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第25回 企業価値とのれん(その5)

月刊誌『会計情報』2022年5月号

国際会計基準(IFRS)―つくり手の狙いと監査

前 国際会計基準審議会(IASB)理事 鶯地 隆継

のれんの償却

日本の会計基準とIFRS会計基準との最大の相違点のひとつは、のれんの償却の有無である。日本の企業結合会計では、のれんは20年以内の任意ののれん年数での償却が求められているのに対し、IFRSではのれんの償却は求められていない。このため、特に規模の大きな買収を行う企業にとっては、日本の会計基準で求められるのれん償却費が大きく企業収益を圧迫している場合がある。そのような企業がIFRSの適用を開始すると、のれん償却費がなくなるため、IFRSに切り替えた途端にみかけ上の利益が大きく改善する。一般向けのマスコミ情報では、この償却負担の相違を指して、IFRSは日本基準に比してみかけ上の利益が過大に表示される基準であるといった説明がなされることもある。

一方で、日本ではのれんの償却が義務付けられていたために、見かけ上の利益への影響が大きく、そのために積極的なM&Aが進まなかったという指摘もある。欧米の企業と日本企業はこの十数年間、イコール・プレーイング・フィールドに立った企業競争ができなかったとの批判もある。会計基準の相違が、日本企業の経済活動にどの程度の影響を与えたのかを立証することは困難ではあるが、何らかの影響を与えてきたのは間違いないであろう。

それでは、なぜ日本の会計基準とIFRSでこのような相違が生まれたのであろうか。それは、IASBが2008年にIFRS第3号の改訂を行った際に、日本基準がその改訂に追随しなかったからである。これは日本の国内で十分な議論がなされたうえでの結論であり、見かけ上の利益が低くなるという点も考慮に入れた上での判断であった。このため、日本独自の基準である修正国際基準(JMIS)においても、IFRSからの修正する項目としてのれんの償却が加えられている。

日本としては、のれんは償却すべきという立場であったので、企業会計基準委員会(以下、ASBJ)は、機会を捉えて、のれん償却の再導入をIASBに働きかけてきた。たとえば、ASBJは、欧州財務報告諮問グループ(EFRAG)及びイタリアの基準設定主体(OIC)と共同で、「のれんはなお償却しなくてよいか」というペーパーを公表している。※1

このような日本の市場関係者の継続的な努力の影響もあり、IASBは2020年3月にディスカッションペーパー「企業結合-開示、のれんと減損」※2をを公表し、その中で、のれんの償却を再導入すべきかという項目が設けられている。IASBの予備的見解は、減損のみのアプローチを維持することであるとしながらも、IASBがこの予備的見解を採決したとき、IASBが減損のみのモデルを維持することに同意したのは、僅差の過半数(IASBメンバー14人中8人)であったことから、広く世界の市場関係者の意見を聞くことになった。

現在、IASBでは世界から集まったコメントを分析した上で、再審議を行っている最中であるが、審議の進行は予定よりも遅れている。このため、本稿にて個別の論点を紹介するのは後の回に譲り、今回は2022年4月号に分析した設例を用いて、保有資産が機械設備に代わって、のれんであった場合を想定して分析を行う。

※1 資料の翻訳はASBJのホームページから入手可能である。
https://www.asb.or.jp/jp/wp-content/uploads/discussion_20140722.pdf

※2 ディスカッションペーパーの内容はトーマツ・センター・オブ・エクセレンスによる資料参照
https://www2.deloitte.com/jp/ja/pages/get-connected/pub/atc/202006/kaikeijyoho-202006-03.html

556KB, PDF ※PDFダウンロード時には「本記事に関する留意事項」をご確認ください。

のれんの発生

2022年4月号では、以下のような企業Aが企業Bを買収したケースを想定した。これを資本提供者の視点から見れば、Aという買収企業を通じて、Bという被買収企業に投資をしたという見方ができる。そこでこれを、資本提供者がAという買収企業を通さずに、Bという被買収企業に直接投資した場合と比較してみた。さらに、企業Aが企業Bを買収した企業ABグループの連結決算と、はじめから同じ機械設備を2台保有している企業Cとの比較を行い、投資家がどのようにして企業価値を測定しているかについて、非常に平易な数値例での説明を行った。その上で投資家やアナリストが行う企業価値評価の作業は、投資をした時点以降の将来の企業価値の増加を予測する作業であるので、減価償却費の負担を足し戻しているということ示した。

企業A
機械設備 A
購入価格 100万円
耐用年数 10年
定額償却 残存価格 0円
収益 年12万円
 
企業B
機械設備 B
購入価格 100万円
耐用年数 10年
定額償却 残存価格 0円
収益 年12万円

 

今回は、この設例を少し変更して、企業Xと企業Yという企業を想定する。企業Xも企業Yも機械設備などの有形固定資産を保有しないサービス業の企業である。したがって、運転資金の100万円(現金)以外の資産はないが、しっかりとした顧客ベースがあり、毎期20万円の収益がある。なお、企業Xと企業Yは同時期に設立され、設立から7年が経過した段階で、顧客ベースが現在の規模になった。設例を単純化する為に、顧客数は100人で、顧客一人を獲得するのに1万円かかると想定されている。また、顧客のうち10%は毎年離脱していくと考えられており、その10%を補う為の新規顧客の獲得費用が毎期10万円かかっている。また、他の経費や税金などは一切発生しないものとすると、企業X、企業Yの8年目以降の予想業績は表1のとおりとなる。

【表1】

企業X
資本金 100万円
収益 年20万円
顧客獲得コスト 年10万円
純利益 年10万円
 
企業Y
資本金 100万円
収益 20万円
顧客獲得コスト 年10万円
純利益 年10万円

 

創業後7年経過をした段階で、企業Xが企業Yを200万円で買収したとする。企業Yの資産の内容を精査した結果、運転資金の100万円(現金)以外の資産はなかった。処理は以下の3とおり考えられる。(自由選択ではなく、精査した結果としての判断)

① 企業Yには、分離可能で信頼性を持って測定可能な識別可能無形資産(顧客ベース)があり、かつその無形資産の耐用年数を確定(10年)することができる。

② 企業Yには、分離可能で信頼性を持って測定可能な識別可能無形資産(顧客ベース)があるが、その無形資産の耐用年数を確定することはできない。

③ 企業Yには、分離可能で識別可能な無形資産はない。

これら3とおりの処理に伴って、買収後の連結財務諸表に計上される資産は以下のとおりとなる。

【表2】

 
識別可能な無形資産 顧客ベース 顧客ベース
公正価値 100万円 100万円
耐用年数 10年
のれん 100万円

 

ケース③では、企業Yには財務諸表に計上できる資産は、運転資金の100万円しかなく、投資額200万円との差額100万円がのれんとして計上される。

顧客ベースの扱い

のれんの議論に行く前に、企業Yが保有している顧客ベースについて少し分析してみる。上記の3とおりの会計処理に伴う企業Xの連結決算における企業Yの業績は以下の表3のとおりとなる。

【表3】

 
無形資産(顧客ベース) 100万円 100万円
収益 20万円 20万円 20万円
顧客獲得コスト 10万円 10万円 10万円
無形資産償却費 10万円
純損益 0円 10万円 10万円

 

ここで①の会計処理は、企業Yの顧客ベースを有形固定資産として扱ったのとほぼ同様の扱いとなる。投資家やアナリストが行う企業価値評価の作業は、投資をした時点以降の将来の企業価値の増加を予測する作業である※3。企業Yの顧客ベースが100万円の資産として計上されるのは、企業Xが企業Yを買収する為に企業Yの前のオーナーに対して支出したキャッシュを反映しているだけであり、将来キャッシュ・フローの予測には影響しない。このため、投資家が企業Yの業績を分析する際には、2022年4月号で説明したとおり、償却費を足し戻している。したがって、①の場合の純損益が0円であっても償却費を足し戻す結果、純損益は②、③と同じとなる。

ただし、有形固定資産と無形資産の違いは、無形資産の減価が見えづらいことである。この設例の①では、顧客ベースを分離可能で信頼性を持って測定可能な識別可能無形資産とし、かつ耐用年数が確定できるとしたが、実際はこのようなことが難しい場合の方が多い。無形資産の価値が確定可能な耐用年数を伴って消滅すると確定できるのは、特許権やライセンスなど、その無形資産への支配や使用に法的な制限年数がある場合や、その無形資産の活用に必要となる有形資産の耐用年数の制限を受ける場合などが中心である。

顧客ベースの場合は、その存在は識別できたとしても、サブスクリプションなどの明確な契約がない限り、その耐用年数を確定するのは困難である。それは、有形固定資産と異なり、顧客ベースのような無形資産が最終的に消滅してしまうことはないからである※4。仮に消滅する可能性があったとしてもそれを予見するのは難しい。その場合は、その無形資産が企業への正味のキャッシュ・インフローをもたらすと期待される期間について予見可能な限度がないという扱いになり、資産計上できたとしても②の処理となることが多い。

※3 異なる分析の仕方をする投資家・アナリストもいるが、ここでは、これから企業XYグループに新規の投資をするかどうかを判断する投資家・アナリストを想定している。

※4 顧客ベースを市場毎、商品毎に細分化し、厳密に管理している場合は、特定の商品や市場の顧客ベースが消滅することはあり得る。

顧客獲得コスト

有形固定資産と比較して無形資産の会計処理を難しくしているもうひとつの要因は、その維持費の扱いである。有形固定資産の場合でも、資本的支出と資産の維持との区別は難しいが、無形資産の場合は、さらに難しい。なぜなら無形資産の維持費は、一般的な企業の運営コストとの区別がつかず、かつ無形資産の状況も客観的に測定できないからである。

たとえば、顧客ベースの存在は認識できても、その増減(出入り)を把握できなければ、顧客は概ね100人で安定しているという評価となる。その100人のなかで、実際の顧客一人一人は毎年入れ替わっていたとしても、100人の顧客ベースという無形資産が安定して存在しているよう見える。企業Yには、毎期発生している顧客獲得コスト10万円があるので、その10万円の支出によって100人の顧客ベースを「維持」しているように見える。したがって、顧客獲得コストは顧客ベースの維持費であるという見方もある。その場合、顧客ベース維持費の10万円と、ケース①のように、顧客ベースという無形資産の償却費10万円を計上するのは、経費の二重負担のように見える。実際に多くの投資家やアナリストはそのように主張する。顧客獲得コストに加えて償却費10万円を追加で認識すれば、当面の間、企業Yの連結上の純利益は0円となり、今後の企業価値の増加は見込まれないようなメッセージを与える。投資家やアナリストは、それは明らかにミスリーディングであると考える。

一方、経理や会計の仕事に携わっている人であれば、これが二重負担でないことはすぐに理解できる。なぜならば、当初存在した100人の顧客はそのまま維持されている訳ではなく、10人ずつ入れ替わっていると想定されているからだ。このため、100万円で獲得した顧客ベースは、放置すれば10年間で消滅する。したがって、①のケースではその耐用年数を10年としたのである。無形資産の償却費は、無形資産の価値の減耗を会計に反映させる処理であり、一方の顧客獲得コストは、あらたに10名の顧客を獲得するためのコストなので、資産の減耗を反映させるコストと、新規の顧客を獲得するコストは別のコストであり、それぞれに認識しなくてはならず、二重負担ではない。

ここで、顧客ベースについて単純化する為に、顧客獲得コストと収益の関係は以下のようであるとする。

  • 1名の顧客を獲得するために要する費用 1万円
  • 1名の顧客が稼得する収益は、獲得したその翌期から毎年2千円
  • 事業がスタートしてから6年間は顧客の流出がなかったが、7年目に10%の流出があり、その後は毎年10%の流出があると見込まれる。
  • 顧客の流出を補うための新規顧客の獲得を7年目からスタート。
  • 企業X、企業Yとも創業から7年間で、表4に示す形で顧客ベースを形成してきた。

【表4】

  1年目 2年目 3年目 4年目 5年目 6年目 7年目
期首顧客数(人) 0 50 100 100 100 100 100
獲得顧客数(人) 50 50 0 0 0 0 10
失った顧客数(人) 0 0 0 0 0 0 -10
期末顧客数 (人) 50 100 100 100 100 100 100
 
収益(万円) 0 10 20 20 20 20 20
顧客獲得コスト(万円) 50 50 0 0 0 0 10
純利益(万円) -50 -40 20 20 20 20 10
期末運転資金 (万円) 50 10 30 50 70 90 100

 

表4の場合、現在の100人の顧客ベースは創業2年目までに、当初の資本金をほぼ全額投入して築き上げたものであることが分かる。しかし、企業Xならびに企業Yにおいては、上述した制約条件により、それぞれのB/Sには自己創設無形資産としての顧客ベースは計上されておらず、経費処理されている。そのため、創業2年間は赤字である。

自己創設の顧客ベース

企業Xならびに企業Yにおいて、顧客ベースが資産として計上されていないのは、この顧客ベースが、第三者から取得した顧客リストなどによって形成されたものではなく、自己創設の無形資産だからである。自己創設の無形資産については、企業結合によって認識される無形資産よりも、資産計上のハードルがはるかに高い。その理由は取得価格を、信頼性を持って測定することが困難であるからである。上記の例でいえば、顧客獲得コストは広告宣伝や営業活動などに要する人件費が中心となり、それらは企業の運営費用との区別は困難である。安易な資産計上が可能となれば、各年度の業績が歪められる可能性がある。したがって、そのような顧客獲得コストはそのままP/L負担となる。

ところが、企業買収により顧客ベースを獲得すると、そのようなP/L負担は発生しない。パーチェス法の企業結合会計は買収企業の立場から取引を見る。7年目終了時点で、企業Xが企業Yを買収したことに伴い、企業Xの連結決算上資産計上するかどうかは別にして、企業Xが企業Yの顧客ベースを獲得したとみなす。企業X企業Yともに、顧客を獲得するためには顧客獲得コストをP/L負担していたはずだが、企業Xの連結決算では、その顧客獲得コストのP/Lでの負担なしに顧客ベースが獲得される。

ここで、上述の二重負担問題に話を戻すと、上記①の会計処理では、顧客ベースは償却されるので、結果的に顧客獲得コストのP/L負担が償却費という形になって実現する。経理上、無形資産の償却と顧客コストのP/L負担は別のコストなので二重負担ではない。また、上記②の場合は、本来はどこかのタイミングでP/L負担が必要であるとの立場でありながら、そのタイミングが不明なので、タイミングが判明するまで、すなわち減損が必要と判断されるまで放置するという考え方になる。この場合も、タイミングの問題はあるが、無形資産の償却と顧客コストのP/L負担は二重負担ではないと考えている。

しかし、③の場合は少し話が異なる。次稿でそれを分析する。

以 上

本記事に関する留意事項

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