なる。識別可能な無形資産がなければ、企業Yの取得価格(200万円)と企業Yの資産(運転資金100万円のみ)との差額はすべてのれんとなる。この場合の会計処理は②のケースの会計処理の結果と、実質的にはかなり近いものとなる。しかし、本質的な考え方は大きく異なる。
本質的な違いとは、②のケースにおいては、顧客ベースという無形資産が存在していることが前提となっているが、③のケースにおいては具体的な資産は存在しない。具体的な資産が存在しないにもかかわらず、取得企業は対価(100万円)を支払っている。取得企業がなぜその対価を支払ったのかの分析が重要になり、本来はその理由によって会計処理が違ってしかるべきである。しかし現行の企業結合会計では、それ以上の分析はせずに、のれんを非償却資産としてB/Sに計上することを要求している。結果的に会計処理は②のケースとほぼ同様になる。
ただし、②のケースでは具体的な資産が特定されているので、事後測定においては、その具体的な無形資産としての測定が行われ、対象範囲もはっきりしている。一方で、③のケースでは具体的な資産は特定されていないので、合理的な事後測定ができない。企業結合で認識されるのれんは、企業結合で取得した個別に識別されず独立して認識されないものである。したがってのれんが資産としてB/Sに計上されているのは、あくまでも他の資産から生じる将来の経済的便益を表しているからである。のれんは他の資産又は資産グループから独立してキャッシュフローを生み出すことはない。なぜなら、のれんの中には具体的な資産がないからである。それは、あたかもゼロにどんな数字をかけてもゼロにしかならないのと同じである。ここが②と③の本質的な違いとなる。このため、のれんの事後測定については、技術的な妥協が必ず必要になる。その技術的な妥協点をどこにおくかについて、国際的議論があるのだが、その論点は後の稿に委ね、先にのれんの本質とは一体何かについて考えたい。
のれんの本質
のれんの本質は何かについての考え方は、時代と共に変遷してきた。ここでは「暖簾の会計」で展開された暖簾の本質についての、発展を手短に紹介する。
無形財的のれん観
Goodwillの言葉の由来となった顧客による愛顧をのれんと考える「無形財的のれん観」2が中心となった19世紀後半では、まだ個人企業やパートナーシップが経済において重要な地位を占めていた。したがい当時ののれんの議論は、どちらかというと法律の観点から、無形資産としてののれんが念頭におかれたものであった。
超過利潤的のれん観
しかしその後20世紀に入り、企業の活動形態も株式会社が中心となり、会計理論が本格的に発展し始める。そして、のれんについても単に顧客からの愛顧という狭い概念での無形資産的なのれんから、さまざま要因によって発生するのれんの研究が進んだ。たとえば、顧客の愛顧だけではなく、労働者の能力や、それを管理する方法などが企業の優位性を生み出すということに注目した労働者のれんという考え方や、銀行との関係や資金提供者である資本家との関係に着目した資本家のれんという考え方も現れた。さらに会計においても損益計算書を中心とした企業の収益力に注目する考えが強くなってくる中で、上記のようなものを全て含めた企業の超過利潤を生み出す能力としてのれんを測定するという考え方「超過利潤的のれん観」が唱えられ、20世紀の前半にはさまざまなのれんや企業価値の測定方法が発達した。
残余的のれん観
20世紀の後半に入ると企業が多角化・グループ経営を行うようになり、会計において連結決算が重要になってきた。資本の流動性も活発になり、企業買収も活発化する。そのような中で、のれんは企業結合の過程で発生する投資差額としての連結のれんが中心となる。そして1970年代から80年代にかけて、のれんを残余として捉える「残余的のれん観」が台頭する。そして、のれんは、企業全体の価値とその企業の分離可能な純資産の公正価値総額との差額であるという実務的な考え方が一般的となり、この考え方は現在ののれんの算出実務に繋がっていく。
シナジー的のれん観
その後21世紀に入ってから、残余としてののれんの構成要素を分析し、その中から独立した積極的な価値を見つけ出そうという試みがなされた。のれんの要素を分析すると、企業が被取得企業の純資産価値以上に支払った買収価格の中には、単なる過大支払いや、測定誤差、会計基準の相違から発生する差異なども含まれる。一方で、被取得企業のゴーイングコンサーン価値や、取得企業と被取得企業の資産が結合することによるシナジー効果の価値には独立した価値があり、のれんを単なる残余として切り捨てられない理由となる。このような考え方は「シナジー的のれん観」と呼ばれている。
最後に紹介した「ジナジー的のれん観」の考え方は、現行のIFRS第3号「企業結合」にも反映されている。のれんの構成要素について、IFRS第3号の結論の根拠BC313項には、FASBの公開草案から引用した表1のような分析が紹介されている。
【表1】のれんの構成要素の分析
構成要素1 |
取得日時点の被取得企業の純資産の帳簿価額に対する公正価値の超過分 |
構成要素2 |
被取得企業が以前には認識していなかったその他の純資産の公正価値。【それらは、測定上の困難のため認識の規準に合致していなかったか、当該資産の認識を禁止する要求事項があったか、又は被取得企業が当該資産を個別に認識する費用は便益によっても正当化されるものではないという理由により、認識されていなかったのかもしれない。】 |
構成要素3 |
被取得企業の既存の事業における継続企業(ゴーイングコンサーン)要素の公正価値。 【継続企業要素は、当該純資産を別々に取得しなければならなかったとした場合に予想されるよりも高い収益率を、確立された事業が純資産の集合体に対して稼得する能力を表すものである。当該価値は、当該事業の純資産の相乗効果及びその他の便益(例えば、独占的利益を得る能力や、法的及び取引コストの両面からの潜在的な競争者の市場への参入に対する障壁を含む、市場の不完全性に関する要因など)から生じる。】 |
構成要素4 |
取得企業と被取得企業の純資産及び事業を結合することにより期待される相乗効果(シナジー)及びその他の便益の公正価値。 【当該相乗効果及びその他の便益は、企業結合ごとに特有のものであり、異なる企業結合では異なる相乗効果が創出され、したがって異なる価値が創出されることになる。】 |
構成要素5 |
提示する対価を評価する際の誤謬により生じた、取得企業が支払う対価の過大評価。 【全額現金での取引における購入価格では、測定上の誤謬は関係しないが、取得企業の持分が関連する取引(株式交換などによる買収)に関しては必ずしも同じことがいえない。例えば、日常的に取引される普通株式の数は、企業結合で発行される株式の数と比較して少ないかもしれない。その場合には、企業結合を実行するために発行された株式のすべてに現在の市場価格を帰属させることで、当該株式を現金で売買して、その現金を企業結合に使用する場合の株式の価値よりも、高い価値を創出することになる。】 |
構成要素6 |
取得企業による過大支払又は過小支払。 【例えば、被取得企業に対する入札の過程で価格が引き上げられる場合に過大支払が生じるかもしれない。過小支払は強制売却(投売りとも呼ばれる)の場合に生じるかもしれない。】 |
出所:IFRS第3号結論の根拠BC313項に筆者が加筆をして作成
企業価値への影響
IFRS第3号の結論の根拠では、表1で紹介した構成要素のうち構成要素3と4のみが実質的なのれんであるとされている。それ以外のものは、買収に伴ってのれん以外資産として認識されるべきものか、あるいは買収費用として即時に損失認識されるべきもの(過大見積り、過大支払いなど)である。構成要素3の継続事業と構成要素4のシナジーのみが、実質的なのれんであり、これらの要素はコアのれんと呼ばれる。
コアのれんは、企業結合という行為によって創設された、実質を伴うあらたな価値であり、過大見積りや、過大支払いなどとはまったく異なる。コアのれんは、企業結合前の企業がそれぞれ単独では実現し得なかった付加価値を企業にもたらし、全体としての企業価値を向上させる。
しかし、問題はその識別が難しいことである。どのような企業買収においても、過大支払いであることを認識しながら買収を行うということは想定しづらく、買収時点においては、すべてが実質を伴う新たな価値であると信じられていたはずである。となるとやはり、企業結合後の事後測定のあり方に議論の焦点が移ってくる。
以 上
1 「暖簾の会計」山内暁 中央経済社 2010年3月
2 「暖簾の会計」では一貫して暖簾という漢字での表記が使用されているが、本稿では、他の部分と整合させるためにのれんというひらがな表記を使用している。
本記事に関する留意事項
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