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第32回 IFRS第17号「保険契約」(その1)

月刊誌『会計情報』2023年3月号

国際会計基準(IFRS)―つくり手の狙いと監査

前ᅠᅠ国際会計基準審議会(IASB)理事 鶯地ᅠ隆継

適用開始日

IFRS第17号「保険契約」が2023年1月1日以後に開始する事業年度に適用される。日本企業の多くは3月決算であるが、3月決算の場合は2024年3月期決算からの適用となる。しかし、海外においては12月決算の企業が多いので、すでに今年の1月からIFRS第17号の適用を念頭に置いた企業活動が開始されている。

IFRS第17号が公表されたのは、2017年の5月である。基準が公表されてから6年近く経過してから基準が適用開始されるというのはかなり異例である。このように適用開始が遅れた理由は、この基準が2度にわたり修正されたからである。修正内容の詳細についての説明は割愛するが、修正を余儀なくされるほど、IFRS第17号は影響の大きい基準であった。それはIFRS第17号が保険ビジネスの考え方そのものを根本的に変えてしまう内容を伴った基準だからである。これまで保険という巨大な産業分野に対して、世界的に統一された会計基準は存在しておらず、IFRS第17号は、これまでなかった全く新しい会計基準を創りだしたので、世界中のどの保険会社にとっても、全く未知の会計基準の適用が要求されることになる。

このようにIASBは全く新しい会計基準を市場に送り出したのであるが、そこまでの道のりは平坦ではなかった。保険契約に関して世界的に統一された会計基準はずっと以前から求められており、IASC(IASBの前身)が保険会計のプロジェクトを開始したのは1997年である。それから、適用開始に至るまで、実に25年の歳月を要した。それほど、保険契約についての会計のあり方について市場関係者の合意を得ることは困難であった。

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IFRS第17号の特徴

IFRS第17号の特徴を非常に簡単にまとめると、以下のとおりとなる。
(IFRS第17号結論の根拠第16項をベースに筆者が作成)

① IFRS 第17号は、保険契約は金融商品とサービス契約の両方の要素を組み合わせたものであると捉えている。

② IFRS 第17号は、多くの保険契約は長期間にわたり相当な変動性を伴うキャッシュ・フローを生成するという考えに基づき、これらの要素に関して有用な情報を提供するために以下のようなアプローチをする。

 a) 将来キャッシュ・フローを現在価値で測定することと、契約に基づいてサービスが提供される期間にわたって利益を認識することとを組み合わせる。

 b) 保険サービス損益(保険収益の表示を含む)を保険金融収益又は費用と区分して表示する。

 c) すべての保険金融収益又は費用を純損益に認識するのか、それとも当該収益又は費用の一部をその他の包括利益に認識するのかの会計方針の選択を、企業がポートフォリオのレベルで行うことを要求する。

このようなアプローチは、多くの法域におけるこれまでの保険会計のアプローチと根底的に異なる。たとえば、多くの法域に於いては、収入保険料がトップラインにあり、その拡大が重要なKPIとして認識されていたが、IFRS第17号では収入保険料をトップラインとして表示することは出来なくなり、保険収益という新たな概念のものに置き換えられる。また当期純利益についての考え方も、全く異なる概念に基づき計算される。さらに保険負債の測定についても、保険契約の基礎率の変動を契約獲得時のもので固定(ロックイン)して測定するのではなく、基礎率の変動を毎期の保険負債に反映させる(アンロック)など、これまでのものと全く異なる測定方法になる。この為、トップラインも純損益も、総負債も、純資産もすべてこれまでのものとは全く違った別物に入れ替わってしまう。

これは経営者にとっては、これまで戦ってきたゲームのルールが全く違ったものになってしまうということだ。極端な話、昨日まで野球をやっていた人が、明日からサッカーをやれと言われているようなものである。野球のルールをベースに様々なトレーニングをして鍛錬してきた人が、いきなりサッカーをやれと言われて、お前は下手クソだと評価され、場合によっては退場を迫られることもあり得るのだ。このようなことがあるので、IFRS第17号の適用開始に至るまで6年近い時間がかかったのである。

 

一般企業への影響

総合商社の主計業務を長く担当していた筆者は、ほぼあらゆる産業分野の経理処理について、一定の理解をしているつもりでいたが、保険会計だけは、ほとんど何の予備知識も持っていなかった。それだけ保険ビジネスは、普通のビジネスとは異なる特別なビジネスであるという思い込みが強かった。実際に、日本における保険会社の財務諸表は一般企業の財務諸表とは大きく異なる。

保険会社は保険業法によって定められた規定に基づいて財務諸表を作成する。保険業法とは、保険業に携わる者(保険会社)が守らなければならない基本的な法律である。この法律の目的は、保険業が不特定多数の人に対して保障サービスを提供するという公共的な性格を有するため、保険業務の健全性や適切な運営、公平な保険募集を確保して、保険契約者を保護することである(保険市場ホームページ:保険用語集より)。保険業法の他に、保険法という法律もある。一般の人にとっては両者の違いは分からないが、簡単に言えば、保険法が保険契約を対象として、保険契約者の利益確保や保護・保険者の義務を定めることを目的とした法律であるのに対して、保険業法は、保険業に対する法律で、保険を扱う保険会社を金融庁が監督するための規定である。すなわち金融庁が保険会社を監督するための法律である。

このため、保険業法には保険業そのものに係る規則の他に、会計に関する規定も多く盛り込まれており、保険業者はこの保険業法に定める会計規定に従って会計処理を行う必要がある。したがい、日本における保険会計は監督目的の会計である。ただ、保険業法は企業としての会計処理を全て規定している訳ではなく、主に保険負債などに偏った項目についての規定しかない。したがって、日本の保険業者は保険業法に定めていない項目については一般の会計基準を適用し、保険負債など保険業法が扱う項目については保険業法が定める規定に従うことになるので、財務諸表全体としては、一般の財務報告目的の会計とは異なる基準による特殊な財務諸表となる。

保険業の財務諸表を特別扱いしているのは、日本に限ったことではなく。世界中の多くの国がそのような扱いをしていた。それだけ保険ビジネスとは一般のビジネスとは異なる特性を持っているのである。そのために世界の多くの国が保険会社を特別扱いしており、財務諸表も特別なものとなっている。 

しかし、IFRSではこのような理屈は通じない。IFRSは全世界の全ての産業分野を一組の会計基準でカバーする基準である。したがい、保険会社を特別扱いしない。IFRS第17号「保険契約」は、「保険会社の会計」ではなく、「保険契約」の会計である。日本を含む多くの法域では、保険業務を免許業務として保険業法などによって特別の会計処理を要求するが、IFRSではそのような手法を取っていない。IFRS第17号では、保険契約というものを定義して、その定義に当てはまる契約を保有していれば、一般企業であってもIFRS第17号を適用しなければならないという仕組みをつくっている(そもそも、IFRSでは保険会社と一般企業を区別していない)。

以上から、IFRS第17号は保険会社を対象とした会計基準だから当社には影響はないと高をくくることはできないということが、ご理解いただけるかと思う。

 

保険契約の定義

IFRS第17号では保険契約を以下のように定義している。

保険契約:

一方の当事者(発行者)が、他方の当事者(保険契約者)から、所定の不確実な将来事象(保険事故)が保険契約者に不利な影響を与えた場合に保険契約者に補償することに同意することにより、重大な保険リスクを引き受ける契約(付録A)

 

IFRS第17号は、企業が発行する保険契約に対して適用される。したがい、保険会社ではない一般企業が、この定義に当てはまる契約を第三者と締結していた場合は、その契約の名称が保険契約という名称でなかったとしても、その契約についてIFRS第17号を適用しなければならないのである。よって、IFRSを適用している企業は、保有している契約の中に保険契約の定義を満たす重要性のある契約がないかどうかを点検しなくてはならない。

ただし、もう少し詳しく見ていくと、IFRS第17号で定義された保険契約は、通常の一般企業が日常業務の中で締結する可能性の高いものではないことが分かる。具体的には、IFRS第17号は保険契約の定義の中に含まれる2つの用語について、別途以下の定義をしている。

保険事故:

保険契約によりカバーされ、保険リスクを生じさせる不確実な将来の事象(付録A)

 

保険リスク:

金融リスク以外で、契約の保有者から発行者に移転されるリスク(付録A)

 

上記の定義から、保険リスクの中には金融リスクは含まれないので、単に金融リスクをカバーするだけの契約は、IFRS第17号の定める保険契約の定義には含まれない。さらに、IFRS第17号は、その第7項において、以下の種類の契約についてはIFRS第17号を適用してはならないと規定している。

a) 顧客に販売した製品に対する製品保証
b) 年金やストックオプションの付与に関して発生した負債
c) 非金融項目の将来の使用に関する契約
  (リース、ライセンス、ロイヤリティなど)
d) 販売した商品やリースに対する残価保証
e) 金融保証契約(保険契約であると明記したものを除く)
f) 企業結合における条件付対価
g) 企業が保険契約者である保険契約
h) クレジットカード契約や与信契約に含まれる保険契約

このように、IFRS第17号では、銀行などの保険会社以外の金融機関を含む一般企業がIFRS第17号を適用しなければならなくなる事態を極力避けるための一定の配慮がなされている。したがって、一般企業がIFRS第17号を適用しなくてはならないというケースはそう多くはないと思われる。

 

本稿の目的

ただし、ビジネスの実態を分析した結果、自社の行っているビジネスの本質は保険ビジネスではないかというようなことがあるかもしれない。そのような実質的な判断をするためには、保険ビジネスの本質を理解しておく必要がある。

本稿の目的は、保険の専門家に対してIFRS第17号の詳細を解説することよりも、むしろ、これまで保険ビジネスに関与してこなかった方々、あるいは保険に関して無関心であった方々に対して、保険ビジネスとはどういう性質のものなのかを含めて解説することにある。そして、IFRS第17号がどういう問題意識の下に創られ、それが、今後金融資本市場にどのような影響を与えるのかを考察していただくヒントを提供することを狙いとしている。次の稿以降で、保険ビジネス発展の歴史的経緯を踏まえながら、説明していきたい。

本記事に関する留意事項

本記事は皆様への情報提供として一般的な情報を掲載するのみであり、その性質上、特定の個人や事業体に具体的に適用される個別の事情に対応するものではありません。また、本記事の作成または発行後に、関連する制度その他の適用の前提となる状況について、変動を生じる可能性もあります。個別の事案に適用するためには、当該時点で有効とされる内容により結論等を異にする可能性があることをご留意いただき、本記事の記載のみに依拠して意思決定・行動をされることなく、適用に関する具体的事案をもとに適切な専門家にご相談ください。

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