“ベア”から“レア”へ ー “持続的”な賃上げに求められる「レベルアップ」の視点 ブックマークが追加されました
政府が発表した経済対策において、所得税減税に注目が集まっていますが、先を見据えた本質的な課題は「“持続的な賃上げ”が実現できるか」にあります。賃上げの“持続”は、一過性の物価対策に留まらず、長年のデフレ経済から脱却し、日本経済の新たな成長をけん引するうえで最大のテーマです。
“持続的な”賃上げには、企業の経営努力や労使交渉など民間主体の対応が基本ですが、税制をはじめ官による政策的な後押しも不可欠です。本稿では、賃上げの“持続”に向けて政労使が何をすべきかを提言します。
“持続的”な賃上げに向けては、背景にある“2つの圧力”の存在を理解する必要があります。
まずひとつは、世界経済におけるインフレという「外圧」です。
ウクライナ戦争をはじめとする世界情勢や為替の影響で特に輸入品の価格が上昇し、賃上げ率を上回る物価高が家計を圧迫し、賃上げ圧力を高めています。これは足元で外部から迫る大きな圧力です。
しかしながら、もうひとつの大きな圧力として見逃せないのが人手不足という「内圧」です。人口減少の影響が供給側の人員不足に出始めた結果として、人材確保のために賃上げが必要となっているのです。
ここで注目すべきは、物価高という「外圧」は世界情勢により変動しうる一方、人手不足という「内圧」は今後も長きに亘って確実に続く不可逆的な傾向にあるということです。
賃上げを“持続する”には、「内圧にどう向き合うか」という視点が必要不可欠です。日本の人口は2011年を境に減少に転じ、女性就業率向上や高齢者の労働参加により増加した労働力人口も2019年以降は頭打ちで、働き手の確保は今後も課題になります。さらに、コロナ禍を経て働き方の多様化に拍車がかかり、リモートワーク、副業・兼業など、働き手にとって労働の質に対するニーズは多様化しています。
人口減少下で働き手の希少価値が高まる中、いまや従業員は、企業にとって最重要のステークホルダーです。株主への配当の分配と同様に、従業員への利益の分配に対する“内側からの圧力”は、質量ともにますます高まる流れになっていきます。
つまり、“持続的な”賃上げは、企業にとっては、人材を持続的に引き付け、“内圧”に耐えうる賃金構造につくり替えることを迫っているのです。
多くの日本企業は、景気や物価水準を念頭に賃金水準を一律で引き上げる「ベースアップ」に定期昇給を組み合わせた賃金制度を採用しています。これらは、物価上昇への対応の十分性を測る目安として現在も使われています。
しかし、終身雇用を前提とした「一律かつ微増」という賃金制度では、人材が流動化し、ジョブ型をはじめスキルが多様化する中で、“内圧”に対峙する意味で十分ではなく、働き手の状況に応じて分配を変えていく必要があります。
これから求められる賃上げは、従来の「ベースアップ型」から、働き手一人ひとりの生産性向上への貢献、つまり、働き手と企業の生産性のレベルアップに対して賃上げを行う「レベルアップ型」賃上げへと転換してゆく必要があります。
持続的な賃上げの実現に向けて、最大の課題は原資の確保です。分配原資を継続して確保するには、持続的に生産性を向上させ利益を確保することが不可欠です。
そこでポイントとなるのが「労使共創」です。従来のように「コストを抑えたい経営側」と「賃金を上げたい労働者側」という対立構造では、持続的な利益の確保は望めません。労使双方が一丸となって同じ利益目標を追求し、利益を透明性のある形で分配するという共創の関係性を築く必要があります。
これからの「持続的な賃上げ」を可能にするには、「労使共創」により収益性を高め分配に繋げる「レベルアップ型」賃上げが求められるのです。
目指すべき「レベルアップ型」賃上げの方法として、どのようなものがあるでしょうか。
まずは、当初の目標策定の際に、利益と分配の双方で目標設定することが有効です。企業側が利益目標を達成したら、予め合意した分配目標通りに利益を働き手に分配することで、働き手に生産性向上へのインセンティブが強く働くようになります。
既に、こうした動きにつながる具体的な取り組みも出てきています。例えば大手電気機器メーカーのA社は、「人材に投資して付加価値を高める」という会社の意志を明確にするとともに、成果を測る指標として「人的創造性」を新たに設定して付加価値を高める目標を掲げると共に、業績連動株式報酬制度の対象を管理職にまで広げ、積極的な分配施策を推進しています。
中小企業も例外ではありません。滋賀県に本拠を置く従業員数約130名の金属加工メーカーB社は、利益を積極的に従業員に還元するために、赤字になると支給を停止する「停止条件付き手当」を導入。また賞与には経常利益の4割を配分するとコミットしました。こうして賃上げを透明化し、月次で利益状況を社員に開示したことにより社員のモチベーションは大幅にアップ。これまで赤字による支給停止は1度もないといいます。
海外諸国にも同様の取り組みが見られます。コロナ禍から回復し好業績を上げている米航空会社C社は、業界で最も高い利益分配を実施しました。同社は利益の最初の25億ドルの10%と、25億ドル超過分の利益の20%を利益分配プールに充当するという明確なルールを定めています。
フランスでは「利益参加制度」として、企業が一定の業績をあげた場合、従業員数50人以上の企業では、業績の一部を従業員に分配することが分配の計算式と共に法律で義務づけられています。
企業の持続的な賃上げ実現には、国の政策的な支援も欠かせません。今回発表された経済対策においても、「賃上げ促進税制」の改定が含まれています。
賃上げ税制は以前より実施されており、前年度よりも給与支給額を増額した企業が、増加分に応じた法人税額の控除を受けられるため、賃上げを促進する効果があるとされています。
しかし現行制度は、控除額の規模が大きくない、時限的措置のため中長期の予見性が低い、「給与総額の増加が要件」のため賃上げの実態が評価されにくい(賃上げの成果か、人数増加の結果か、総額基準だけでは実態が把握しにくい)、などの課題があり、賃上げの”持続性”に対するインセンティブ効果が十分に発揮されていません。
そこで、新たな賃上げ税制では、これらの課題を解消し、持続性を高める「レベルアップ型」賃上げへと賃金構造の変革を促す制度とすることが重要です。
1つ目は、税額控除の上限緩和です。
現行制度では大企業、中小企業とも賃上げ幅に対して控除額が少なく、さらに全体の控除額にも上限があります。これでは一定額以上の賃上げを実施するインセンティブがそがれてしまい、十分な賃上げを促すことができません。より賃上げのインセンティブを高めるための上限緩和の議論を踏み込んで行うことが期待されます。
2つ目のポイントは、適用期限の長期化です。
持続的な賃上げを促すには、単年度志向ではなく中長期的な制度の予見可能性が必要です。レベルアップ型に向けた構造的な変革を促すためには、現状の単年度の賃上げに限った制度から、翌年以降から中長期の期間に亘って繰越控除を可能にする制度に見直すことが有効です。それによって、制度面でも持続的に賃上げに取り組む企業をサポートする必要があります
現状では、赤字企業には賃上げのインセンティブ効果がありません。これは税制上の対応だけでは限界があることを示しています。一方で、繰越控除の仕組みを導入することで、賃上げ実施時に赤字でも、実施年度以降に黒字化したタイミングで適用可能にすることで、持続的に賃上げを促すメッセージ効果は期待できます。
実際に、経産省の調査によれば、資本金1億円以下の“中小企業“における赤字企業でかつ1.5%の賃上げを未達成だった企業のうち、3割近くの企業が「繰越控除措置があれば1.5%以上の賃上げを行った」と回答しており、繰越控除への一定のニーズは見込めます。
3つ目のポイントは、対象要件の拡大です。(生産性向上への「計画」の要件化)
持続的な賃上げを可能にする生産性向上を促すには、給与総額の増加という「結果」だけでなく、生産性向上への取り組みを評価対象にすることが必要です。具体的には、「レベルアップ型賃上げ」に向けて労使で合意した「計画」を要件とし、達成に応じて税制優遇の対象にするなどの考え方も今後は検討してゆく必要があります。
既に過去には、生産性向上のため設備投資計画について導入された経緯がありますが、今後は、「人的資本への投資」による生産性向上を後押しすることがより求められてゆきます。それによって、現状の結果論としての給与総額の基準から、より能動的に生産性向上への取り組みにインセンティブを高めてゆく方向で制度を見直してゆくことも重要です。
賃上げ実現に向けて、政府、経済界、労働界の3者による今年2回目の「政労使会議」が、11月15日に開催されました。また、12月の税制改正の大綱策定に向け、いよいよ税制の議論も本格化します。持続的な賃上げを実現するためには、「労・使・官」が、日本経済の生産性の向上を促す方向で共創する「レベルアップ型」の賃上げへとかじを切ることこそ、今求められています。
日本経済の生産性を高めて成長力につなげる、という大きな目的を共有しながら、「働き手は賃金増、企業は収益増、国は税収増」という「労・使・官の三方よし」の好循環を作り出すためにはどうすべきか、「持続的な賃上げ」というテーマを起点に、長年の経済停滞を打開するための抜本的な改革への繋げるようなダイナミックな議論に期待したいと思います。
デロイト トーマツ合同会社 デロイト トーマツ コンサルティング合同会社 パートナー 社会構想大学院大学 教授 中央大学ビジネススクール 客員教授 事業構想大学院大学 客員教授 経済同友会 幹事 国際戦略経営研究学会 常任理事 フジテレビ系列 報道番組「Live News α」コメンテーター(金曜日) 経済産業省 「成長志向型の資源自律経済デザイン研究会」 委員 経営戦略及び組織変革、経済政策が専門、産官学メディアにおいて多様な経験を有する。 (主な著書) 「「脱・自前」の日本成長戦略」(新潮社・新潮新書 2022…