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第33回 IFRS第17号「保険契約」(その2)
月刊誌『会計情報』2023年4月号
国際会計基準(IFRS)―つくり手の狙いと監査
前ᅠᅠ国際会計基準審議会(IASB)理事 鶯地 隆継
なぜIFRS第17号が必要だったのか
IFRS第17号「保険契約」はその開発に着手してから25年の歳月を隔て、ようやく2023年1月1日以後に開始する事業年度に適用される。ただ逆に言えば、それまでIFRSには保険会計がなかったのかという疑問が生じる。実は、IFRS第17号「保険契約」が公表されるまで、IFRSに保険契約に関する会計基準がなかった訳ではない。IFRS第4号「保険契約」という立派な基準があった。しかしながら、IFRS第4号は、名称こそは「保険契約」ではあるが、実はその内容は保険契約の会計処理を具体的に示す完全な基準ではなかった。もう少し言えば、IFRS第4号は、EUにおいて2005年にIFRSを強制適用開始に間に合わせるための「仮」の基準であった。
IFRS第4号の目的は、完全な保険契約に係る会計基準ができるまで、保険契約に関する会計について、限定的な改善を加えるものの、保険負債の計測など重要な部分については、現行の実務を継続することをIFRSにおいて認めることを明確にするためのものであった。一般的に原則主義のIFRSでは、必ずしもすべての経済事象について個別に適切な基準が準備されている訳ではないので、個別に当てはまる基準がない場合には、IFRSの「財務報告に関する概念フレームワーク」に沿った会計方針を採用しなくてはならない(IAS第8号「会計方針、会計方針上の見積りの変更及び誤謬」第10項〜12項)と定めている。これによって、IFRSは、仮に個別基準がなくとも大きな原則に従って整合的な会計処理がなされるような仕組みになっている。ところがIFRS第4号は、保険者についてはこのIAS第8号を遵守しなくてもよいとしたのである。結果的に、IFRS第4号に従えば、各法域がそれぞれの法域で利用していた会計基準を、ほぼそのまま適用して、しかも、それをIFRSに従って作成した基準であるとして対外公表できるようになる。これは本来のIFRSの目的とは大きくかけはなれた妥協である。
しかも保険会計の難しい点は、各法域の保険会計は、通常の一般企業の会計とは大きく異なる特徴を持っていることである。多くの法域に於ける保険会計の目的は、企業の期間業績を表すことに重点が置かれているのではなく、保険会社が保険契約者に対して約束した保険金を支払う能力を担保しているかを確認することにある。さらに、そのような支払い能力を担保するための法律や規制は法域によって異なるために、保険会計もそれに合わせて法域によって異なるローカル色の強いものにならざるを得ない。これらのことによって、保険会社の財務諸表は、地域間の比較も、他業種との比較も出来ないものとして、個別の発展を遂げていたのである。IFRS第4号はそのような状況を追認し、表書きだけをIFRSとすることを許すものだったのである。
保険ビジネスの特徴
ではなぜ保険会計がこのような独自の発展を遂げたのだろうか。それは、保険ビジネスが他のビジネスにはない特徴を持っていたからである。以下は全く個人的な所見であるが保険ビジネスには一般のビジネスと大きく異なっている以下の特徴があることを指摘出来る。
a) 商品を仕入れたり、在庫を抱えたりせずに、売上を上げることができる。
b) 入金(保険料の受け取り)が先行し、出金(保険金の支払い)が後になり、かなりの確率で、出金が生じない場合がある。
c) 保険商品はつまるところ金銭のやり取りのみである。
d) 契約が終了するまで、その契約が黒字だったのか、赤字だったのか分からない。このため期間の業績を把握するのが難しい。
もちろん保険ビジネスを行うに当たっては、保険の販売を行う販売員や数理計算を行う専門家(アクチュアリー)が必要で、オフィスを構え、営業拠点を設けるための費用が必要である。しかし、そういったものは保険契約を成立させるため、あるいは、成立させた後の付随的なものである。付随的なものを捨象し、保険契約そのものを取り出してみた場合、保険契約に仕入れは必要ない。通常のビジネスでは、商品を販売するに先立って仕入れを行い、在庫を保有して販売する。在庫が減少した場合は在庫を補填するための新たな仕入れを行う。もちろん仕入れに先行して販売契約を行って、それから仕入れを行う(注文生産など)ことはあるが、売り上げを計上するのはあくまでも商品を引き渡した時点である。サービス産業においても、商品の受け渡しはなくとも、基本的には、サービスを行わない限りには売上を計上しない。一方で、保険契約の場合は、仕入れはなくとも売上(保険料の受取)を計上する。つまるところ、保険契約とは約束をすることだけであり、約束をしているという事自体が売上なのである。
しかも保険契約の場合、ほとんどすべてのケースにおいて入金が先行する。それだけなら他のビジネスでもあり得るが、保険の場合は保険金を支払うという約束事が果たされないで終わる場合がある。むしろその場合がほとんどである。結局保険料だけ受け取って、何もしない。にもかかわらず、顧客である保険契約者からは逆に感謝される。保険金を払わないで済んだということは、保険でカバーした事故が起こらなかったということであり、それこそがまさに保険契約者が望んでいたことであるからである。
保険というビジネスでは、具体的な実体の見える商品やサービスはなく、金銭のやり取りに伴う約束があるだけである。このようなことから、保険ビジネスを、紙と鉛筆だけで行うビジネスだと揶揄されることもある。
また、保険契約を一つの契約単体で見た場合(現実的にはありえないのだが)、その取引が黒字だったのか赤字だったのかは、最終的に契約期間が終了するまで分からない。たとえば、10年間の保険期間のうち最初の9年間は無事故で、保険料だけが入ってきていたとしても、10年目で事故が起こり、保険金の支払いが発生すれば、結局その取引は赤字取引であったという事になる。このような保険ビジネスの期間損益を把握するのは難しい。たとえば、1年目~2年目の期間損益は、保険料だけが入り、保険金の支払いがないので、黒字と言えるが、果たしてそれで良いのかという疑問がある。
このように、保険ビジネスは通常のビジネスと明らかに異なった特徴を持っている。そしてそのような特徴を持つ保険ビジネスの本質を知るには、どうしてこのような特徴を持つビジネスが成立したのか、そもそも保険発祥の経緯を紐解く必要がある。
保険ビジネスの成立
保険の歴史を調べると、「冒険貸借」という言葉が出て来る。この冒険貸借とは、ギリシャ時代から中世に至るまで地中海での交易において使われていた取引形態で、船を出して交易を行う人の資金調達方法である。交易の当事者は、その資金を第三者から調達する際に、積荷が安全に目的地に到着した場合には利息をつけて借入金を返済するが、航海が無事に完了しなかった場合には元本、利息ともに返済義務を免れるという条件をつけて、借入を行っていた。実際に船が難破すれば、交易の当事者には大きな損失が発生する。しかし、その場合、冒険貸借で借りた資金は返済する必要はなく、その損失リスクを融資者が負担するというのが冒険貸借であった。当然のことながら、この冒険貸借の利息は大変な高利であったと言われる。これが保険の原型である。このような冒険貸借が地中海貿易を支えて、ローマ時代を経て、中世まで続いた。
ところが、1230年、当時のローマ法王であったグレゴリウス9世が利息禁止令を出したことにより、このような冒険貸借はできなくなった。それでも、交易の当事者が単独で航海のリスクを負担することはできないので、交易の当事者とその関係者は、いろいろな偽装を重ねて、なんとかリスク分散を試みた。その結果、冒険貸借という取引から、リスク負担という部分だけを切り取って、当初に融資を行うことなく、損害が出て初めてお金をだすという仕組みを考え付いた。これが海上保険の始まりであると言われている。
冒険貸借と海上保険との大きな違いは、冒険貸借の場合は最初に融資をするので、リスクの最大値が当初の融資額である。もちろん先にお金を出してしまっているので、融資をする立場からすれば、そのお金が返ってこないリスクを負うことになる。これに対して、海上保険の場合は、最初に融資をせずに、契約によって損失の負担額を決めるので、保険を提供する側から見れば、分担するリスクは契約書上の契約金額となる。冒険貸借と異なり、保険契約の場合は、損失が発生した際に支払うお金が仮に手元になかったとしても、保険契約を結ぶことができる。つまり先に保険料を受け取り、もし事故がなかったら、一銭の支出もなく、受け取った保険料だけが手元に残るというビジネスが成立した。
ロンドン大火と火災保険の成立
このように、保険ビジネスは海上貿易から生まれた。海上保険の場合は、航海ごとに保険が組成され、一度きりでその役割を終えていた。それが1666年に発生したロンドン大火のあと、海上貿易で利用されていた保険の仕組みを、建築物の火災にも当てはめようという発想が生まれた。ただし、航海ごとに組成されてはその都度解散する保険と、火災保険には大きな違いがあった。それは、火災保険の場合は建物が存続する限り保険期間が継続しうることと、複数の加入者の契約を束ねる保険という仕組みとなることである。このような保険を成立させるためには、一定の初期資本が必要である。当時のロンドンには、そのような初期資本をもつ金満家が多く生まれていたようで、初期資本が必要となる火災保険の成立を可能にした。金満家が多く生まれたのは、大火のあとに大建築ブームが巻き起こり、その建築を担った人たちに大金が舞い込んだからである。手元に積みあがった大金をうまく活用することができないかと思っている中で生まれたのが火災保険のアイデアだったと言われている。この火災保険の発達によって、数理計算によるリスク管理や、大数の法則と呼ばれる現在の保険の原理原則が形成されていった。
南海泡沫事件と勅許保険会社
火災保険の成立はロンドンの金満家達にとっては、大変うまみのあるビジネスとなった。先に述べたとおり、保険には他のビジネスにはない優れた特徴があるので、大火でも起こらない限り、確実に儲かるビジネスだったのだ。ところが、それを覆したのが、1720年に起こった南海泡沫事件である。南海泡沫事件とは、イギリスで起こった投機ブームによる株価の急騰と暴落であり、バブル経済の語源になった事件とも言われている。南海泡沫事件は会計監査制度が発足するきっかけになった事件でもあり、近現代の経済に与えた影響は非常に大きい。そして南海泡沫事件は保険ビジネスにも大きな影響を与えた。
保険ビジネスを手掛けていた金満家達は、ロンドン大火で儲けた金や保険ビジネスで受け取った金の一部を株式投資等にも回していたと考えられる。そして、その多くが南海泡沫事件によって、読んで字のごとく泡と消えた。そして支払いますと約束していた保険金が払えなくなった。こういった事態を受けて、イギリス議会は泡沫会社禁止法(Bubble Act,1720)を制定し、さまざまな規制をかけた。その中で保険会社について国王の特別な許可(勅許)を2社のみに与え、それ以外の保険会社を禁止した。しかし、このことによって、保険の不払いといった事故が無くなった訳ではなかった。逆に多くの保険が個人の引受業者に移り、ロイズ・コーヒーハウスなどで取引が行われるようになった。そして、十分な支払い能力もないままに、投機的な保険契約も多く行われ、保険不払いのトラブルが数多くあったと想像できる。
このような経緯を経て、保険ビジネスは各法域に於いて厳しく監督されるビジネスとなった。そして、このことが、保険契約に関する会計が法域ごとに独自に発展することの要因となる。筆者の個人的な見解であるが、保険ビジネスは当局による規制に合わせて発展するビジネスであると言っても良いと思う。規制の範囲の中で工夫をして商品開発をするので、規制の枠組みを取っ払って、ビジネスそのものを公正に比較できるような会計基準の開発は至難の業であった。このためIASBがIFRS第17号を完成させ発効にこぎつけるまで25年もの歳月を費やさざるを得なかったのである。
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