Posted: 28 Nov. 2024 5 min. read

創薬における量子コンピュータの活用

革新的な技術の活用による創薬の新たな世界シリーズ 第3回

近年量子コンピュータの実用化が現実味を帯びてきている。創薬では化学シミュレーションへの応用が注目され、従来コンピュータでは数千年かかってしまうような計算も大幅な高速化が見込まれる。「革新的な技術の活用による創薬の新たな世界」シリーズの第3回では量子コンピュータで創薬のゲームチェンジを狙う海外メガファーマの動向に迫る。

 

100年先の技術だと思われていた量子コンピュータの実用化が、近年急速に現実味を帯びてきており、創薬プロセスの高速化やコスト削減ができると期待が高まっている。量子コンピュータとは、原子や電子を代表とする量子を用いたコンピュータで、従来のコンピュータとは全く原理が異なる。従来は0または1を表すビットを単位に計算してきたが、量子コンピュータは0と1を同時に持つことができる量子ビットによって無数の組み合わせを同時に計算することが可能だ。

量子コンピュータを用いるとパラメータの無数の組み合わせから良い解を見つけ出す最適化計算や、材料開発や創薬における化学シミュレーション、AIの学習や予測プロセスの超高速化・高精度化が実現されると期待されている。

2010年代からGoogle、IBMといった大手IT企業がこぞって量子コンピュータ開発競争を繰り広げる1-4他、近年ではIonQやQuEra computingと言ったスタートアップ企業も高性能な量子コンピュータを開発し、実用化に向けて着々と進化を遂げている5-6

製薬企業における量子コンピュータの活用先としては、創薬向けの化学シミュレーションが一丁目一番地であろう。例えば、創薬プロセスの初期段階における薬剤候補とタンパク質の結合能の評価で利用される量子化学計算と呼ばれる化学シミュレーションが挙げられる。この化学シミュレーションで従来コンピュータでは数千年もかかってしまうような計算が、量子コンピュータでは数ヶ月で計算できるようになるといわれている7。また、計算の高速化に加え、予測精度の向上も期待されている。この予測精度向上により、希少疾患のようにデータが少ない、もしくは存在しないためにAIが適用し辛い領域であっても、ラボでの実験評価に肩を並べるほどの強固なエビデンス構築が可能になる。したがって、量子コンピュータが実現した世界では、AIやロボティクス技術に加え、化学シミュレーションの民主化が進むものと考える。

実際に創薬向けの化学シミュレーションをはじめとした応用の実証に挑戦する海外のメガファーマ(ベーリンガー、ロシュなど)は着実に増えつつある8-9

例えば、2018年頃よりロシュ社は外部パートナーと連携し、技術調査や実証を推進している。彼らは、社内推進体制を構築し、①化学、②最適化、③機械学習という3つの領域での技術検証に取り組み、今後どの領域に注力すべきかを見極めている。彼らの具体的なテーマとしては、BACE1(β-セクレターゼと呼ばれる酵素)の結合能評価や抗体の立体構造予測、医療画像分類などに取り組んでいる8

他にも、ベーリンガー社はGoogle Quantum AIとのパートナーシップを結び、外部から量子専門人材を採用することで、創薬に関連ターゲットであるシトクロムP450と呼ばれる酵素などの物性評価をテーマとして、化学シミュレーションに注力した実証を推進している。この取り組みで、将来どの程度の量子コンピュータが実現すれば有用なのかを見積もり、実世界におけるユースケースを探索している9

このように、海外の先進企業では量子スタートアップをはじめとした外部パートナーと共同で実証を推進しながら、量子専門人材の採用や育成、実利用に向けたロードマップ策定を戦略的に行っており、将来的に量子コンピュータが商用化される段階でその恩恵を享受する準備が整いつつあると考えられる。

一般的に量子コンピュータで計算を行うためには、従来のコンピュータとは全く異なるアルゴリズムを取り扱う必要があり、それを一朝一夕で使いこなし活用することは困難である。そのため、実用化レベルのハードウェアが登場したタイミングでその活用に取りかかるのでは、他社に何年も先行されてしまう。したがって、我が国の製薬企業においても、現時点から量子専門人材の育成・獲得に着手し、いつどのようなユースケースが可能になるのかを見定めていくことが重要であろう。

【シリーズ】革新的な技術の活用による創薬の新たな世界

執筆者

多知 裕平/Yuhei Tachi
デロイト トーマツ リスクアドバイザリー合同会社
デロイトアナリティクス 量子アプリケーションサイエンティスト

スーパーコンピュータおよび量子コンピュータを活用した創薬・材料化学計算を専門とする研究者・データサイエンティスト。過去にケンブリッジ大学での留学や分子科学研究所の研究員として従事。現在は誤り訂正量子コンピュータを活用した創薬研究をリード。博士(理学)。


眞砂 和英/Kazuhide Masago
デロイト トーマツ コンサルティング合同会社
ライフサイエンス&ヘルスケア シニアマネジャー

製薬企業にて創薬研究に従事後現職。製薬、医療機器メーカーに加え、民間保険会社や通信系企業といった異業種企業を対象に、最新のデジタル技術や医療データを活用したライフサイエンス・ヘルスケア業界への新規事業検討プロジェクト中心に手掛ける。

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