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インフレリスク圧力じわり(2):雇用市場のミスマッチ

リスクインテリジェンス メールマガジン vol.72

リスクの概観(トレンド&トピックス)

有限責任監査法人トーマツ
リスク管理戦略センター
マネージングディレクター
勝藤 史郎
 

米国のインフレ率は上昇が続いており、この圧力は相応に持続的なものになるとの当方の見方に変わりはない。6月の米国消費者物価指数(CPI)は、総合指数が前年比+5.4%、食料およびエネルギーを除くコア指数が同+4.5%と大幅な上昇率となった。クリーブランド連銀が算出する「16%刈り込み平均CPI」(変動の大きい上下各8%の品目を除く加重平均CPI)も6月時点で同+2.9%と、年初来の上昇基調を維持しかつFRBのインフレ目標である同2%を上回っている。2021年5月付当レポートでは、米国のインフレ圧力要因を、一時的なもの(経済回復やコロナ影響による需要増、国際政治や自然災害など外的要因による供給制約、金融緩和による資産価格上昇)、持続的な要因(経済全体の需給ひっ迫、国際的なサプライチェーンの変化に伴う需給の偏在、コロナによる生活形態や労働市場変化)にわけて考察した。特に賃金については、失業率が十分に低下しない状況下でも、雇用のミスマッチによる自然失業率の上昇で、賃金が失業率の低下に先んじて上昇する可能性があると述べた。本レポートでは労働市場変化に伴う賃金上昇について状況を概観する。

図表1は、米国の失業率と、求職数の割合を表す欠員率(=欠員数÷(雇用者数+欠員数))の関係をみたいわゆるUV曲線である。同図によれば、2000年代の世界金融危機以後、そして今回のコロナ危機以降、いずれの時期においてもUV曲線が右上方にシフトしている。これは、同じ失業率水準における求人数の割合が過去よりも上昇していることを表す。過去2度の危機時に失業率が上昇したのち、失業率が十分に低下しなくとも求人が増加したことになる。UV曲線の右上方シフトは一般に、労働市場のミスマッチの拡大を示唆するとされる。世界金融危機においては、自動車産業が大きな打撃を受け失業者が増加した。自動車産業に従事する熟練工は他の職種への転職が一般に困難であり、景気回復後も米国自動車産業の構造的低迷により長期失業者として残存した。今回のコロナ危機では、娯楽・宿泊や店舗型小売業などが打撃を受けた一方、デジタル化推進によりIT技術者の需要が増加するなどの産業構造の変化が起きていると考えられる。景気後退の都度産業構造の変化により雇用のミスマッチが拡大し、失業率が十分に低下する前に労働市場がタイトになっていると考えられる。

図表1 失業率と欠員率[米国]

失業率と欠員率[米国]
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雇用ミスマッチによる労働市場のタイト化は、時間当たり賃金の上昇加速をもたらす。図表2は、米国の時間当たり賃金の前年比上昇率の推移である。同図によれば、時間当たり賃金の前年比上昇率は現在4%-5%近辺で推移している。コロナ危機による景気後退局面では、通常の景気後退期に見られる賃金上昇率の低下がみられず、むしろ上昇が加速している。現在の賃金上昇率は、世界金融危機前の賃金上昇率のピーク時期よりもさらに高い。コロナ危機後の賃金上昇のみかけの加速は、低賃金労働者が労働市場から退出したことも一因と考えられる。ただ、上記の図表1に見られるような雇用のミスマッチが労働市場に起きているとすると、雇用が正常化してもなお、その新常態においては労働市場の需給ひっ迫は継続し、賃金上昇圧力が持続する可能性がある。

図表2 時間当たり賃金[米国]

時間当たり賃金[米国]
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労働市場のタイト化に拍車を掛けそうな更なる要因は、労働参加率の低下である。コロナ危機後に米国では労働参加率(労働力人口÷生産年齢人口)が急低下した。6月時点の米国の労働参加率は61.6%と、実に1970年代以来の低水準にある。労働参加率の低下は、就職活動を停止して労働力人口から退出した人が増加したことで、労働力の供給が減少していることを表す。結果、上記産業構造の変化にも関わらず現実には需要が構造的に低下しているはずの小売業等で、人手不足が生じているという現象も起きている。長期的にみると、米国の労働参加率は2000年代をピークに若年層の高学歴化や女性の社会進出の飽和状態化を背景に継続的に低下してきた。今後景気回復とともに労働参加率は再び上昇に転じるであろうが、この長期的労働参加の低下基調や、上記のコロナ後の産業構造や社会生活の変化に鑑みれば、危機以前のレベルに戻るとは考えにくい。

今後も持続するであろうインフレ圧力は、生産力の急低下や紙幣増発によるハイパーインフレでは決してなく、またオイルショック等外的要因で消費減退をもたらすようなインフレでもない。コロナ危機からの回復過程で労働市場などにおける需要の拡大と供給制約により、当面の間は2%を超えるインフレが持続するであろうという程度である。持続的なインフレ圧力のインプリケーションは、その背後で景気回復過程において予想された以上の景気過熱状態が示現しうること、これが金融緩和政策の解除と相まって、長期金利の上昇圧力とリスク資産の下落圧力をもたらしうることである。コロナ危機からの景気回復期特有のリスクの一つとして留意するべきであろう。

執筆者

勝藤 史郎/Shiro Katsufuji
有限責任監査法人トーマツ マネージングディレクター

リスク管理戦略センターのディレクターとして、ストレス関連情報提供、マクロ経済シナリオ、国際金融規制、リスクアペタイトフレームワーク関連アドバイザリーなどを広く提供する。2011年から約6年半、大手銀行持株会社のリスク統括部署で総合リスク管理、RAF構築、国際金融規制戦略を担当、バーゼルIII規制見直しに関する当局協議や社内管理体制構築やシステム開発を推進。2004年から約6年間は、同銀行ニューヨー...さらに見る

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