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第31回 企業価値とのれん(その11)

月刊誌『会計情報』2023年2月号

国際会計基準(IFRS)―つくり手の狙いと監査

前ᅠᅠ国際会計基準審議会(IASB)理事 鶯地 隆継

尽くされた議論

2022年11月24日、IFRS財団は異例のプレス・リリースを行った。プレス・リリースの内容は、IASBがのれんの会計について、減損のみのアプローチを継続することを暫定決定したことを伝えるものであった。IASBは毎月審議を行い、数多くの暫定決定を行っており、その決定内容は毎月公表されるIASB Update という文書に要約される。したがって、個々の決定について、いちいちプレス・リリースを行うことはない。ところが今回、のれんの会計処理について特別にプレス・リリースが行われた。それだけこのトピックに関して世界中が注目をしていたことを示している。

プレス・リリースでは、今回の暫定決定は、IASBが2014年に開始したIFRS第3号「企業結合」に関する適用後レビューにおいて蓄積された評価の集大成ともいえる決定であると説明されている。そして、IASBがのれんの会計について減損のみのアプローチを継続する理由は、これまでの収集してきたエビデンスには、のれんの会計を変更しなければならないというほどの差し迫った状況(compelling case)を示すものはなかったからであるとしている。ここで重要なことは、暫定決定の判断は、のれん償却か減損のみか、どちらの会計処理が優れているかという判断ではなく、現状の会計を大きく変更して、のれん償却の再導入の開発に着手しなければならないほどの差し迫った状況がこれまでの議論の中で示されたのかどうかという点が判断のポイントであったという点である。

もちろん、のれん償却か減損のみか、どちらの会計処理が優れているかについては、2014年から8年間にわたって議論を積み重ねてきている。IASBは11月24日の決議に先立って、10月と11月の2回に分けてこれまで行ってきた議論を整理している。本稿では、11月の会議で使用されたアジェンダペーパー18Aと18Bにおいて、今後の開発方針を決めるに当たって特に重要であると考えられる論点として採りあげられた以下の3つの論点を紹介し、今後の日本への影響について述べる。

  1. 顕著な情報の改善という観点から
  2. 顕著なコスト軽減という観点から
  3. 無形資産プロジェクトとの関係から 

以下、それぞれの論点について具体的に見ていきたい。

560KB, PDF ※PDFダウンロード時には「本記事に関する留意事項」をご確認ください。

顕著な情報の改善という観点から

IASBはまず、のれん償却の再導入が、投資家に対して企業結合に提供する情報を顕著に改善することができるかという観点から分析を行っている。その上で、情報価値については、市場関係者の意見は双極に分かれており、その原因は以下に示す論点について、それぞれの市場関係者が異なった見解を持っているからだとしている。
 

●のれんの性質に関する異なる見解

見解1:のれんは消耗資産である

まず、のれんの性質について、のれん償却を再導入すべきであると考える市場関係者は、のれんは消耗資産であるとの見解を持っている。のれんが消耗資産であると考える市場関係者の根拠は、競争環境や、技術革新、あるいは、シナジー効果による便益を享受してしまうことや、技術を持った従業員が入れ替わることなどによって、当初取得資産に含まれている価値は時間の経過とともに減耗していくものだという考えである。このように考えた場合、取得企業はのれんを取得しただけではその価値を永続させることはできず、のれんの価値を維持する為に絶えず再投資をしていかなければならない。このような再投資によって維持されているのれんの価値は、取得のれんの価値が維持されているのではなく、後に再投資によって創設されていく自己創設のれんに置き換わっていると考えるべきである。このように考える人たちは、会計の大原則として自己創設のれんは会計計上できないので、会計上は取得のれんの減耗を償却という形で反映させるべきであると考える。

このように考える市場関係者は、のれんの減耗を会計に反映させることによって、以下の2つの点において経営上や投資家に対する有用な情報を提供すると考えている。

① 買収によってのれんの減耗を上回る収益をあげることができるかを検証できる
② のれんの耐用年数が、のれんに対する経営者の期待を反映している

見解2:のれんは無期限の寿命を持つ(耐用年数の確定できない)資産である

これに対して、減損のみのアプローチを維持すべきであると考える市場関係者は、のれんには決まった耐用年数はなく、永続するものであると考えている。したがってのれんの価値が毀損するのは、経営者が想定していない状況になった場合であり、その場合に減損を認識するという会計処理の方が実態を正確に表していると考える。
このように考える市場関係者は、減損のみのアプローチを続けることによって、以下の2つの点において経営上や投資家に対する有用な情報を提供すると考えている。

① 経営者がのれんにいくら支払ったかという金額を(償却せずに)残しておくことによって、経営者の投資家は経営者のスチュワードシップを評価できる。
② 経営者が減損に踏み込むかどうかを観ることによって、経営者による買収案件に対する成否の判断を知ることができる。

このような相対立する2つの見解が存在することについて、IASBのプロジェクト担当のスタッフは、重要な指摘をしている。その指摘とは、のれんは直接測定することのできない残余としての資産であるので、のれんの構成要素はさまざまな要因の混成である。したがって、それぞれの市場関係者は、それぞれ構成要素の別の一部を捉えて見解を得ている可能性があるという指摘である。その上でスタッフは、同じ構成要素についても、市場関係者によって見解が分かれ、どちらかの見解がどちらかの見解に対して明らかに優位となることはなく、現状の会計を大きく変更して、のれん償却の再導入の開発に着手しなければならないほどの、差し迫った状況を示すようなエビデンスは示されていないと報告している。
 

●その他の考慮すべき点

のれんの性質に関する上記の2つの異なる見解以外に考慮すべき点として、スタッフは以下の2点を挙げている。

考慮すべき点1:のれんの減損会計は機能するのか

ディスカッションペーパーでは、現行のIAS36号「資産の減損」によるのれんの減損会計には、シールディング効果などの構造的な欠陥があると指摘されたが、必ずしもそれらのことによって、実際にのれんの残高が過剰となっているという明白なエビデンスは集められていないとスタッフは指摘している。

のれんの残高は、むしろ、金利水準や経済成長などの動き、あるいは無形資産の重要性が増してきたことなどによって左右されており、会計基準が原因でのれんが過剰に積みあがっていると言えるまでのエビデンスは示されていないと、スタッフは報告している。

考慮すべき点2:のれんの耐用年数を見積もることができるのか

のれんの耐用年数を見積もることは可能であると主張する市場関係者もいるが、一方で、耐用年数の見積もりが恣意的になり、利益目標を達成する為に調整されやすいというような報告もあるということが指摘されている。また、耐用年数には上限を設けることが想定されるが、この上限を設けることが、かえって、償却額が有用な情報を提供しているということに疑問を抱かせることになっており、のれんの耐用年数の見積りについての限界を示していると、スタッフは報告している。
 

●提案されている開示案がより良い方法となりうるか

のれんの事後測定という方法は、のれん償却、減損のみのアプローチ、いずれものれんに関する情報提供という観点からは間接的な方法であり、それのみで十分な情報を財務諸表利用者に提供することはできない。それよりもむしろ直接的に財務諸表利用者のニーズを満たす方法は、パッケージとしての開示であり、そのような開示パッケージは、いずれの事後測定の方法の代替となり得ると述べられている。
 

●のれん償却の選択適用は情報を改善できるのか

のれんの償却と非償却という2つの異なる見解に優劣をつけることができないならば、のれんの償却の選択適用を認めることが情報の改善に繋がる可能性がある。選択適用には2種類の方法がある。一つは会計方針の選択を認めることであり、もう一つはどちらかより実態に近い会計処理を選ぶことを要求する方法である。しかし、この選択適用の是非についてはIASBにおいても何度も議論されてきたが、やはり、選択適用は財務諸表の比較可能性と信頼性を損なう事から、この方法は否定されてきている。

顕著なコスト軽減という観点から

情報の改善の次に重要な観点は、基準の変更が顕著なコスト軽減に繋がるかどうかという点である。この点について、11月の会議資料では3つ論点について、スタッフの分析が示された上で、のれん償却の再導入がもたらすコストの軽減がどれだけ大きいかは疑問であるとしている。
 

●コスト削減につながるか

のれん償却のメリットとして、減損のみのアプローチよりも煩雑さが少ないという点が挙げられる。減損のみのアプローチのように観察不能なインプットに頼らなければならないということもなく、減損を見過ごすリスクも少ない。ただ、のれん償却を再導入したとしても減損処理を併用することになるので、減損テストが無くなるわけではない。考えられるメリットとしては、償却をすることでのれんの残高が逓減していくので、減損テストに対する負荷(プレッシャー)が少なくなるというメリットがあるかもしれないという点である。しかし、このようなメリットを達成するためには、のれんの償却がのれんの価値の減価を適切に表現するものでなくてはならない。そのためには、一定年数の定額法で償却を行うのではなく、償却方法・期間の見直しなどを毎年行う必要があり、のれんの減損と併用するとなるとコスト削減にはつながらない。
 

●経過措置の影響

のれんに関する会計処理を変更するに当たっては、これまでに累積して来たのれんの残高をどう扱うかについての経過措置を考慮する必要がある。歴史的積み重ねによって巨額の残高を保有している企業もあるために、仮にのれん償却を再導入した場合に、一時的には大きな混乱が生じる可能性があり、その対応のためのコストはかなり大きくなる可能性がある。たとえば、アジア・オセアニアのある地域においては、のれんの会計処理が変わることによって上場基準に抵触するおそれが生じるとの指摘や、ラテン・アメリカ地域において配当可能利益への影響が生じる可能性もある。このようなことから、移行措置のコストも考慮に入れると、のれん償却の再導入がコスト削減に繋がるという想定はできない。
 

●コンバージェンスの問題

仮にIFRSがのれん償却の再導入を行えば、US-GAAPとの大きな差異が生じてしまう。その場合には、その際の調整の為に大きなコストが生じる。

無形資産プロジェクトとの関係から

IASBは第3回のアジェンダ協議において、無形資産の会計についての見直しを行うプロジェクトをリサーチ・パイプラインに加えている。このため、のれんの会計処理の見直しに関する結論を出すことを、延期してはどうかという意見もあった。それは、のれんの会計処理は無形資産の会計処理と密接に関係している為、それらの議論を一緒に行う方が良いのではないかという理由からである。

しかしながら、今回ののれんに関する議論の中でも無形資産との関係については十分議論されている。むしろ、のれん償却の再導入の是非についての結論を出すことを延期してしまうと、逆に、将来の無形資産のプロジェクトの議論の中にのれん償却の是非の議論を含めなくてはならないという事を決定することになる。これは将来の無形資産の議論への制約になる。

さらに、今回の決定において減損のみのアプローチを採用すれば、現状と変わらず、将来の無形資産の議論において、のれんは償却すべきであるという結論が導かれたとしても、その段階でのれんの会計処理を見直すという事は可能である。一方で、のれんの償却の再導入が必要であるとの十分なエビデンスがあるのであれば、その結論を出すことを延期せずに今決定すべきである。

IASBの結論と日本の今後

以上に紹介した論点に基づき、IASBスタッフは減損のみのアプローチを維持することをスタッフ提案とし、その資料をベースに議論を行った。議論の結果、10対1の賛成多数でスタッフ提案は支持され、冒頭に述べた暫定決定に至った。2014年以来の8年間にわたる議論の結論が出たことになる。ただ、この決定における重要なポイントは、のれんは償却するべきなのかどうかについて、会計理論としての優劣を決した訳ではなく、あくまでも現状のIFRSを変更する必要があるかどうかについての決定を行ったということである。すなわち、現行のIFRSが減損のみのアプローチを用いている中で、あえてそれを変更するほどの、明白で決定的な理由がない限り、現状の会計処理を変更することは難しかったという事である。

この点、現行の会計基準においてのれん償却を行っている日本の市場関係者との感覚とは大きく異なることに留意が必要である。日本の市場関係者にとっては、会計理論として、あるいは会計実務を行う上で、どちらの基準が優れているかを比較して、のれん償却の方が優れているのであれば、そちらを採用すべきであると考えてしまいがちであるが、IFRSをすでに適用している企業にとって、十数年にわたって蓄積した会計慣行を変更することは、やはり、よほどのことが無い限り難しいのである。

一方で、今回IASBが減損のみのアプローチを維持することを暫定決定したという事は、日本にとっても非常大きな影響があると筆者は考える。すなわち、今回の暫定決定により、IFRSにおいてのれんの会計処理は今後半永久的に変更されない可能性がある。それは日本基準とIFRSとの重要な差異も半永久的に解消しないという事を意味する。これまでは、IFRSがのれんの会計基準を見直し、のれん償却を再導入することによって、日本基準とIFRSとの重要な差異が解消する可能性を追求してきたが、今般、IFRSでのれん償却再導入の可能性がほぼ無くなったことにより、日本側が動かない限り、差異が解消されないという状況となった。これは、のれんの会計基準についての日本基準とIFRSとの関係のステージが変わったことを意味する。

新たなステージにおいて特に留意が必要なのは、のれんの会計処理は企業の競争力に影響するという事への配慮である。のれんを償却しようと、減損のみのアプローチであろうと、そのことによって企業の企業価値が変わるわけではない。実際に多くのアナリストは、のれんの残高を自己資本から差し引くといった調整を行っている。しかし、のれんを償却することによって、見かけ上の利益は大きく異なる。特に企業買収を行った直後からのれんの償却負担があると、買収後の数年間は償却負担によって買収効果がマイナスとなるようなケースは多い。一方で、のれんの償却をしない企業では買収直後から買収による収益底上げのメリットを享受することが出来る。こういった見かけ上の利益の違いは、実際の企業の制約になる可能性がある。たとえば、上場基準や、コベナンツなどにおいては、実際の企業価値で判断されるのではなく、表面的な財務諸表の数値で形式的に判断される。そうなれば、特にスタートアップの企業などで、そのような制約によって思い切った買収ができないということが潜在的に起きている可能性はあり、それが今後も半永久的に継続することになる。

のれんの会計処理については、筆者自身はなんらかの方法で償却を行う方が、実務的合理性があると考えている。したがって、今回の検討によってIFRSがのれん償却を再導入することを期待していた。しかし、8年間もの議論を尽くしたのちに、再導入を行わないということをIASBが決定した以上、今後は日本における検討が重要になる。もちろん、IASBが償却の再導入を見送ったからといって、直ちに日本が追従しなければならないということはない。しかし、国際競争上不利となっていないかどうかという検証は真摯に行う必要がある。その上で、もし不利になっている可能性があるとするならば、やはり何らかの手当てが必要であろう。それは必ずしも会計基準の変更だけが唯一の方法ではなく、上場基準や、コベナンツ等、表面的な財務諸表の数値で形式的に判断するような制度を見直すといった方法もあるかもしれない。いずれにせよ、ボールは日本側に投げ返されたのである。


以上

本記事に関する留意事項

本記事は皆様への情報提供として一般的な情報を掲載するのみであり、その性質上、特定の個人や事業体に具体的に適用される個別の事情に対応するものではありません。また、本記事の作成または発行後に、関連する制度その他の適用の前提となる状況について、変動を生じる可能性もあります。個別の事案に適用するためには、当該時点で有効とされる内容により結論等を異にする可能性があることをご留意いただき、本記事の記載のみに依拠して意思決定・行動をされることなく、適用に関する具体的事案をもとに適切な専門家にご相談ください。

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