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投資家とグローバル人事~株主総会におけるグローバル人事関連の質問への対策

Global HR Journey ~ 日本企業のグローバル人事を考える 第三十回

投資家の人事に対する関心は年々高まりを見せてきたが、人的資本経営への注目によって拍車がかかっている。人的資本の情報開示を進めるのはもちろんのこと、企業と投資家の直接の接点である株主総会での質問対応にも十分な備えが必要である。グローバルにビジネスを展開する企業はグループワイドなガバナンスが求められていることを踏まえると、グローバル人事の観点からも自社の対応方針を明確化し投資家の質問に対して説明を行うための準備が求められる。

本稿では、投資家との直接的な接点となる株主総会に臨むにあたり、本社としてとるべき対策をグローバル人事の観点から論じる。

投資家の人事に対する関心の高まり

近年、企業の人事に対する投資家の関心は高まり続けている。その背景の一つがITをはじめとした情報産業の興隆や昨今のデジタル技術の革新による産業構造の転換である。このような潮流を背景とし、人材や知財などの無形資産の価値が年々高まっており、今や企業価値のうち無形資産が占める割合は90%となっている1。人的資本経営という、人材を資本として捉え、その価値を最大限に引き出すことで中長期的な企業価値向上につなげる経営のあり方も、このような流れの中で近年特に脚光を浴びている。

我が国においてこの流れを一気に加速させたのが人的資本経営の極めて重要な側面である人的資本の情報開示の推進である。2022年度には政府により人的資本可視化指針が策定され、それに基づき有価証券報告書における一部指標の開示義務も課されるなど、人的資本開示にむけた具体的な枠組みの整備が大幅に進められており、今後もこの流れは継続しさらに加速していくことは想像に難くない。

また、市場における投資家の心象としても「企業の中長期的な投資・財務戦略において重視すべきもの」として一番に人材投資をあげており関心の高さがうかがえる。その一方で企業側の認識は未だ追いついていないのが実情であり、人的資本の重要性における投資家と企業間でのギャップが浮き彫りとなっている2。別の調査でも、機関投資家が今後非財務指標のうち、より開示が必要だと思う項目のトップとして人的資本があげられている3。このことからも、日本企業はこのギャップを正面から捉え、人的資本に関わる取り組みや成果に関わる情報の積極的な開示ならびに、その背景となる具体的な取り組みの推進というものを社会的責任として捉える必要に迫られていると言える。

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株主総会における投資家からの質問傾向

このような投資家や社会全般の関心や期待にこたえるために有価証券報告書や統合報告書での情報開示を推進することはもちろん重要であるが、本稿では投資家が企業に直接意見を交わしあう数少ない機会である株主総会、とりわけ企業が周到な事前準備を要する株主質問に焦点を当てていきたい。

東京株式懇話会のデータ集によると、株主からの質問はコロナ禍により直近数年においては減少傾向にあったが、昨年度から回復基調に転じていることが見受けられ、コロナからの脱却が進む今期以降はコロナ以前のように増加トレンドが復活していくと想定される。

また、この傾向を後押しすると考えられるのが、コロナ禍を受けて枠組みの整備が進んだバーチャル形式による株主総会である。実際に、オンラインでの質問や動議を可能とする形式でのバーチャル株主総会を導入した企業の中では株主からの質問数が増加するケースも見られている。一方で、バーチャル総会を実施する企業は18.8%に留まり、かつそのほとんどが現地とのハイブリッド実施であり、オンラインでの質問や動議は不可とする形式となっており4、導入自体はいまだ過渡期である。今後さらにシステムやルールの整備が進み、リモート参加の気軽さがより受け入れられるにつれて質問数の増加にも寄与していくと想定される。

さらに株主質問において人事に関する質問が増加してきたことにも言及したい。

経済産業省によると、株主総会における人事・労務に関する質問数は2012年には7位だったが2019年には4位となっている5。その背景としてこれまでの中心であった役員体制や報酬に限らず、企業の人的資本や人事戦略が株主総会の質問観点として存在感を増していることが理解できる。

なお、先述した人的資本開示の潮流がこれをさらに加速、後押ししていくと考えられる。

 

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グローバル人事の観点から見た株主質問への必要な対策

このように今後も増加が予想される人事関連の株主質問のうち、とりわけ新たに備えを行うべき観点としてグローバル人事がある。

日本企業による海外ビジネス展開は伸長を続けており、経済産業省の調査によれば日本企業の海外売上比率は約40%6に達している。また、直近でいうと、海外直接投資による利益がこの10年で約2倍に増加している7。また、JETROによれば約半数の企業が海外進出を今後も拡大させる方針8を持っており、日本企業における海外ビジネスの伸長やその重要性は継続していくものと想定される。世界では紛争や政治的な分断など地政学的なリスクが高まっていたり、またそのような中で製造業の国内回帰などの報道などもあるが、マクロの視野で見ると、日本企業の海外事業展開は少なくとも成果でいえば成功しており、この勢いは今後も維持向上するように感じられる。

他方、その海外事業展開を支える経営管理の側面はどうであろうか。上記のような海外事業の展開が進む一方で、日本企業によるグローバルワイドでの経営管理の態勢はその展開ペースについていけていないケースが散見されるのではないだろうか。このように、2010年代に入り日本企業によるコーポレートガバナンスへの関心が一層高まる中、本社による子会社のガバナンスの必要性も強く認識されるようになり、2019年には経済産業省によって「グループ・ガバナンス・システムに関する実務指針」も策定された。これにより今や本社単体としてのガバナンス態勢だけでなく、本社によるグローバル・グループワイドでのガバナンス強化はもはや当たり前に求められる機運が醸成された。そしてこれは本国に所在するグローバル本社の責務として、子会社の人事に関知しきれていないブラックボックスのような状態を脱却し、グローバル・グループワイドでの人事管理の整備を本格化する時代が到来していることも意味する。

これらの傾向を受けて、とりわけグローバルにビジネスを展開する日本企業に対して、投資家をはじめとした株主の関心も一層高まり、株主総会にあたってはグローバル人事の観点からも様々な質問に答える準備を進めていく必要性が高まっていると言える。

では、グローバル本社としてどのように備えていくべきなのだろうか。自社のグローバル人事における課題を認識し必要な対策を合理的な優先度で講じていくという根本的な行動があることは大前提であるわけだが、投資家からの当テーマについての質問への対応という意味では、質問が想定される観点を一定の網羅性をもって押さえ、自社としての対応スタンスや今後の検討方針を定めることが肝要である。(もちろん、グローバル人事戦略は各社の置かれている状況により異なり、その結果株主の関心もそれによって変わるわけであるが、質問の準備・対策という意味ではいったん網羅的に観点をなぞってみることが有効であると考えられる)。

検討の出発点として一般的なフレームワークを活用することも考えられ、例えば人材版伊藤レポートもそのひとつとして活用しうるだろう。下表では一例として3つの視点、5つの共通要素を軸に、グローバル人事の活動において明らかにしておくべき事項の導出を試みている。(尚、「人材版伊藤レポート2.0」においては、上記のフレームワークをチェックリスト的に活用するのではなく、各社自身が事業内容や環境に応じ主体的に考えるべきである旨が謳われている。9その点は私たちとしても大いに共感する一方、検討の出発点としてこのフレームワークを活用することは有効なアプローチと考え、一つの例として示している。)

 

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あくまでも例として示しているが、これらの質問に読者(あるいは読者の所属する組織)はどの程度答えることができそうであろうか?いずれにせよ、このように観点を網羅的に洗い出すこと、そしてそれらに対して企業としての対応方針やスタンスを明確にすることが第一歩である。これらを検討する際に、必ずしもすべての項目に対して対応を講じられているわけではないと推察されるが、もし対策を講じていないならそれはなぜなのか、対策を講じる計画なのであればいつなのか、といった中長期的な目線でのスタンスを明確化しておくことが重要である。(これはグローバル人事に限らず人的資本の情報開示全般にわたっていえることであるが、取り組みが長期にわたる可能性のあるグローバル人事のテーマではこの点は特に大事である。)

また、一定の網羅性を持って質問への準備をするにあたっては、当社が所有するグローバル人事のマチュリティモデルを活用することも可能である。こちらは第27回の連載でもご紹介したが、グローバル人事を考える上で網羅すべき観点を7領域42項目にて挙げ、そのそれぞれに対して5段階で成熟度を定義したものである。上記の記事で観点は全て公開されているので是非参照されたい。5段階の成熟度レベルの定義については、当社へご相談いただければ公開可能である。全ての観点について自社の現状レベルと目標とすべき状態レベルを可視化することもでき、現状の課題や中長期的な取り組み計画を立てる際に便利なツールである。

 

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おわりに

ここまで述べたように、投資家からの人的資本、グローバル人事に関する質問は今後も増加していくと考えられる。まずは企業としての対応の必要性を改めて認識し、観点を網羅的に押さえることが重要である。グローバル人事の取り組みは中長期的なものが大半であるため、投資家視点においても短期的な成果を求められる可能性は高くはない。企業としての対応方針、スタンスを明確にした上で対話のテーブルにつくことが求められているのである。

(おわり)

1  OCEAN TOMO 「INTANGIBLE ASSET MARKET VALUE STUDY」(2020年)
(https://oceantomo.com/intangible-asset-market-value-study/)

2  生命保険協会 「企業投資家向けアンケート」(2023年4月)
(https://www.seiho.or.jp/info/news/2023/20230421_3.html

3  リンク&モチベーション 「機関投資家の非財務資本開示に関する意識調査結果」(2022年3月)
(https://www.lmi.ne.jp/news/release/detail.php?id=703)

4  東京証券取引所 「2023年3月期決算会社の定時株主総会の動向について」(2023年4月)
(https://www.jpx.co.jp/news/1021/cg27su0000005nhg-att/press202304.pdf)

5  経済産業省 「第1回 持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会」 (2020年1月)
(https://www.meti.go.jp/shingikai/economy/kigyo_kachi_kojo/pdf/001_04_00.pdf)

6  経済産業省 「第51回 海外事業活動基本調査」(2022年)より推計

7  日本貿易振興機構(JETRO)「世界貿易投資報告」(2022年)
(https://www.jetro.go.jp/ext_images/world/gtir/2022/2_s3.pdf)

8  日本貿易振興機構(JETRO)「日本企業の海外事業展開に関するアンケート調査」(2023年)
(https://www.jetro.go.jp/ext_images/_Reports/01/d3add687bd7a74cc/20220061rev1.pdf)

9  経済産業省 「人的資本経営の実現に向けた検討会 報告書~人材版伊藤レポート2.0~」(2022年5月)
(https://www.meti.go.jp/policy/economy/jinteki_shihon/pdf/report2.0.pdf)

執筆者

嶋田 聰
デロイト トーマツ コンサルティング ディレクター

Global HRサービスリーダー。
グローバル人材マネジメント、クロスボーダーM&A・PMI(人事領域)、国際人事異動制度の導入支援、国内・海外における人事制度の設計・導入等、日系企業のグローバル化の人事領域における支援に多く携わる。多国籍チームのマネジメントも豊富。

 

谷田 尚也
デロイト トーマツ コンサルティング コンサルタント

Global HRサービスメンバー。
組織・人事領域にて国内外のクライアントを多数ご支援。
人事制度の設計・導入、組織構想設計、経営人材のアセスメント、人材育成・キャリア開発を中心に幅広いプロジェクト経験を有する。

 

※上記の役職は、執筆時点のものとなります。

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