ナレッジ

第34回 IFRS第17号「保険契約」(その3)

月刊誌『会計情報』2023年5月号

国際会計基準(IFRS)―つくり手の狙いと監査

前ᅠᅠ国際会計基準審議会(IASB)理事 鶯地ᅠ隆継

保険ビジネスの一般目的財務報告

IFRS会計基準は一般目的財務報告が提供する財務情報を作成するための基準である。一般目的財務報告とは、現在の及び潜在的な投資者、融資者及び他の債権者が企業への資源の提供に関する意思決定を行う際に有用な、報告企業についての財務情報を提供するものであり、課税所得の算定や、当局による規制の為に必要な情報提供を目的とするものではない。IFRS会計基準の財務報告に関する概念フレームワークの第1章「一般目的財務報告の目的」の第1.5項には「現在の及び潜在的な投資者、融資者及び他の債権者の多くは、情報提供を企業に直接に要求することができず、必要とする財務情報の多くを一般目的財務報告書に依拠しなければならない。したがって、彼らは一般目的財務報告書が対象とする主要な利用者である。」と記載されている。財務報告書の主要な利用者とは、情報提供を企業に直接に要求することができない者である。一般に各法域の規制当局は規制対象となる企業に対して直接に情報提供を要求することができる。したがい、規制当局は一般目的財務報告書の主たる利用者とはならない。

ところが、前稿(第33回)にて述べたような歴史的経緯を経て、保険ビジネスは各法域に於いて厳しく監督されるビジネスとなり、そのことにより保険契約に関する会計は法域ごとの監督目的の会計(監督会計)として独自に発展することとなった。多くの法域では企業の二重負担をさけるため、監督会計を用いて一般目的財務報告を兼ねさせることを認めている。たとえばわが国においては、上場保険会社等、金融商品取引法の適用を受ける保険会社は、金融商品取引法に従い有価証券報告書等を作成する義務があり、一般に公正妥当と認められる企業会計の基準に従ってその企業内容を開示することにより、投資者の意思決定に必要な情報を提供することが求められている。すなわち一般目的財務報告書を作成しなくてはならない。しかし保険業は、「財務諸表等の用語、様式及び作成方法に関する規則」(以下「財務諸表等規則」という)の別記に掲げられている事業(いわゆる「別記事業」)とされており、保険業法等に基づく財務諸表による開示をもって金融商品取引法上の開示として認められている(財務諸表等規則第2条ならびに別記6)。

では、なぜこのような特例が認められているのだろうか。保険ビジネスの監督会計による財務諸表は、一般目的財務報告と同等と考えられていたからだろうか。おそらくそうではないだろう。保険ビジネスの監督会計と、一般企業の会計は明らかに異なるからだ。にもかかわらず、監督会計を用いて一般目的財務報告を兼ねることが認められているのは、おそらく、保険会社と他の産業分野に属する企業とを比較するニーズが薄いと考えられていたからであろう。一般に保険会社に投資する投資家は、保険会社同士の比較はするものの、保険会社とそれ以外の産業分野に属する企業とを比較して投資判断をすることはあまりないと考えられていたからであろう。すなわち保険業は多くの法域に於いて免許業種であり、他の産業との協業や競争があまりないという前提があったからであろう。保険業は特別な業者による特別なビジネスという位置づけがあったのである。

548KB, PDF ※PDFダウンロード時には「本記事に関する留意事項」をご確認ください。

IFRS第17号の新しいアプローチ

一方で、IFRS会計基準は全ての法域の全ての産業分野に属する企業が適用できる一組の基準である。したがって、一般企業でもIFRS第17号の保険契約の定義に該当する契約を保有していれば、IFRS第17号を適用しなければならない。すなわちIFRS第17号は、一般の企業が保険契約を保有していればどのような会計基準を適用するのが妥当であろうかという発想から基準が構築されている。

IFRS第17号の結論の根拠には、IASBがIFRS第17号策定に当たって模索した新しいアプローチについて検討した方法が記載されている。ここにはIFRS第17号という新しい会計基準の本質を理解するのに役立つ記述がある。

IFRS第17号「保険契約」結論の根拠 BC第7項

当審議会は、保険契約を会計処理するために下記のアプローチを使用できるかどうかを検討した。

(a) 一般に適用されるIFRS基準書を適用する

(b) 保険契約の会計処理に関する既存モデルを選択する

IASBは、仮に一般の企業が保険契約を保有し、しかも、IFRS第17号がなく、かつ、法域の監督会計を適用せずに、IFRS財務諸表を作成するとしたら、一般の企業は既存のIFRSのどのような基準を適用するだろうかということに着目している。次に、もうひとつの選択肢として、保険契約の会計処理に関して、IFRSの既存の基準ではなくIFRS以外の既存の会計モデルを選択するというアプローチも検討している。

尚、IFRS以外の既存の会計モデルとは、他国で採用されている保険契約に関する会計モデルや、監督会計などを意味する。他国のモデルとは、たとえば既存の米国会計基準(US-GAAP)に基づくアプローチであり、US-GAAPをモデルとして開発すべきとの声もあった。ただ、US-GAAPは保険契約の会計処理の基礎として広く使用されているが、米国の保険商品及び米国の規制環境の文脈で開発されたものであり、国際的に広く多くの法域で適用される基準としてはふさわしくない。その他の法域のモデルについても検討したが、いずれも一般目的財務報告としては不備があった。また、US-GAAP以外の会計基準は、国際的には認知されておらず、財務諸表利用者が理解しやすい形での表示がなされないなどの問題が多い。

また、監督会計のモデルを利用することについては、監督会計の焦点は支払能力にあり、財務業績の報告を考慮していない。また、規制上の報告には、政策目的などの当該法域に固有の問題に対応した法域固有の要求事項が含まれていることが多い。このようなことから、既存の会計モデルを利用するという選択肢は選ばれなかった。

では、一般に適用されるIFRS基準を用いるという選択肢であるが、この点についてIFRS第17号の結論の根拠には、以下のような分析が紹介されている。

IFRS第17号「保険契約」結論の根拠 BC第9項

保険契約は、適用除外がなければ保険契約に適用される可能性のある多くの既存のIFRS基準書の範囲から除外されている。これには下記に関する基準書が含まれる。

(a)収益(IFRS第15号「顧客との契約から生じる収益」)

(b) 負債(IAS第37号「引当金、偶発負債及び偶発資産」)

(c) 金融商品(IFRS第9号「金融商品」及びIAS第32号「金融商品:表示」)

このBC第9項の指摘は大変興味深い。収益認識基準(IFRS第15号)や引当金(IAS第37号)や金融商品(IFRS第9号、IAS第32号)において、保険契約は対象外となっている。その理由は、保険契約を適用除外としなければ、それらの基準が保険契約に適用されてしまう可能性があるからである。逆に言えば、もしIFRS第17号がなければ、一般の企業で保険契約を保有している企業は、ここに挙げた3つの会計基準を利用して保険契約の会計処理をするであろうということを意味している。

では、それぞれの基準を適用して保険契約を会計処理しようとするとどうなるであろうか。

既存のIFRS基準書を適用した場合

(1)収益認識基準(IFRS第15号)を適用した場合

IFRS第15号によれば、顧客との契約から生じる収益は、以下に示す5つのステップを適用して算定される。出典(IFRS第15号 第2項括弧書補足)

ステップ1:顧客との契約を識別する

ステップ2:契約における履行義務を識別する

ステップ3:取引価格を算定する

ステップ4:取引価格を契約における履行義務に配分する

ステップ5:企業が履行義務の充足時に(又は充足するにつれて)収益を認識する

これを保険契約に当てはめると、ステップ1については比較的容易であるようにも思えるが、実際の保険契約には純粋な保険契約の他にさまざまなサービス契約が付随していることが多いので、純粋な保険契約とそれ以外の契約を分離することが重要になる。仮に、純粋な保険契約以外の契約を分離できた場合、純粋な保険契約以外の契約については、IFRS第15号を適用すればよい。問題は純粋な保険契約について、ステップ2以下をどのように適用するかである。

最も難しいのがステップ2の履行義務を識別するというステップである。果たして保険契約の履行義務とは何であろうか。保険契約とは、一方の当事者(発行者)が、他方の当事者(保険契約者)から、所定の不確実な将来事象(保険事故)が保険契約者に不利な影響を与えた場合に保険契約者に補償することに同意することにより、重大な保険リスクを引き受ける契約である。この場合、履行義務は保険契約者に保険金を支払うことなのか、保険契約者のリスクを引き受けることそのものなのか、どちらが正しいのかはIFRS第15号だけでは判断が難しい。ある者は前者であると判断するであろうし、別の者は後者であると判断するかもしれない。

ステップ3、4については、それぞれ難しさはあるかもしれないが、他の契約と同様の難しさであり、保険契約固有の難しさが特にあるわけではない。より難しいのはステップ5である。保険契約の履行義務の充足とは何か。これもステップ2同様、判断が分かれるところである。もし、保険金を支払うことが履行義務であるとするならば、履行義務の充足は保険金を支払った時点ということになる。もし、保険金の支払いが無ければ、履行義務の充足のタイミングはないということになってしまう。一方、リスクを引き受けることそのものが履行義務であるとするならば、その履行義務の充足はどのタイミングで行われるべきなのか。おそらくは時間の経過とともに充足されると考えるべきなのであろう。しかし、IFRS第15号には保険契約については具体的に何も書かれていない(だから適用除外なのであるが)。したがって、IFRS第15号のみに従って、保険契約の収益を認識した場合は、相当の実務上のばらつきが生じることとなる。

(2)引当金(IAS第37号)を適用した場合

IAS第37号は引当金と偶発債務についての基準である。保険契約は保険事故が起こって初めて保険金の支払いが必要になる債務である。IAS第37号に依れば、引当金は現在の義務であり、義務を決済するために経済的便益を有する資源が流出する可能性が高いため、負債として認識されるものである。そして認識にあたっては信頼性のある見積りができることが前提となっている。保険契約を単体で見た場合に、経済的資源が流出(保険金の支払い)する可能性が高いと判断できるかどうかは状況に依るかもしれないが、複数の保険契約をポートフォリオで見た場合には、経済的資源の流出は確実であり、引当金の計上が可能である。ただ、経済的資源の流出の可能性が高くなければ、それは偶発債務として扱われ、引当金の計上はできない。

このようなことから、仮にIAS第37号だけに頼って保険負債を計上した場合には、その計上方法に実務上のばらつきが生じる。また、その負債の測定方法についてもバラバラとなる可能性があり、比較可能性のある財務諸表は作成されない。

(3)金融商品(IFRS第9号、IAS第32号)を適用した場合

そもそも保険契約は金銭のやり取りの契約であるから、金融商品として扱うべきであると解釈する者も多い。実際に保険契約の性質は一種のデリバティブのようなものであるとの解釈は可能であり、IFRS第9号ならびにIAS第32号に沿って経理処理することは可能である。しかし、その場合には保険負債は公正価値測定され、その差額は当期の損益として認識される(FVTPL:Fair Value Through Profit or Loss)ことになる。そうすると、保険契約によって顧客に対して提供されたサービスや価値が、実質的には無視され、保険契約の金融的側面のみで会計処理がなされてしまうことになる。そのような解釈で問題ないと考える者もいるかもしれないが、そうではなく、保険には保険の社会的役割があり、それを適切に反映する会計処理が必要であると考える者もいるかもしれない。

以上のようなことから、各企業がそれぞれ独自に既存のIFRS基準書を用いて保険契約の会計処理を行えば、大きな実務上のばらつきが発生し、保険契約について比較可能性のある財務諸表を期待することはできない。このため、IASBは当初から保険契約について、これらの基準の適用除外項目として、別途独立した会計基準を策定することとしたのである。

ただ、IFRS第17号がこれらの基準と全く切り離された特殊なものかと言えば、むしろそうではない。IFRS会計基準では産業別の会計基準は設けず、全ての産業分野の企業が同じ一組の会計基準を適用することを想定している。したがって、保険契約に類似した契約があった場合、やはり上記で述べたものと類似した判断が必要になり、一般企業はそのような中で何らかの会計処理を行っているのであるから、IFRS第17号「保険契約」がそのような会計基準から極端に乖離したものになることは、産業間を跨いだ比較可能性の観点から好ましくない。したがって、IFRS会計基準における保険契約の会計基準の開発は、保険業界だけで比較可能な会計基準を策定するのではなく、他の、一般企業が適用している他の会計基準との整合性や比較可能性を考慮して開発されたのである。

以上

本記事に関する留意事項

本記事は皆様への情報提供として一般的な情報を掲載するのみであり、その性質上、特定の個人や事業体に具体的に適用される個別の事情に対応するものではありません。また、本記事の作成または発行後に、関連する制度その他の適用の前提となる状況について、変動を生じる可能性もあります。個別の事案に適用するためには、当該時点で有効とされる内容により結論等を異にする可能性があることをご留意いただき、本記事の記載のみに依拠して意思決定・行動をされることなく、適用に関する具体的事案をもとに適切な専門家にご相談ください。

お役に立ちましたか?