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ストーリーを伝えるシナリオ分析 ~気候変動だけではない経営のリスクに応用を~

TCFDを経営に生かす 第3回

前回、「気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)」が推奨するシナリオ分析では、開示する数字の精度よりも、その根拠となるストーリーこそが重要であると伝えた。その事例として、2社のシナリオ分析を紹介したい。

重要なストーリーを伝える

英蘭ユニリーバは、今世紀末の気温上昇を2℃に抑えた場合と4℃上昇した場合の2つのシナリオを基にシナリオ分析を行い、その結果を同社の報告書「UNILEVER ANNUAL REPORT AND ACCOUNTS 2017」に開示した。同社の分析には金額などの数字が記載されていないが、どのような事象が事業にどのような影響を与えるか、ストーリーが明確に示されている。

注目すべきは、包括的な検討を踏まえた事業への影響と対応策を、シンプルに示した点だ。分析では「何もアクションを取らなければ、(2℃上昇や4℃上昇の)いずれのシナリオも主にコスト増加といった財務上のリスクをもたらす」と事業への影響を結論で述べつつも「ビジネスモデルを大きく変える必要はない」と記し、事業の強靭さを示している。そのうえで「リスクを緩和するためのアクションプランを確実に遂行し、将来の事業環境への対応を準備するさらなる作業の重要性を確認した」と、対応策にも言及した。読み手にとって分かりやすいシナリオ分析だ。「さらに分析する予定」とも明記し、今後も分析を深めると宣言した点も注目すべきだ。

シナリオ分析の手法は世界でもまだ確立されていない。分析レベルを段階的に高めながら、適宜、検討結果を開示する姿勢が望ましい。

加えて同社は多角的な科学的根拠に基づく資料を使って事業へのインパクトを社内で検討したことがうかがえる。例えば、国際エネルギー機関(IEA)の「450シナリオ」(2℃シナリオに相当)に基づき原材料などのコスト増を招く社会変化を想定している。2030年に炭素価格が1万円近くに上昇するとの予測を踏まえ、社会が温室効果ガスの排出を積極的に抑制する世界を描いている。

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数字は簡潔でいい

米情報大手のブルームバーグは、2017年発行の報告書「Bloomberg Impact Report」にシナリオ分析の結果を掲載した。事業へのインパクトを定量的に示し、簡易的な表現にとどめた例として参考になる。

2℃シナリオに基づく分析でインパクトが大きくなりそうなのが「移行リスク(市場)」である。顧客の情報ニーズが変化すると予想され、ニーズに合う情報商品を迅速に開発、提供することが必要になる。財務へのインパクトは20%で、今後1~7年の間に影響が顕在化するという。

報告書では「石油やガスなどの需要減に伴い、(同社の既存商品である)市場情報を提供するツールやデータの需要が減る。このリスク回避のため、顧客の変化に先行して再生可能資源に関するツールへの投資を進めるべき」と言及している。

また同社は、事業による電力需要の11%を再エネで賄っており、オフィスとデータセンターでは導入率100%を目指している。そこで分析結果のうち「機会(資源・エネルギー)」では、再エネ導入率が100%になれば電力代が安くなり、1000万ドルのコストを削減できると見積もった。

同様に「機会(商品・サービス)」では、同社が提供する低炭素関連情報のニーズが高まり、売り上げなどに好影響が及ぶ可能性を示した。報告書では「世界でグリーンボンドや炭素価格、CO2吸収事業などが拡大する。顧客の市場参入を支援するツールを展開することで事業利益は拡大する」との見立てを示している。

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「気候リスク」に着目する理由

「経営を取り巻くリスクは他にもある。それなのになぜ、気候リスクばかりをここまで追求する必要があるのか」。シナリオ分析や気候リスクについて企業経営者と意見交換すると、たびたびこう問われる。その疑問に対する答えはいくつかある。

今世紀末における気温上昇を2℃に抑制することがグローバルなコンセンサスとなったなか、各国政府のトップダウンだけではその実現が危うい。そのため、企業の気候変動対策に期待が高まっていることが、第1の答えとして挙げられる。第2の答えとして、気候変動のリスクは中長期の時間軸で発生するため予測の振れ幅が大きく、不確実性の高いファクターであること。そして第3に、気候変動に関する中長期の予測は、不確実性は高いものの、他のリスクと比べれば科学的な研究成果や知見が豊富に蓄積されていること――などが挙げられる。

気候変動リスクは中長期で予測の振れ幅が大きく不確実性の大きいファクターであるが故に、投資家の関心事になりやすい。豊富な科学的根拠を活用しながら、気候変動が将来の経営に与える影響と対策を考察し、結果として企業のレジリエンスを証明することが、企業には求められている。

TCFDが求めるシナリオ分析、つまり不確実な未来を想像し、それを自社のビジネスと結びつける思考は、現代の企業にとって必要不可欠だ。今日、世の中の不確実性が高まっている。気候変動に限らず、地政学リスクの高まりや経済格差の拡大、デジタル化の進展など物事がますます激しく流動化するなか、企業は難しいかじ取りを迫られる。

企業のこれまでの経営スタイルは主にPDCA(計画ー実行ー検証ー改善)サイクルに基づく直線的なものだった。しかし、不確実性の高い世界では、この手法は機動性に欠ける。
シナリオ分析は、将来の不確実性を受け止め、幅を持つ未来に対峙し得る事業戦略を構築し、臨機応変な経営判断を可能とするアプローチだ。TCFD提言への対応として実践した不確実性に対する考察を、気候変動以外の他のリスクに対する分析にも応用することで、企業経営のための思考そのものを変革できる。

不確実な時代を生き抜く持続可能な経営を展開するためにも、より多くの企業が企業経営の思想と体質を見直す機会としてTCFDを捉え、積極的に活用することを期待したい。

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次回は、日本の企業や政府によるTCFDへの対応状況を踏まえ、今後取るべき行動を考察する。

「日経ESG」2019年2月号 P.68~70に寄稿した内容を日経BP社の了承を得て掲載しています。無断転載・複製を禁じます。

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