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インフレ圧力じわり(3):原油価格急騰と実質賃金

リスクインテリジェンス メールマガジン vol.75

リスクの概観(トレンド&トピックス)

有限責任監査法人トーマツ
リスク管理戦略センター
マネージングディレクター
勝藤 史郎
 

米国のインフレ高進が止まらない。9月の米国消費者物価指数(CPI)の前年比伸び率は+5.4%と、1990年代以来の高水準にあり、かつ3か月連続で5%を上回っている。当レポートでは従前よりコロナ後の経済の構造変化として、経済全体の需給ひっ迫、国際的なサプライチェーンの変化に伴う需給の偏在、新型コロナによる生活形態や労働市場変化を挙げていた。最近ではこれに原油等資源価格の上昇が拍車をかけている。依然、インフレ率の上昇には一時的要因と構造的要因がある。当方では、原油価格の上昇は一時的で、現在1バレル=80ドル台前半に上昇しているWTI原油先物価格が100ドルを超える可能性は低いとみている。現在の原油価格上昇は投機的というよりも実需を反映したもので、需要拡大に合わせ供給が十分にあれば抑制可能とみているためである(今月号「原油は100ドルを目指すのか:過去と異なる価格上昇の原動力」参照)。しかし需給のひっ迫は当面継続し、OPECを始めとする産油国が増産に踏み切らない限り原油価格は高水準で推移、今後1年ほどは前年比インフレ率の上昇に寄与し続ける可能性が高い。インフレ率上昇が経済に与える影響を本格的に考察する時期が来ているといえる。

図表1は、米国の時間当たり賃金上昇率、CPIインフレ率、およびその差分である実質賃金上昇率の推移をみたものである。最近ではインフレ率の上昇により、実質賃金の伸び率がマイナスに転化している。米国において実質賃金の伸び率がマイナスだった時期は多くはない。直近2回の実質賃金マイナス転化は、2007年、2011年といずれも原油価格が1バレル=100ドルを超えて上昇した時期であった。2011年のインフレ上昇時には米国の経済、特に個人消費の伸びの大幅な減速がみられた(2007年は直後の世界金融危機により経済全体が大幅な後退に陥った)。現在の米国家計は、新型コロナ対応の給付金やロックダウンによる消費手控えにより個人所得や貯蓄が大幅に積みあがっており、多少の物価上昇は個人消費に大きな影響は与えないとも考えられる。しかし、過去の事例からは想定を超えた物価上昇が家計消費を減速させるリスクはみておく必要があるだろう。

図表1 実質賃金[米国]

実質賃金[米国]
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更に、実質賃金上昇率の低下がさらにインフレ率上昇をもたらす可能性がある。現在の米国では労働市場のミスマッチと供給の低下により、時間当たり賃金上昇率がこれも1980年代以来の高水準となっている。現在の賃金上昇は、生産再開で人手不足に陥っている企業からの労働需要の増加と労働参加率の低下による労働供給の減少で、労働者の価格決定力が高まっている状況を示唆している。インフレ率の上昇により労働者が要求する賃金の水準が上昇すると、企業は他社との競合上さらに賃金を引き上げて雇用を確保する必要に迫られることになる。こうしたスパイラルが更なるインフレ高進をもたらす可能性がある。

コロナ後の構造変化の可能性を見るために、米国の需給ギャップとコアCPI(食品とエネルギーを除くCPI)の関係を図示したのが図表2である。ここ15年間ほど、需給ギャップとコアCPIインフレ率は概ね安定的な関係を保ってきた(例外的に、2008年の金融危機で原油価格が急落した場面ではマイナスの需給ギャップ拡大を超えるインフレ率低下がみられた)。現在は、需給ギャップがマイナス幅を縮小しつつもまだプラス転化しない時点で、既にコアインフレ率は1990年代以来の前年比3%台に上昇している。仮にこの傾向が継続した場合、需給ギャップとインフレ率の関係を示す曲線が上方にシフトする、つまり経済構造がよりインフレ持続的なものに変化したことを示すことになる。既に7月の当レポートでは、コロナ後に雇用のミスマッチが拡大して、自然失業率が従前に比べて上昇する可能性を考えた。経済全体がインフレ体質を強めるかを見極めるには、今後の指標の推移を確認する必要がある。しかし、これらの状況証拠は、世界経済が従前のデフレ体質からインフレ体質に転換しつつある可能性を示唆している。

図表2 需給ギャップとコアCPI [米国 2005Q1-2021Q3]

需給ギャップとコアCPI [米国 2005Q1-2021Q3]
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執筆者

勝藤 史郎/Shiro Katsufuji
有限責任監査法人トーマツ マネージングディレクター

リスク管理戦略センターのディレクターとして、ストレス関連情報提供、マクロ経済シナリオ、国際金融規制、リスクアペタイトフレームワーク関連アドバイザリーなどを広く提供する。2011年から約6年半、大手銀行持株会社のリスク統括部署で総合リスク管理、RAF構築、国際金融規制戦略を担当、バーゼルIII規制見直しに関する当局協議や社内管理体制構築やシステム開発を推進。2004年から約6年間は、同銀行ニューヨー...さらに見る

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