Posted: 20 Oct. 2022 5 min. read

世の中の潮流を見極め、逆境の中で行われるリスクマネジメントと意思決定【前編】

【シリーズ】Executive Interview(Vol.2-1)

~会社存続の“崖っぷち”を経験した富士フイルムホールディングス株式会社 助野会長が語る「リスクマネジメント」とは~

デロイト トーマツ グループでは、企業経営の意思決定をサポートし、将来リスクを事業成長につなげるリスクアドバイザリー(RA)の領域に約2,500名のプロフェッショナルを擁しています。

「Executive Interview」では、RAのトップアドバイザーによる企業の経営トップのインタビューを通じ、不確実で多様なリスクが取り巻く事業環境のなかで、企業成長に向けた様々な取り組みや経験を語っていただき、「守りの経営」としてのリスクマネジメントだけではなく、「攻めの経営」に資するリスクマネジメントの重要性や気づきをお届けしていきます。

今回、富士フイルムホールディングス株式会社 代表取締役会長の助野 健児氏をお招きし、企業のトップマネジメントがリスクをどのように捉え、マネジメントしているのかについてお話を伺いました。

助野 健児/Kenji Sukeno

助野 健児/Kenji Sukeno   富士フイルムホールディングス株式会社 代表取締役会長
1977年富士写真フイルム株式会社(現富士フイルムホールディングス株式会社)入社。主に、経理・経営企画部門に従事。85年~英国、2002年~米国(CFOとして)現地法人での駐在などを経て、13年富士フイルムホールディングス 取締役 執行役員 経営企画部長、16年代表取締役社長 グループ最高執行責任者に就任。21年6月から現職。

長谷川:本日は、「リスク」というテーマでお話を伺っていきます。日本ではリスクをネガティブに捉える傾向が強く、できるだけリスクを避けようとする風潮があります。しかし我々は、リスクのなかにある「不確実性」に注目し、リスクを取りにいく経営もあるのではないかと考えています。

富士フイルム様はポートフォリオを大転換され、現在はそれぞれのビジネスが軌道にのっています。ポートフォリオのマネジメントが非常に上手くいっている事例と言えるでしょう。富士フイルム様の経営においてリスクマネジメントをどのように位置づけられているのか、お聞かせください。

長谷川 孝明/Takaaki Hasegawa

長谷川 孝明/Takaaki Hasegawa 有限責任監査法人トーマツ パートナー
主に製造業を対象として会計監査、内部統制構築支援業務に従事したのち、投資ファンド向けのM&Aアドバイザリー業務に従事。その後、4年間のジャカルタ事務所への駐在経験を経て、現在は、主にテクノロジー関連を中心とする製造業向けに、グループガバナンス、内部管理体制強化、リスクマネジメント、ESG、会計アドバイザリー業務に従事している。

助野氏:富士フイルムは80年を超える歴史のある会社です。以前の富士フイルムグループは、写真フィルムや印画紙、現像処理などの写真関連事業が売上の半分以上を占めていました。

しかし、その写真フィルムの需要が非常に短い期間で激減するという会社存亡の危機を経験しました。2000年代に入り、デジタルカメラのエントリーモデルの性能が良くなって一気に普及したタイミングで、写真関連事業の売上が急激に落ち込んでしまったんです。

図1: カラーフィルムの世界総需要推移(富士フイルムホールディングス様提供)

 

当時、「デジタルカメラの解像度はフィルムの品質に追いつかない。フィルムがなくなるわけがない」という人もいましたが、我々には、「この市場が大きく落ち込むことは避けられない」という危機感がありました。そこで、構造改革と会社の中身を変えるため、写真以外の成長事業、新規事業への投資を同時に推し進めていきました。

どうやって生き残っていくのかという課題に取り組むため、まず社内にある技術を棚卸ししました。それらの技術を「アンゾフの成長マトリクス」に落とし込み、将来進むべき市場を定めることにしたんです。

 

図2: 「アンゾフの成長マトリクス」に基づく技術の棚卸し
(富士フイルムホールディング様提供)

 

具体的には、技術と市場を軸にマトリクスを作り、①既存市場、既存技術、②既存市場、新規技術、③新規市場、既存技術、④新規市場、新規技術という4つの象限に分けて考えました。

①の既存市場、既存技術の部分は、いずれ市場が小さくなっていきますが、その近接にある②や③の象限で、①の経営資源が活かせるのではないかと考えてみました。

富士フイルムは印刷事業にも創業間もない頃から進出していました。いわゆる既存の市場です。しかしこの市場にも、デジタル化の波がくる。引き続きその市場で競争力を維持するには、富士フイルムが持っていないインクジェットヘッドやインクの技術を持つ必要があるだろう。こんな風に仮説を立てていきました。

また富士フイルムは、写真を通して画像処理の技術を磨いてきました。それらを医療の領域で活かせば、特徴のある画像診断機器や医療画像を扱うネットワークシステムのビジネスを大きく伸ばすことができると考えました。

一方、技術はあるがその市場は詳しくないというケースもあります。たとえば、レンズ付フィルム「写ルンです」のレンズは、近接から無限大までピントを合わせることができます。であれば、携帯電話のカメラモジュールに使うことができるかもしれない。携帯電話のカメラモジュールの市場を理解することで、その市場に進出できる可能性がある。そういった発想から事業ポートフォリオの転換を図っていきました。

 

松本:非常に面白いですね。これまで活動して蓄積してきた技術や市場への知識・ノウハウといった全てが繋がり、新しく得た知見や技術を元に、次の領域で展開していくということですね。

松本 拓也/Takuya Matsumoto

松本 拓也/Takuya Matsumoto 有限責任監査法人トーマツ パートナー
シンクタンクにてコンサルティング業務に従事した後、有限責任監査法人トーマツに入社。監査業務の経験を経た後、現在は、グローバルリスクマネジメント/コンプライアンス体制構築を中心に、グループガバナンス再構築、危機管理体制構築、内部統制構築、内部監査等のアドバイザリーサービスを数多く手掛ける。

助野氏:将来の発展を考えるとき、「市場」をどう捉えるのかという視点も重要です。これから出て行く市場に「大きな魚」がいるかどうかをしっかり見極める必要がありますし、そこで勝てる技術があるのかを見直す必要もあります。さらに、そこで勝ち続けられるのかということも重要です。この3つを考慮して進出する事業領域を決めていきました。

2004年に発表した中期経営計画「VISION75」では、重点事業分野として6つ挙げています。それらについても、実際に活動していく中でチューニングを繰り返してきました。その結果、ヘルスケアと高機能材料が現在の事業の柱になっています。もちろん、売却したビジネスもあります。そういった意味ではまだ発展途上といえるでしょう。
 

岩村:プロダクトやマーケットのリスクを常にモニタリングし、場合によっては準備したり、場合によっては諦めたりということを繰り返しやってこられてきたということではないかと思います。理屈では分かるのですが、実行するとなると非常に大変なことも多いはず。それをやりきれている理由はどこにあるのでしょうか。

岩村 篤/Atsushi Iwamura

岩村 篤/Atsushi Iwamura 有限責任監査法人トーマツ 包括代表代行 兼 デロイト トーマツ グループ リスクアドバイザリー ビジネスリーダー
2021年デロイト トーマツ グループ 執行役、リスクアドバイザリー ビジネスリーダー、有限責任監査法人トーマツ執行役およびデロイト トーマツ リスクアドバイザリー株式会社 代表取締役。上場会社の監査業務に関与後、グローバル展開するメディア企業や製造業向けにアドバイザリー業務を提供。近年は複数のグローバル企業に対し、デロイト トーマツ グループのサービス責任者として従事

助野氏:ストレートな言い方をすると、「やらないと会社が潰れる」ということですね。「大丈夫だ」といっていても物事は進みませんし、株主も認めないでしょう。

富士フイルムはポートフォリオを転換することで成長してきましたが、コアの技術をベースに事業をしていた会社が、そのコア技術が通用しなくなった途端、倒産するケースは少なくありません。

これについて、アメリカのアナリストと議論したことがあります。そのアナリストが言うには、そういった場合、投資家はその会社への投資を引き上げて新しい技術をベースに事業をしている別の会社に投資する。それが資本主義だというんです。保有技術を駆使してポートフォリオの転換を図る方がいいのか、通用しなくなった技術を含めて会社を潰してもいいのかという議論は、結局は会社というものは何かという議論になってしまうんです。
 

松下:マーケットが急落していく渦中では「もしかしたら、このマーケットが持ち直すのではないか」という期待感を持つ場合もあるかと思います。実際、フィルムの総需は一度持ち直していますよね(参照:図1)。その段階で「フィルムはなくならない」という思いを持ってしまうこともあると思うのですが……。

 

松下 欣親/Yoshichika Matsushita

松下 欣親/Yoshichika Matsushita 有限責任監査法人トーマツ パートナー
監査業務や株式公開支援業務などの業務に従事。大手証券会社への出向を経て、現在、取締役会の実効性分析・評価やリスクアペタイトフレームワークの導入を含む、コーポレート・ガバナンスのための組織体制整備業務等を行っている。

助野氏:たしかにそういった議論はあります。ただ私は、最悪を前提として準備しておかなければならないと考えています。

売上の落ち込みがもっと緩やかだったら、ここまでのポートフォリオの転換を図ろうとは思わなかったかもしれません。しかし実際は下がり方が非常に急激でしたから、相当な危機感がありました。

もちろん「もっと緩やかに落ち込んでいく」という予測もありました。しかし、そこで「持ち直すかもしれない」と考えてしまうこと自体が「リスク」になると思います。

幸いなことに、当社は財務体質がよかったので、十分に「準備」することができました。平行して構造改革も行っているので、写真フィルムの市場がなくなっていく中でも最高益を記録しています(2008年3月期)。ただ、その後でリーマンショックが起きて厳しい状況は続いていくんですが……。

結局、やっていくしかないという状況だったんです。何をするのも「リスク」がある状況です。だからこそ、見極めが何よりも重要となっていました。
 

岩村:富士フイルム様はコア技術を活用してポートフォリオの転換を図ったわけですが、それをやりきるには「人材」も重要になってくると思います。その辺りについてはどうだったのでしょうか。
 

助野氏:そうですね。トップは従業員に対して会社の状況が「危機だ」ということを共有し、説得しましたね。従業員はそれを聞いて納得する。この説得と納得がコミュニケーションそのものと考えています。

また従業員については、事業構造を変えていく中で他部門に異動させることもかなり実施しました。先ほどから説明していますが、新規市場や新規技術といっても、根底ではこれまで富士フイルムが培ってきたコア技術や経験といったものと繋がっており、それぞれ親和性があります。だから、化粧品や医薬品、超音波機器など全く知らない分野の業務に人材をトランスファーさせることができたんです。

 

岩村:新規市場に出て行く場合、それを阻害する新たなリスクもあると思います。そういったリスクにはどのように対応されているのでしょうか。
 

助野氏:新規市場に出て行くといっても、これまでに培ってきたコア技術や経験と繋がっていない領域である「飛び地」には行きません。親和性がなくなり、富士フイルムの強みを発揮することができないからです。
その上で「技術が足りない」のであれば、その技術を持っている会社を買収することもあるし、「市場を知らない」のであれば、経験者を採用することもあります。どちらにしても、すでにその市場のことを知っている会社・人に富士フイルムに加わってもらうということですよね。

 

松下:今でこそ人材の流動性が高まっていますが、富士フイルム様は2000年代前半からの事業構造の転換を機に多くの経験者をグループに迎え、実際に人の入れ替えを実行していました。その頃はまだ人材の流動性も高くなかったので、大きな決断をされたことに本当に驚きました。
 

助野氏:まさに崖っぷちに追い込まれていましたからね。「これをやるしかない」ということで実践したということです。しかし、まだ発展途上だと思っています。
 

松本:大手フィルムメーカーが倒産していく中で、富士フイルム様はしっかりと収益を上げるプロダクトを育てています。これは本当に素晴らしいことです。お話を伺って感じたのが、富士フイルム様はビジネスを作る力があるということ。私たちデロイト トーマツも様々な企業とお付き合いがありますが、そういった企業から「富士フイルムの人はマルチタスクだ」と聞きます。他の会社の場合、「専門」という垣根がありますが、富士フイルム様にはその垣根がなく、「従業員が本当に“強い”」と評価される人ばかりです。富士フイルム様の「力」の源泉が「人」にあるということが、分かった気がします。
 

助野氏:富士フイルムのDNAが先輩からきちんと植え付けられているのだと思います。実際、コア技術を応用するとどこに行けるのか常に考えていますしね。そういった文化があるんだと思います。部署間の異動も頻繁で、それが当たり前だと捉えているところもありますよね。そういったことに従業員も抵抗感がありませんし、経営層も平気で動かしてしまいます。
 

松下:富士フイルム様の現状は「崖っぷち」ではなくなっています。そういった中でも、危機感を維持できている理由は何でしょうか。
 

助野氏:「崖っぷち」にあったという状況はいまでも語り継がれていますし、DNAに入り込んでいるのではないでしょうか。フィルムがなくなってデジタルカメラが急速に普及するという変遷があったんだから、今後も何が起こるか分かりません。

5年先、10年先に世の中がどうなっていくのかをきちんと見極めていく重要性を、社員みんなが共有しているのだと思います。そして、我々の製品・サービスを通じて世の中に価値を提供し続けるために、今何が足りないのかを常に考えています。CEOを中心にそういった議論を重ねていますよ。

 

長谷川:今までの議論では、どうやってリスクをマネージしていくかということが中心となっていましたが、もう少し具体的な話として、富士フイルム様の執行と取締役との役割分担について教えて下さい。

 

【後編へ続く】

世の中の潮流を見極め、逆境の中で行われるリスクマネジメントと意思決定【後編】

プロフェッショナル

松下 欣親/Yoshichika Matsushita

松下 欣親/Yoshichika Matsushita

有限責任監査法人トーマツ パートナー

監査法人トーマツ(現 有限責任監査法人トーマツ)入社後、監査業務や株式公開支援などの業務に従事。 某大手証券会社への出向を経て、現在、ESG領域を中心に活動している。特に、取締役会の実効性分析・評価やリスクアペタイトフレームワークの導入を含む、ガバナンスに関する業務に知見を有している。 主な共著書として、『コーポレートガバナンスのすべて』、『M&A実務のすべて』(以上、日本実業出版社)、 『リスクマネジメントのプロセスと実務』(LexisNexis)、『組織再編における税効果会計の実務』(中央経済社)、『ベンチャー企業の法務・財務戦略』(商事法務)、他がある。

 

長谷川 孝明/Takaaki Hasegawa

長谷川 孝明/Takaaki Hasegawa

デロイト トーマツ リスクアドバイザリー合同会社 パートナー

主に製造業を対象として会計監査、内部統制構築支援業務に従事したのち、投資ファンド向けのM&Aアドバイザリー業務に従事。その後、4年間のジャカルタ事務所への駐在経験を経て、現在は、主にテクノロジー関連を中心とする製造業向けに、グループガバナンス、内部管理体制強化、会計アドバイザリー業務に従事している。 主な著書:「コーポレートガバナンスのすべて」(日本実業出版社)、「M&A実務のすべて」(日本実業出版社) 資格:日本国公認会計士、中小企業診断士

松本 拓也/Takuya Matsumoto

松本 拓也/Takuya Matsumoto

有限責任監査法人トーマツ パートナー

シンクタンクにてコンサルティング業務に従事した後、有限責任監査法人トーマツに入社。 監査業務の経験を経た後、現在は、グローバルリスクマネジメント/コンプライアンス体制構築を中心に、グループガバナンス再構築、危機管理体制構築、内部統制構築、内部監査等のアドバイザリーサービスを数多く手掛ける。 主な著書に『最新 コーポレートガバナンスのすべて』(共著、日本実業出版)他 米国デラウェア州公認会計士/公認内部監査人/公認情報システム監査人