最新動向/市場予測

日本にはまだ需要が足りない:日本のインフレ動向

リスクインテリジェンス メールマガジン vol.86

リスクの概観(トレンド&トピックス)

有限責任監査法人トーマツ
リスク管理戦略センター
マネージングディレクター
勝藤 史郎
 

日本の8月消費者物価指数(生鮮食品を除く総合指数=コアCPI)は前年比2.8%と約30年ぶりの高水準に上昇した(消費税影響を除く)が、その要因の多くは外的ショックによるコスト・プッシュ型のインフレである。2.8%の上昇のうち約2.3%がエネルギーと食料価格の上昇となっている。グローバルに見れば、エネルギーや食糧価格の上昇は地政学要因に起因する供給制約によるものである。こうした外的要因によるインフレと、日本銀行が目標とする2%の物価安定目標(生鮮食品を除く消費者物価指数の前年比上昇率の実績値が安定的に2%を超えること)との間にはその内容においてまだ距離があるといえる。

【図表1】需給ギャップ[日本]

需給ギャップ[日本]
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日本の従前からの主なデフレ要因は需要不足とデフレ的な価格構造の2つであるが、現状ではそのいずれもが解消されていない。まず、日本経済全体の需給ギャップは2022年4-6月期時点未だ需要不足の状態にある(図表1)。次に、日本のデフレ構造について、失業率とコアCPIの関係を示すシンプルなフィリプス曲線を見る。日本銀行の量的・質的緩和が開始された2013年以前の日本のフィリプス曲線によれば、2%の物価上昇実現のためには、失業率を相当の低位に抑える必要がある。2013年以前の時点で2%のコアCPI上昇率を達成するには失業率を約1.5%の低位にまで押し下げることが必要な計算になる。しかるに、量的・質的緩和開始以降現在までのフィリプス曲線を見ると、もはや失業率とインフレ率の相関関係は崩れており、これ以上失業率を引き下げてもインフレ率が上昇しない構造になっている(いわゆるフィリプス曲線のフラット化)1

【図表2】物価版フィリプス曲線[日本]

物価版フィリプス曲線[日本]
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欧米の中央銀行が、インフレ抑制のため一時的な景気減速も覚悟の上で政策金利の引き上げを加速しているのに対し、日本銀行は量的・質的緩和政策スタンスを維持している。このスタンスは、2%の物価安定目標という使命実現の趣旨に整合的なものと言えるだろう。日本経済は依然需要不足であり利上げによって需要を抑制すべき状況にはないからである。国民の生活水準の低下を回避するためのインフレ対策としては、むしろ一時的な補助金による支援やエネルギー確保手段の拡大によるのが妥当と思われる。他方、上記のフィリプス曲線のフラット化が示唆するように、現在の量的・質的緩和の継続が今後2%の物価安定を実現できる最善の手段であるとの根拠は、堅固なものとは言いにくい。

今後、持続的な物価上昇と経済成長を実現するには、まず新型コロナ感染症からの経済回復を確実にして需要不足を解消するとともに、その後も需要を持続的に維持する必要がある。このためには、中長期的な需要の創出、例えば脱炭素化実現のための設備投資の促進や、高齢化社会におけるデジタルを活用した消費者需要の創出などの中長期的施策の実施が必要であろう。こうした改革にはおそらく10年単位の時間が必要となり、1~2年の時間軸での金融政策のみに物価安定を依存するのではなく、政府や民間による需要創出と、流動的な労働市場におけるお金の循環促進による所得拡大が必要であろう。

執筆者

勝藤 史郎/Shiro Katsufuji
有限責任監査法人トーマツ マネージングディレクター

リスク管理戦略センターのディレクターとして、ストレス関連情報提供、マクロ経済シナリオ、国際金融規制、リスクアペタイトフレームワーク関連アドバイザリーなどを広く提供する。2011年から約6年半、大手銀行持株会社のリスク統括部署で総合リスク管理、RAF構築、国際金融規制戦略を担当、バーゼルIII規制見直しに関する当局協議や社内管理体制構築やシステム開発を推進。2004年から約6年間は、同銀行ニューヨー...さらに見る

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