調査レポート

人的資本情報開示に関する実態調査

開示に向けた対応を、日本企業の競争力を再生する取り組み機会とするために

人的資本開示に係るルール作りが国レベルで進む中、具体的な取り組みを進めている企業は2割にとどまる。進捗の差は、企業が人的資本開示や人的資本の強化に取り組むようになった動機が影響しているように思われる。内発的な動機を持つ企業は外的な要因を動機とする企業よりも進みが早いようだ。持続的な成長に向け、今、日本企業は何に取り組むべきなのか、人的資本に係る取り組みと課題に関する独自の調査に基づき、考察する。

人的資本開示への注目の高まり

「人的資本情報」の開示は、企業が人的資本をどうとらえ、パーパスの実現や経営戦略の実行に向けて、人的資本をどのように強化していくか、という、企業経営における一つの重要なトピックについて、企業としての考え方を示していくことである。

人的資本は、企業の持続的な成長のために重要な資本として認識されており、企業が人的資本をどのようにとらえ、高め、活かしているかという点が、社会や投資家を中心に、企業の成長を左右する重要な要素として注目されている。

上記のトレンドを踏まえ、現在、日本を含む各国・地域において、具体的な開示の枠組み・基準について検討が進んでいる。

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日本においても、内閣官房・経済産業省・金融庁などが、人的資本の開示の枠組みやそれを活用した今後の経営のあり方に関するガイドライン・報告書を相次いで発表している。11月7日に金融庁から、「企業内容等の開示に関する内閣府令」等の改正案が発表された。それによると、2023年3月末以降に終了する事業年度から、有価証券報告書における人的資本情報の追加開示を求める方向で検討がなされているようである。
 

日本企業の対応状況

人的資本開示を取り巻く状況の把握と企業が直面する課題の理解のため、デロイト トーマツ コンサルティングでは、この度、東京証券取引所プライム市場上場企業を対象にした「人的資本情報開示に関する実態調査」を実施した。

昨今の各種調査や記事において、具体的な開示の項目や指標、計算式といった、「ルール」の具体化に一定の関心が集まっている一方、もともとの趣旨である、「企業が人的資本をどうとらえ、パーパスの実現や経営戦略の実行に向けて、人的資本をどのように強化していくか」という点を研ぎ澄ませていこうという動きについて、必ずしも市場全体が認識し、取り組んでいるわけではないように感じたことが、調査のきっかけである。

去る8月23日に発表した結果においては、企業によって人的資本情報の開示に関する動機や、取り組み状況に大きな違いがあることが明らかになった。

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この度、サーベイの結果も振り返りながら、真の人的資本経営の実践に向けた、日本企業が抱える課題と対応策について、見解を述べていきたい。

 

調査結果の概要

人的資本開示にかかるルール作りが国レベルで進む中、回答企業の86%が人的資本情報の測定・開示に向けて何らかの検討に着手している。一方、具体的な取り組みの決定・実行に至る企業は2割と、まだ少数であることが明らかになった。

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今回の調査では、人的資本情報開示に向けた検討に着手した動機についても質問を行った。最も重視する検討・取り組み目的として、企業の過半数である57%が「政府機関が要請する開示ルール」、あるいは、「開示を求める投資家ニーズ」といった外部の規則・要請への対応を挙げた。一方、残りの43%については、「人材マネジメント課題に対する改革や施策の効果を測定・検証すること」、「マーケットにおける競争力を強化し、企業ブランディングを高めること」といった、自社の経営戦略・施策への活用を挙げた。

 

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外部の規制・要請への対応をより重視する企業と、自社の経営戦略・施策への活用をより重視する企業との比較において、いくつか特徴的な違いが明らかになった。まず目的として、「自社の経営戦略・施策への活用」を重視する企業は、「外部の規則・要請」を重視する企業よりも、人的資本情報測定・開示に対する重視度・理解度ともに高い傾向にある。

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加えて、「自社の経営戦略・施策への活用」を重視する企業は、「外部の規則・要請」を重視する企業よりも、人的資本情報をKPIとして設定・活用する、具体的な取り組みまで進んでいる割合が高いという傾向もある。

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内発的な理由がある方が、より積極的に取り組みを推進するインセンティブが働きやすいと言えよう。

 

企業にとっての主な障壁

企業が検討・取り組みをすすめるうえでの主な障壁として、①開示方針や人材戦略の策定、②実施体制の構築、③データ収集・分析の仕組みが挙げられた。中でも、「外部の規則・要請」重視の企業にとっては、取り組みの第1段階である「①開示方針・人材戦略の策定」が最も大きな障壁となっている一方、「自社の経営戦略・施策への活用」を重視する企業にとっては、「②実施体制の構築(実務者の不足)」が、取り組みを進めるうえで障壁となっていることが明らかになった。
また、いずれの企業にも共通して、「③データ収集・分析の仕組み構築」が課題視されていることも明らかになった。

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日本企業に向けた提言①

まず、自社の「開示方針・人材戦略の策定」が課題となっている企業については、経営方針の実現に向けた重要課題(マテリアリティ)の一つとして人的資本に係るテーマを設定し、経営戦略と連動した、人材戦略を立案することが検討の糸口になる。

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人的資本情報や開示ルールは、他の開示項目とは異なって曖昧であり、最終的に何を課題として位置づけ、開示するかを決定するには、企業の経営方針や戦略に依るところが大きいという性質がある。国内における人的資本情報の開示については、前述の「企業内容等の開示に関する内閣府令」に加え、8月30日の内閣官房 非財務情報可視化研究会による人的資本可視化指針によって方向性が提示されている。しかしながら、その内容を見ても、現時点で具体的な開示項目やその算定方法については明確になっていない。また、当該領域において先行するISO30414等の内容を見ても、その基準はあくまで「ガイドライン」であり、最終的な開示方針や項目は、企業の方針が入り込む余地が残されている。今後、ルールが具体化されていくとしても、最終的には各企業の経営方針に応じた開示項目の特定と開示が求められるという本質は変わらないのではないかと思える。

人材版伊藤レポートでも言及されているが、人的資本情報の特定と開示に基づく経営スタイルの実装にあたっては、経営戦略と人材戦略との連動がポイントとなる。ただ、一口に経営戦略と人材戦略との連動といってもイメージがわきにくいと思われる。私たちは、人的資本の価値を高めるための組織のあり方を、経営戦略の一部として目指すことが求められていると考える。そうして設定した「ありたい組織・人材」に対して、現状とのギャップを特定し、適切な施策を検討・実行していくことで、自ずと「経営戦略と人材戦略の連動性」は高まると考える。
 

実施体制の構築

次に、こうしたサイクルを回していくための実施体制の構築が重要となる。とりわけ、企業経営に資するような人的資本の強化を行っていくためには、親会社単体や国内の会社だけでなく、海外の企業を含む、グループ全体の人的資本価値を高める方策を検討・推進していくことが求められる。グローバルでの情報収集・管理と、それに基づく戦略の立案・推進をリードできる体制の構築は極めて重要である。

しかしながら、こうした役割を、従来の人事部門で対応することは困難であり、戦略・企画立案に適した役割・機能を企業の中に新たに設置することが必要となる。私たちは、この機能を「未来型のCHRO」および「CHROオフィス」と呼ぶ。未来型のCHROは、企業における人的資本の強化とそれを通じた企業価値の向上を使命とし、社内のみならず、社外に対しても、存在感を発揮していく存在である。

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さらに、未来型CHROが力を発揮できるようにするため、「戦略起点で人事を考える」ためのブレイン機能として、CHROオフィスを設置することで、企業として必要な機能を充足させることができると考える。

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日本企業に向けた提言②

最後に、データ収集・分析の仕組み構築である。未来型のCHROとCHROオフィスを中心に、企業成長に資する人的資本の強化を行っていくためには、人的資本情報の効果的な収集・管理が不可欠となる。しかしながら、人的資本情報の活用に関しては、いずれの企業も大きな課題を抱えている。人的資本情報を、意思決定に活用するためには、人事業務を支援する従来型のHRテクノロジーにとどまらず、意思決定を支援するデータを収集・分析・活用する未来型のHRテクノロジーが必要となる。

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未来型のHRテクノロジーは、従来の人事データに加え、人的資本情報の一部として含まれる組織に関する新たなデータ(パルスサーベイ結果等)を加味した統合データ基盤を持ち、自動化された分析・可視化ツールによって、経営の意思決定に必要なデータ結果を提供する。こうした活用を可能にする基盤の設計・構築が、今後日本の企業の競争優位性を高めていくためには不可欠となるであろう。
 

まとめ

これまで述べてきたように、人的資本情報の特定と活用・開示に向けては、ルールへの対応に腐心するよりも、まず自社の経営方針に沿ってどのような人材戦略をとるのかを言語化することが最も重要である。そうでなければ、人材戦略はこれまでの「人事部戦略」の延長線上でしかなくなり、人的資本を高め、それによって企業を成長させようという試みにはなかなか結び付かないと考える。まずは自社の方針を明確化し、そのあと、ルールに則ってそれらを対外的に示していく方法を考えるほうが理にかなっているのではないか。

加えて上記を実行できる組織体制を構築し、テクノロジーを活用することが、実行における重要なポイントである。今回は、未来型のCHROとCHROオフィスの設置、さらには未来型のHRテクノロジーに触れたが、ポイントは、企業経営の視点でデータを収集・活用することと、データに基づき組織・人材戦略をリードする担い手を企業内に設けることだと考える。

今回の調査を経て、人的資本の情報開示に対する日本企業の準備状況だけでなく、今後、日系企業が人的資本への投資を通じて成長を遂げるために何が必要か、という点でも重要な示唆が得られたと考えている。具体的な開示ルールについては、今後、政府からのさらなる発表を待つことになるが、開示ルールが明示されてから対応するのでは、人的資本の情報開示を通じて目指す本質的な企業変革を成し遂げるにはあまりに時間が足りない。むしろ、先んじて企業における人的資本とは何か、今後どのような状態を目指すのかを言語化する作業に着手し、来るルールの改正を自社が有効に活用できるよう準備を始めることが重要ではないかと考える。

著者

上林 俊介
デロイト トーマツ コンサルティング合同会社
執行役員

佐藤 由布子
デロイト トーマツ コンサルティング合同会社
マネジャー

大畑 静美
デロイト トーマツ コーポレート ソリューション合同会社
マネジャー

林 もと香
デロイト トーマツ コーポレート ソリューション合同会社
シニアアソシエイト

※所属・役職は執筆時点の情報です。
 

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