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TCFDのインパクト ~気候変動対策は経営課題に~

TCFDを経営に生かす 第1回

気候変動を抑制しようとする流れが世界で加速している。この潮流は、企業活動にも直接的に影響を及ぼしつつある。なかでも企業に対する影響が顕著に現れているのが、「気候関連情報開示タスクフォース(TCFD)」が昨年(2017年)6月に発表した「提言」である。この連載では、TCFDの本質的な意味合いや、企業にいかなる対応が求められているのかを、経営を担う読者を対象に伝える。

パリ協定が工業化時代に終止符

2015年末、パリで国連気候変動枠組条約第21回締約国会議(COP21)が開催され、パリ協定が合意された。同協定では、今世紀末における世界の平均気温上昇を2℃未満に抑えるため(1.5℃に抑えることがリスク削減に大きく貢献することにも言及された)、世界全体で人間活動による温室効果ガス排出量を減らし、今世紀後半には実質的にゼロにする方針が打ち出された。

これは、産業革命以降に人類が歩んできた工業化の時代を根底から見直すことに合意したと受け取れる。産業ごとに分業して経済活動を推進し、結果として排出されるCO2の総量を顧みない時代は終わり、人類全体で新たなステージを目指そうとしている。

日本企業の経営者層と議論していると、依然として気候変動を対岸の火事のように捉えている方が多い。例えば、「気候変動は国際機関が先導して各国政府が推進するもの。我が社は業界に対する政府の規制や要請に、業界として対応していればいい」といった考えを聞くことがある。

また、「そもそも経済発展レベルの異なる世界全体で気候変動対策が順調に進むかどうかは疑わしい。米国のトランプ政権が気候変動対策を否定するように、各国の政策次第で世界の流れが減速する可能性もある。不確実性の高い将来について真剣に考えることは控え、引き続き経済的成果の追求に邁進することが正解だ」といった指摘を受けることもある。

ところが、パリ協定の登場以降、より一層の気候変動対策を企業に要求する世界の潮流は激しくなった。もはやその流れを無視することはできなくなりつつある。COP21が開催された2015年近傍から、毎年開催されるCOPをはじめとして気候変動に関するイベントが開催されるたび、世界の様々な組織が参加するイニシアチブが多数、立ち上がっている。これらは共通して、気候変動対策に企業を巻き込むことを目的にしている。例えば、昨年末に立ち上げられた「Climate Action 100+(CA100+)」だ。これは約300に及ぶ世界の大手年金基金や機関投資家らが集まるイニシアチブである。世界でもCO2排出量の多い100社を超す企業を名指しして、気候変動に対応した経営を要請するエンゲージメントを進めている。

日本ではトヨタ自動車や日立製作所などの10社が指名された。世界最大の公的年金資産を運用している年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)も、CA100+の活動にサポーターとして参加すると表明している。国家やNGOなどだけでなく、金融市場からも、企業に気候変動対策を求める圧力が高まっている。

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企業に求められること

それでは今、企業には具体的にどのようなアクションが求められているのだろうか。

昨今の傾向から注目すべきは(1)「積極的な目標設定」と、(2)「企業経営に気候変動への考慮を組み込むこと」。この2点に集約されると考えていい。

(1)で示した積極的な目標とは、温室効果ガス排出量の削減目標などのことだ。「企業版2℃目標」とも呼ばれる「SBT(Science Based Targets)」と、再生可能エネルギーの利用を推進する「RE100」が代表的である。SBTは、今世紀末の気温上昇を2℃未満に抑えるレベルまで温室効果ガス排出量を抑えることに、企業として貢献するための削減目標である。「SBT initiative」という組織が、企業に目標設定を働きかけている。既に492社(日本企業64社、10月9日時点)が、独自の温室効果ガス削減目標を設定し、その目標が2℃未満の達成に貢献するという「認定」をSBT initiativeから取得済みだ。

RE100は、企業が調達する電力の100%を再エネで発電したもので賄う目標の設定を企業に求めるイニシアチブで、152社(日本企業12社、同)が加盟している。このように、自社の目指すべき数値目標を明らかにし、イニシアチブと連携してその志を公表する企業が、世界で増える傾向にある。

そして(2)「企業経営に気候変動への考慮を組み込むこと」を求めている代表格がTCFDだ。TCFDは、20カ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議の要請を受けて、世界の金融機関を監督する金融安定理事会(FSB)が2015年に創設した。タスクフォースの使命は、企業による「気候変動関連の情報」の開示について検討することで、その「在るべき姿」をまとめた「提言」の最終版を昨年6月に公開した。提言は、企業に対し、気候変動に対応した経営を推進することを求めている。実現のためには、TCFDが示す「ガバナンス」「戦略」「リスク管理」「指標と目標」の4項目の要求に従う必要がある(図2)。

TCFDには、世界の政府機関や大手機関投資家、金融機関、そしてメーカーなど企業ら517団体(日本企業29団体、同)が賛同を示している。企業が長期の野心的な削減目標を掲げ、SBTやRE100などのイニシアチブと協調し、その取り組みをTCFD提言に基づいて企業経営に組み込むことが求められているのだ。加えて、大幅な排出削減に取り組むための科学的根拠に基づく長期目標の設定と、長期目標から逆算して今、企業として取り組むべきことを事業に組み込む「バックキャスト思想」の経営が、将来に向けたイノベーションを誘発する契機になると、世界で認識されている。

こうしたイニシアチブに呼応して、個社単位で野心的な気候変動目標を達成すること、そして気温上昇を2℃未満に抑えようという人類の挑戦的な目標に貢献することを、いかに経営に組み込むかを、世界の企業が検討するようになってきた。

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不確実な将来と向き合う

とはいえ、長期的視点に立った気候変動目標の設定に悩んでいる企業は多い。その主たる原因は、「将来の不確実性」にある。不確実な将来をどう見立てるか、社内のコンセンサスが得られず、一意の目標を固める合意が得られないケースがみられる。消極的な目標を立てれば、「それでは将来、社会の幅広いステークホルダーから理解を得られない」という反対意見を告げられ、積極的な目標を立てれば「過度な環境対応で会社をつぶす気か」という反対意見が出る──という具合である。

ところがTCFDが要求する「戦略」に関する取り組みでは、不確実な将来と向き合う作業が求められる。「シナリオ分析」だ。

シナリオ分析は、中期経営計画よりも長期的なスパンで、自社の将来の方向性を考察するものである。考察する際には、国連の「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」が示す「2℃未満シナリオ」をはじめとする、科学的な「気候関連シナリオ」に基づいて検討し、結果として「組織戦略のレジリエンス(強靭さ)を説明すること」を狙う。

多くの組織にとって、気候変動による最も重大な影響は、中期から長期間をかけて現れる場合が多い。しかし、その正確なタイミングや規模は不確かだ。それでも、「将来の世界が気候変動などの影響によってどう変化しようとも、自社の経営は盤石である」と、明らかにすることがシナリオ分析の狙いである。

分析のプロセスを通じて様々な将来の状況を描き、その状況における事業の業績などの強靭性や堅牢性を、経営者が理解することが求められる。IPCCなどが示した科学的根拠を足掛かりに複数の将来世界を明確にイメージし、そこでの自社への影響と、現時点から講じるべき対応策を検討する。

こうした検討は、自社の経済的成功を確保しながら気候変動に対処する道筋を考察するのに有効なエクササイズとなる。また考察した結果は、見解の異なる社内外のメンバーとともに、将来に向けた戦略を議論する際の有効なコミュニケーションツールとなる。

このエクササイズに経営層を巻き込むことは、気候変動に限らず、不確実な時代を生き抜く企業変革の契機になる。CSR・環境部門に閉じた議論では、企業の変革に至ることは難しい。そして、経営者や様々な部署を巻き込んだ議論のプロセスを経ることこそが、掲げるべき長期目標について合意を得ることを容易にする。

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経営者の主体的な取り組みを

近年、集中豪雨や台風の増加などにより、国土やインフラ、企業の資産までが物理的な損害を受けるリスク(いわゆる物理的リスク)が、目に見えて激甚化するようになった。

また、パリ協定という国際的なコンセンサスを境に、世界は大きく動き出した。各国政府の法規制や政策も、気候変動を抑制する方向に強化が進んでいる。企業にとっての気候変動リスクは、かつてないほどに高まっている。

加えて、政府が主導するトップダウンの気候変動対策だけでなく、企業を「主役」にしたいわばボトムアップの対策も推し進められている。経済的成功と気候変動対策を両立させるべく社会経済システムの変革が起きている今日、企業経営においてそれを無視することは許されない。

経営者には、気候変動をCSR・環境部門に押し付けるのではなく、自分ごととして扱うことが求められる。

次号では、シナリオ分析を通じた経営変革について解説する。TCFDによる要請の本質は、将来の気候変動に備えた経営の変革にある。経営変革に向けて、日本企業はシナリオ分析というエクササイズをどのように実践すべきか。先行事例なども踏まえて解説する。

「日経ESG」2018年12月号 P.70~73に寄稿した内容を日経BP社の了承を得て掲載しています。無断転載・複製を禁じます。

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