【徹底解説】2050年カーボンニュートラル実現に必要なJust Transition(公正な移行)とは?<前編> ブックマークが追加されました
菅総理大臣の「2050年までのカーボンニュートラル」誓約(以下、菅プレッジ)が毎日のようにメディアを騒がせている。日本では長年、気候アクションを採ることのリスクやコストばかりが強調され、行動を採らないことの長期的なコストや脱炭素に向けた産業改革で世界をリードすることの利点を追求してこなかった結果、ネットゼロへのコミットメントが120か国に遅れをとったものとなってしまった。実現に向けた政策論議や各企業の野心的な施策検討が急がれるところである。
そのネットゼロへの道程において、グローバルでは重要性が高まりつつあるが日本において十分に認識されていない原則がある。「Just Transition—公正な移行」という原則だ。これは、グローバルにおいても政策や金融原則に反映され始めた段階で、企業施策への主流化はこれからという段階である。であるがゆえに、出遅れた日本が今後巻き返すうえで、官民ともに「Just Transitionを通じたネットゼロ」に勝機を見出せるのではないだろうか。
Just Transition(以下、JT)という概念は、2009年のCOP15(第15回国連気候変動枠組み条約締約国会議)でITUC(国際労働組合総連合)が提唱した。石炭から石油へのエネルギー移行時に発生した鉱山労働者の大量失業がもたらした社会的ダメージへの反省を踏まえ、来る脱炭素移行における「雇用」移行・創出の重要性を強調したものである。
また現在はそのスコープが拡大され、再生可能エネルギー産業のサプライチェーンにおける強制労働や児童労働などの人権問題、風力タービン建設候補地における先住民コミュニティとの土地紛争などの課題も照射されている。
以上のような人権目線に加えて、企業目線で見た場合には、豊田章男・自工会長が菅プレッジに対して再三懸念を表明しているように、自動車の裾野産業の取引先を置き去りにしないことも、立派なJT課題と言えるかもしれない。
JTの重要性は、以下に挙げる近年の世界的な経済社会の地殻変動に照らすことでよりハッキリと見えてくる。
米国の2016年の大統領選や英国のBrexitといったサプライズ的な民意表出の震源地の一つが旧炭鉱コミュニティであった。これら多数派労働者層に対する二大政党の政治的な処遇の軽視が、ジェンダーや人種間の平等といった社会的アジェンダに対する拒絶反応を生んできたことも踏まえると、脱炭素移行を円滑に進める上においても「雇用」や「労働の尊厳」の問題を避けることはできない。
パンデミックは、米ビジネスラウンドテーブルや世界経済フォーラムが「ステークホルダー資本主義」を提唱し、その実践の在り方が問われ始めたタイミングで発生した。提唱当時想定されていた、顧客・従業員・サプライチェーン労働者や操業地の地域コミュニティはそれぞれ、コロナ禍によってはるかに厳しい局面に晒されており、ESG投資家連合が企業経営者に対し、「株主配当を犠牲にしてでも雇用を」と要請するなど、「S」領域への配慮を求める声が従来に増して高まっている。他方でコロナ後の復興に向けては環境分野への投資を重視する「グリーンリカバリー」が命題となりつつあることを考えると、ここにおいてもJTの視点が重要となってくる。
そして、社会的公正の観点を欠いた脱炭素移行が、現実に政治的な軋みを生じさせ、脱炭素化の障壁となりかねない事態が実際に起こり始めている。2018年にフランス全土を揺るがせた『黄色いベスト運動』は、直接的には燃料税率引き上げへの抗議に端を発したものであり、広範な賃金や税の公正などのテーマを包含した大規模な反格差運動に発展した。翌年チリで発生した暴動も、再エネと炭素税の導入を背景とした地下鉄運賃の値上げが発端で反格差・反緊縮運動に発展したものであり、この結果、サンチアゴで予定されていた気候変動COP25の開催断念に追い込まれることになった(マドリードで開催)。
山田 太雲
モニター デロイト シニアスペシャリストリード(サステナビリティ)。大手国際NGOで12年間「持続可能な開発」の諸課題に関する政策アドボカシーに従事したのち、2015年の国連SDGs交渉に関与し、成果文書案の一部修正を勝ち取る。モニター デロイトではサステナビリティ潮流やステークホルダーの動向等についてインサイトを提供している。