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欧州は冬を乗り切れるか:ガス不足と価格の試算

リスクインテリジェンス メールマガジン vol.86

マクロ経済の動向(トレンド&トピックス)

有限責任監査法人トーマツ
リスク管理戦略センター
マネジャー
市川 雄介
 

ウクライナ情勢が長期化する中、欧州では天然ガス不足への対応が喫緊の課題となっている。関係が悪化するロシアからのガス供給は、パイプライン「ノルドストリーム」の輸送量が9月からゼロとなるなど大きく絞り込まれており、このままでは欧州は今冬を乗り越えられないとの懸念がある。実際にガスが不足することになれば経済活動の急激な収縮や社会生活の混乱が予想されるが、不足せずとも、そうした懸念自体がガス価格の押し上げや企業の自主的な操業抑制などにつながり、欧州経済が一段と下押しされることになる。さらに、欧州のガス価格の高騰は米国やアジア市場にも波及しやすく、他国の経済も影響を受けざるを得ない。そこで、欧州のガス枯渇リスクについて検討してみたい。

足許では、ガス不足への懸念はむしろ和らいでいる。EUのガス貯蔵率をみると、5月頃までは例年を下回っていたが、夏場以降は順調に積み増しが進み、11月までの目標としていた貯蔵率80%を8月末に2カ月前倒しで達成した(図表1)。ロシア産ガスの供給が減少する中にあっても、米国やノルウェーをはじめとする他国からのガス輸入を増やし、消費量の抑制にも努めることで、平年並みの貯蔵量を維持している形だ。

図表1 天然ガス貯蔵率(EU)

天然ガス貯蔵率(EU)
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ただし、ロシアがノルドストリーム以外のガス供給も完全に停止するリスクがあることを踏まえれば、今後について手放しで楽観できる状況ではないだろう。そこで、ロシアからの供給と域内ガス消費量に関する想定を組み合わせて、4つのシナリオにおけるガス貯蔵量の先行きを試算した。結果を示した図表2によれば、ロシアがノルドストリーム以外の供給を制限しない場合は(ケース1)、現状程度(過去5年平均比▲5%程度)の消費量を維持してもガスの枯渇は避けられるが、ロシアが揺さぶりを強め全ての供給を止めると(ケース2)、23年3月には事実上ガスが枯渇する計算となる。ロシアからの供給がゼロでも、消費量を一段と抑制できれば(過去5年平均比▲10%程度、ケース3)、ケース1と同等の貯蔵量を維持することは可能となる。さらに、EUが8月上旬の首脳会議で合意したように消費量を過去5年平均比15%減少させることができれば(ケース4)、貯蔵量には一段と余裕が生じる。

図表2 ガス貯蔵量のシミュレーション

ガス貯蔵量のシミュレーション
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以上の結果から、今冬のガス枯渇という最悪の事態は、基本的には消費量の抑制を通じて回避可能であることが示唆される。ただし、例年以上に冬場の気温が低下し消費量の削減が思うように進まない場合や、技術トラブル等により他国からの輸入が順調に進まない場合などには、ガス枯渇リスクが急激に高まることには注意したい。また、EU全体ではガスが足りても、域内国間で柔軟に融通されない場合などには、一部の国がガス不足に陥る可能性もある。

ガスが枯渇せずとも、価格が高止まりしたりさらに上昇したりするのであれば、経済・社会活動に下押し圧力が加わることには変わらない。そこで最後に、ガス価格への影響を簡単に考察しよう。

過去の価格データをみると、以下の2つの点が特筆される(図表3)。まず、ガスの貯蔵率と価格には非線形の関係がみられることだ。すなわち、ガスの貯蔵率が低いほどガス価格は例年と比べて上がりやすいが、ガスの貯蔵率が例年から大幅に(10%ポイント以上)下振れすると、価格には非線形に急激な上昇圧力がかかっている。第二に、ウクライナ危機以降のガス価格は、それまでの貯蔵率との関係から大きく乖離している状況にある。上述の通り、今夏以降の貯蔵率は例年並みの水準にあるため、価格が上振れるとしてもせいぜい例年比30%程度にとどまるというのが図表3の示唆するところだ。しかし実際には、例年の数倍の水準まで上昇しており、ガス供給をめぐる先行き不透明感が大幅な押し上げ要因になっていると考えられる。

図表3  欧州のガス価格と貯蔵率の関係

欧州のガス価格と貯蔵率の関係
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ガス枯渇が避けられるケースでも貯蔵量が過去5年のレンジの下限を下回る水準にとどまることを踏まえれば(前掲図表2)、冬を乗り切るまでは不透明の高い状況は変わらず、ガス価格の高止まりが続く可能性が高いだろう。しかし逆に言えば、来春以降にそうした不透明感が緩和し、価格が下落に転じることも考えられる。図表2におけるケース3、4を前提にすると、2023年4月のガス貯蔵量率はそれぞれ15%、30%程度になる見込みだ(貯蔵能力が足許から横ばいと仮定)が、過去5年平均の4月の貯蔵率(40%程度)と比べ、それぞれ25%ポイント、10%ポイント下回る計算となる。前者の場合は、図表3の関係からは価格は例年比数倍という高止まりが予想されるが、後者のケースであれば、価格は相応に下落する余地が出てくる。消費量の最大限の抑制を冬季を通じて継続することは容易ではないが、もし達成されれば、来春以降のガス価格には下落圧力が加わる可能性が高い。エネルギー高はいつかは転換するという当たり前の事実を、そろそろシナリオとして想定する時期に来ていると言えそうだ。

執筆者

市川 雄介/Yusuke Ichikawa
有限責任監査法人トーマツ リスク管理戦略センター マネジャー

2018年より、リスク管理戦略センターにて各国マクロ経済・政治情勢に関するストレス関連情報の提供を担当。以前は銀行系シンクタンクにて、マクロ経済の分析・予測、不動産セクター等の構造分析に従事。幅広いテーマのレポート執筆、予兆管理支援やリスクシナリオの作成、企業への経済見通し提供などに携わったほか、対外講演やメディア対応も数多く経験。英ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスにて修士号取得(経済学)。

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