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アートと企業の交差点(前編): 民間企業とアートのあるべき理想の関係性とは?

文化庁 林氏に聞く、「文化経済戦略」が社会にもたらすもの

デロイトArt & Financeサービスは、アート業界と経済・ファイナンスの接点を担うサービスとして展開しており、文化庁令和元年度文化経済戦略推進事業、令和二年度文化経済戦略推進事業にも従事しています。本事業を推進する文化庁の林様に、経済とカルチャーがどのように関わっていくべきか、理想の姿や今後の課題について伺いました。

林 保太(はやし やすた): 文化庁 文化経済・国際課 課長補佐

1967年生まれ。1994年から文化庁勤務。2003年、河合隼雄文化庁長官(当時)が提唱した「関西元気文化圏構想」立ち上げを担当。2009年から11年にはメディア芸術(特にアニメーション)振興施策の企画立案を担当。2013年8月からは、青柳正規文化庁長官(当時)の下、現代アート振興のための政策立案に向けた調査研究を継続的に実施。2018年10月から現職。日本におけるアート・エコシステムの形成を目指す「文化庁アートプラットフォーム事業」を担当。

文化庁 林保太氏

1. 日本に文化経済戦略が生まれた背景

山田 ジョセフィン 彩子(以下、Jo):本日はありがとうございます。今回のインタビューでは、民間企業とアート業界との理想の関係や、今後日本国内でのアートカルチャーの発展についてお話をお伺いできればと思います。まず、文化庁として現在までに取り組んでこられた「文化経済戦略」についてお伺いできますでしょうか。

林 保太様(以下、林様):日本国内の状況として、経済成長期の「大量消費」に適応した産業がコモディティ化し、安価な製品・サービスは新興国にとって代わられてきています。日本が今後核にしていくものとして、観光に注目が集まり、実際にインバウンド観光客の急増がありました。また、これまでは内需によって経済を回してきた面がありましたが、今後は海外のお客様にも選んでもらえる製品やサービスを開発し、経済を回していく必要が出てきました。

2017年12月に策定された「文化経済戦略」以前は、経済と文化芸術の間にはある種の分断がありました。ここ数年で、文化と経済の好循環が重要であり、文化への投資によって新たな価値を創出し、その価値が創り出す経済的な利益がまた文化に投資されていく、という循環構造が必要、ということが認識される状況となり、内閣官房に「文化経済戦略推進特別チーム」が設置され、文化と経済の好循環の創出という新しい取り組みを始めるにあたっての戦略をつくったのです。

その中で、アート市場の活性化が注目されることになりました。産業としてうまく回ることで文化としての振興も達成される、という考え方は、2000年以降にまず映画において現れ、その後、商業アニメーション(アニメ)においても認識され、その特性に応じた施策が展開されてきています。「文化経済戦略」を契機にいよいよアートマーケットが俎上にあがることとなり、動き出したという訳です。

Jo:ありがとうございます。従来、アートのような文化活動は、企業の経済活動のからは別領域のものと捉えられていました。文化経済戦略を契機に、経済的な観点でもアートが重要な存在であることが認知されてくることが想定されますね。


2. アーティストから企業は何を得られるか

Lin Charlotte:文化庁様では、企業とアーティストの関係構築の取り組みを推進されています。まず、前提として、企業とアーティストを繋ぐとき、両者のどのような関係性を想定していますか?また、そのためにどのような活動を今後増やそうとされているのか、お教えいただけますか?

林様:企業がビジネスにおいて抱えている課題をアーティストに共有し、アーティストが持つ課題発見の能力を発揮してもらう取り組みは実現可能ではないかと思っています。本業のビジネスは企業自身の手法を続けてきた一方で、アートとの関わりについては広告宣伝やCSRといった表層的な関わりにとどまっていた企業が多いように思います。新しいものを産み出すためのきっかけを見出すことにアーティストの力を借り、企業人もアーティストの思考に触れていく、そしてコラボレーションを通じて企業人たちの思考が「クリエイティブ」になっていくことが理想ですね。全ての企業に当てはまるものではないかもしれませんが、試す価値のあるコラボレーションかと思っています。

Jo:企業側がアートの思考をビジネスのプロセスに入れていく、という考え方ですね。アートに対する意識や、クリエイティビティ、ひらめきに関して、民間企業のビジネスが刺激を受ける部分は多くありそうです。

林様:また、民間企業が経済活動を継続していくためには、ビジネスとしてプロダクトやサービスを販売・提供することなどが一般に受け入れられる状況が必要だと思いますが、ここに日本のカルチャーというものが内在していないと今後はビジネスの持続的成長が難しいのではないかと個人的には考えています。カルチャーセクターやアーティストの視点は、企業のプロダクトやサービスに新たな観点やバリューをもたらすかもしれません。

Jo:アートセクターが見出す新たな観点は民間企業の活動に良い影響がありそうですね。別の観点ですが、いわゆる企業組織は、Competition(競争)、Creativity(創造力)、Collaboration(協調)、Control(コントロール)、のようにCで始まる言葉で満ちているとよく議論されます。大企業であればあるほどリスクに敏感で、”Control”を重視していますが、アーティストとのブレインストーミングのような機会を通じて新たなCreativity(クリエイティビティ)を提供してもらい、前例に囚われない自由な発想の必要性も感じています。

林様:自由な発想やひらめきはアートの本質的な部分ですので、企業には新たな発見をたくさんもたらすのではないかと期待しています。さらに別の観点ですが、カルチャーと日常業務の交わりによって、生産性の向上もあるかもしれません。私が趣味でバンド活動をしていた時期、寝る間を惜しんでバンド活動に注力するほうが仕事のパフォーマンスが上がったことがありました。文化的な活動があることで日常の仕事モチベーションも上がる、という個人的な経験ですね。

理想を申し上げれば、仕事と文化活動の融合が最良だと思います。バンド活動を通じた私の体験はある程度普遍的なストーリーではないかと思っていて、仕事とカルチャーが日常的にうまく交わることによって、カルチャーも助けられて、企業側も生産性が上がるといいですね。

Charlotte:企業活動とカルチャーを融合させるのは、コロナ禍のワークライフバランスの概念に立脚した重要な観点かと思いますし、素敵な関わり方だと感じました。

Jo:英語にEnrichment(豊かにすること)という単語がありますが、今の林様の経験はまさにEnrichmentですね。カルチャーには日々を豊かにする力があると思います。企業のビジネスにおいても、プロダクトやサービスを感情に訴えかけるような際、カルチャーの日々を豊かにする力が必要とされることがありますね。


3. アートはビジネスの“当たり前”を必要としている

Jo:一方、カルチャー業界の方々は、感情に訴求することは得意ですが、自走力が求められる経営やビジネスは比較的不得意なのではないでしょうか。企業とアートで、うまく互いの補完ができると良いのではないかと思っています。

例えば、最近話題に上がることの多い「レジリエンス」という概念があります。これは財務面だけではなくて、この先3年間の活動をプランニングするような基礎的な力であり、やりたいことを実現する力を指します。アート業界は、企業からレジリエンスを得られるのではないかと感じます。

林様:おっしゃる通りだと思います。日本のアートセクターは割り当てられた予算の中で実現できることを実現する考え方が主流です。「アート活動が成り立たないから」という理由で国からサポートを受けることが多く、「やりたいことが前提にあって、お金を集めてでもやりたいことをやる」というような考え方は残念ながら日本のアートには根付いていません。アートでやりたいことを実現するには、経済的な基盤や活動を応援してくれる人が必要です。予算の面で国に依存してきた面があり、その点は今後改善していくべきだと思っています。民間企業からノウハウを提供できると良いですね。

更に付け加えると、民間企業に属する人のほうが一般的に社会を構成している割合としては多いはずですので、民間企業とアートとの乖離があってはいけませんよね。おそらくアート側も民間企業からの学びを通じて、新しい創作への影響を得られるのではないかと思います。特に社会性と批評性ですね。日本のアート業界は批評性が弱い。現実の社会をきちんと見た上で、表現すべきものを深く考えることで、アート活動の質の向上に繋がると思います。

Jo:自分で振り返ってみて、民間の組織の中では当たり前とされている要素があることに気づきました。現在では主流になったSDGsの考え方は、数年前までは、「社会課題の解決」という曖昧な概念でした。現在では、「課題」と一口に言っても、各企業の注力する領域や、誰のニーズを解決したいかなど、より正確なミッションの設計がトレンドになっていると見受けられます。

このような「社会課題の解決」を背景にありますが、アートやカルチャーは他のセクターから独立しているように見えます。民間企業とアートの接点を考えるとき、アート x 教育、アートxヘルスケア、アートxまちづくり、何かしらの起爆剤にアートを使おうとしていますよね。この際、アートというのは、アーティスト自身の知見を発揮する存在として位置づけられているように思いますが、アートセクターの方々は、世の中の社会課題にしっかりキャッチアップできているのでしょうか?

林様:民間企業の方々と比較すると、キャッチアップできていない部分も幾分あると思います。アート業界で社会課題に適切にキャッチアップされている方は、国際的に評価されているのではないでしょうか。日本のアート業界は、ドメスティックな評価だけで成り立っていた部分もありますが、一部は淘汰されるおそれもありますし、アート分野の大部分においては課題がある部分だと感じています。


4. 「文化経済戦略」の試行はまだまだ続く

Jo:これまで、企業とアートの理想的な関係性について伺ってまいりました。では、「文化経済戦略」を策定して以降、その理想を実現するための代表的な取り組みについてお伺いできますか。

林様:2018年からはトライアルで様々な取り組みを行っています。目指しているのは「戦略」の中で理念に掲げた「文化への投資が新しい産業等を産み出し、そこから再投資されていく循環をつくる」というサイクルを構築し、継続することを目指しています。例えば、企業とアーティストとのリレーションを構築する目的で、今まで交わらなかった人々を互いに繋ぐ取り組みをしています。初年度はアーティストが大企業の組織に介入する、いわゆる”Artist in the office”も実施しました。その取り組みの意義を民間企業の皆さまにご理解いただくのも、文化庁としてのミッションですね。

また、企業の経営者を美術館にお連れするプログラムも実現しました。ただ美術館を訪問するだけではなく、作品やアーティストに関する知識をインプットして背景を理解いただき、アートの楽しみ方を知っていただく活動です。欧米では一般的ですが、企業とミュージアムとの関係性を構築していく取り組みは日本でもどんどん取り入れていくつもりです。

Jo:では、民間企業とアートの理想の関係を見据えた上で、今後の展望や、現状見えている課題についてもお伺いできますか?

林様:先ほど挙げたような企業とアーティストを繋ぐ取り組みを行っていますが、全てが上手く進むとは思っていません。ですが、今まで全く別の領域だった人々が、交流を通じて相互理解し、互いを知る機会を持つことも重要だと思っています。アーティストは活動を続けていくためはもちろん、生活していくためにも経済的な基盤が必要ですし、収入を得ることは前提です。今までのように分断されたままで良いのか、というのは疑問です。

バブル期に美術品の輸入額が約600億円規模となるほど、企業が美術品をたくさん買った時期がありましたが、その後、作品の多くは海外に出て行ってしまいました。それでも企業が国内に所蔵する美術品がまだまだあります。それらの美術品を今後の企業活動でどう活用する方法や、企業がアートに投資を始めて、アーティストが潤う循環をどのように活性化させる方法についてのリサーチも実施しています。

改めて「企業が文化との関係をどう構築していくのか?」という問いは難問だと思いますが、企業にとっての大義名分を文脈とともに普及させていくことが必要ではないかと思っています。かつてはメセナ、CSRのような文脈がありましたが、これからの時代には本業のビジネスの中でアートとの関係を作っていくことが求められていくのではないでしょうか。新たな関わり方、誰もまだ知らないやり方、アーティストたちのアイディアなどを入れていって、新しいものをつくる。一歩踏み出すような動機付けをやっていく必要性を感じています。

Jo:ありがとうございます。引き続き、アートと企業のコラボレーションにおける課題について、もう少し具体的にお伺いさせてください。

<聞き手>

飯塚 香(有限責任監査法人トーマツ リスクアドバイザリー事業本部 シニアマネジャー)

山田 ジョセフィン 彩子(有限責任監査法人トーマツ リスクアドバイザリー事業本部)

Lin Charlotte(有限責任監査法人トーマツ リスクアドバイザリー事業本部)

 

文化庁の文化経済戦略事業に関連する情報は以下のページからご覧ください。https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunka_gyosei/bunka_keizai/92916901.html (外部サイト)

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