日本コングロマリット企業の未来へ向けて 第十四章 産業用メタバース・デジタルツインのポテンシャルと活用 ブックマークが追加されました
近年、「メタバース」という言葉が注目されている。「メタバース」という言葉は、古代ギリシャ語の「meta」(超越)と英語の「universe」(世界)というワードの組み合わせから来ている。その語源より、インターネット上の仮想現実空間を使って、ユーザーが他ユーザーや提供サービスとインタラクションをして、現実と同じような活動を行うことができる世界というイメージで使われる事が多い。
デジタル空間においてはオブジェクトは単なるデータであり、プログラムである。物理空間のモノとは違ってその複製は容易であるために、仮想世界では現実世界とは同じ所有の概念や権利を実現できないという指摘が従前あった。しかし、ブロックチェーンやそれに基づくNFTを用いて、ユーザーのトランザクションに関する証明の実現も可能となり、「メタバース」は新しい社会活動、経済活動の基盤になりうると幅広い領域から熱視線を受けている。そして、国内外を問わず様々な企業がメタバースへの参入を表明してきている。
ビジネスにおけるメタバースの活用にはいくつかのユースケースが考えられる。例えば、消費者向けのリッチな3Dゲームやエンターテイメントコンテンツの提供、メタバース上でのコマースビジネスやマーケティング活動の展開。企業がバーチャルオフィスを構築して働いている場所にとらわれないコラボレーション環境を実現したり、現実空間では行うのが難しい災害や緊急事態の発生を踏まえた研修を実施する等がある。
メタバースのビジネス活用という意味では、上記のケースはエンドユーザーや従業員への3D空間の提供によって何ができるのか、というところでイメージが掴みやすいものであるが、産業におけるR&Dや製造のプロセスへの高度な適用、またより大規模な適用シナリオも見えてきている。これらは、従前、デジタルツインと呼ばれていたソリューションでもあり、メタバースのトレンドと合わさって「産業メタバース」と呼称されている。
産業メタバース、あるいは、デジタルツインの活用には、いくつか主要なシナリオがある。
まずは、R&Dや製品設計・開発を高度化させるシナリオである。例えば、製品のデジタルモデルをカスタマイズし、製品の設計を最適化することができる。これにより、個々の顧客に合わせた製品をより迅速に生産できるようになり、製品のカスタマイズがより容易になる。また材料や素材分野での新物質開発にもデジタルツインが利用できる。原子配列や電子配置等の物性特性を高精度に計算した材料データベースをもとに、高度な3Dシミュレーション環境を用いることで、より迅速かつ正確な新物質探索や開発を行う。
他に製品に搭載するAIの開発を促進していくという先端的な活用例もある。具体的には、高度なAIを搭載したオートノマスカー(自動運転車)の開発等が挙げられる。安全かつ高性能なオートノマスカーの開発においては、AIに安全な自律制御を学習してもらう必要がある。これには大量の走行データに加えて、大量の事故データも必要となってくるが、そのデータを作るために実際に車を走らせて沢山の事故を起こすとしたらそのコストは計り知れないものになる。そこで、精巧なメタバース上の環境で自動車を走行させ、多様な事故を意図的に起こし、AIが学習するためのデータを収集する。実際の例としては、デロイトとNVIDIA社は共同でオートノマスカー開発に向けたシミュレーションとデータ生成を行うシステムを開発し提供している。現在、オートノマスカーに限らず、ドローンやUGV、また様々なロボットに搭載するAIの開発においては、データ拡張の手法を発展させ、3D空間にてデータを生成・収集することが基本となっている。このようにメタバースの現在のブームは、企業が様々な製品開発においてデジタルツインを活用していく起爆剤になる可能性がある。
もう一つのシナリオとしては、大規模な生産シミュレーション、環境シミュレーションを実現するプラットフォームとしてのメタバースの活用がありうる。例えば、シーメンス社とNVIDIA社が2022年6月に協業を発表し、Siemens Xcelerator とNVIDIA Omniverse というそれぞれのプラットフォームを連携した産業メタバースの提供を開始している(*1)。このシナリオにおいては、生産ラインやプロセスに対応するデジタルモデルを作成し、それらを遠隔監視、制御、最適化することにより、品質向上、カスタマイズ、生産プロセス最適化、メンテナンス、サプライチェーンの可視性の面において、大きな改善をもたらすことが可能になる。これは、製造業を中心とした産業のバリューチェーンに広く影響をもたらしうる。
品質向上については、製品のデジタルモデルの分析をすすめることで潜在的な欠陥を特定し、修正することができる。また、製品の品質を継続的にチェックすることもできるため、品質の維持管理も容易になる。このような生産プロセスの最適化は、生産効率も向上させ、品質を高めながらもコストを削減していくことが可能になるだろう。メンテナンスについては、製品や機器のデジタルモデルの監視やシミュレーションにより、メンテナンス時期を予測することができ、これにより、ダウンタイムを最小限に抑えることができる。
他には、自動車や飛行機などの製品やあるいは工場の生産ラインに留まらず、広くサプライチェーン全体の最適化を推進する。ビジネスパートナーと協力したデジタルツイン・プラットフォームを構築し、バリューチェーンに関わるデータを接続してリアルタイムなアクションやシミュレーションによるプランニングを行い、効率性の高い生産と配送を実現する。デロイトオーストラリアは、Optimal Realityというモビリティと物流のデジタルツイン・プラットフォームを開発し、メルボルンにおける交通の効率的管理を行っている。このようなプラットフォームは、従来のバリューチェーンをダイナミックなデジタルネットワークへと進化させていくことも後押しするだろう。
もっと大きな規模での適用もある。ビルや橋等も含めた都市全体の複製をメタバース上に構築し、各種リソースの全体的な可視化を実現。また、実際に物理的な変更を加える施策を実施する前にデジタルツインで開発や変更の影響をシミュレーションすることで、最適なプランを発見。長期間にわたるリソースの有効利用をサポートし、全体効率の向上を促進する。さらにスケールを大きくして、都市の交通やエネルギーの最適化、地域における災害対策、ひいては地球環境そのもののデジタルツインを実現して気候変動に対するアクションを考えていくことも視野に入ってくると期待される。
このように、産業メタバース、あるいはデジタルツインは幅広い効果を産業および社会にもたらす。それでは、企業としては、どのようにこの産業メタバースの活用を進めるべきか。導入にあたってのポイントはいくつか考えられる。
一つ目は、目的とスコープの明確化である。産業メタバース、デジタルツインは広範な効果を期待することができるといえども、導入時にあたっては、初期の目的とスコープを明確化し、それに合わせた形でデータを収集し、関連プロセスと連携したシステムの設計を行うことが重要となる。製品設計の高度化を目指す場合は、製品設計に関わるデータやシステムを把握して、そのデータを取得し、かつ製品設計に関わる他システムとも連携することが必要になる。
二つ目は、製品や設備レベルだけでない、プロセスやサービスレベルにまで及ぶデジタル化である。デジタルツインはややもすると、取り扱う製品や設備等のオブジェクトだけをデジタル化すればよいと考え、そのデータをいかに取得するかにフォーカスしがちである。だが、その効果を最大限引き出すには、関連システムと連携したプロセスやサービスのデジタル化と呼べるレベルへの到達が必要になる。例えば、全社的な生産ラインの効率化を目指す場合は、製品や設備のデータをデジタル化して可視化するだけでなく、生産プロセスに関わるシステムと連携した制御も行えるようにし、さらには、ERP等とも接続することで財務的な数字に対するインパクトまで算出可能なシミュレーションを実現していく必要がある。
三つ目は、サイバーセキュリティの確保である。産業メタバースやデジタルツインは見てきたように、様々な組織のシステム、IoTシステム、センサーと接続することになる。そのため、通常のシステムよりセキュリティ脆弱性のリスクは高くなるケースがあり、サイバーセキュリティの機能・ポリシーや運用は必須要件になる。
四つ目は、人材の確保と育成である。産業メタバース、デジタルツインの導入にあたっては、従来の企業システムの構築やデータ分析において必要であったITエンジニアやデータサイエンティストと比較して、より現場のノウハウもおさえている人材が必要となる。例えば、3D空間による可視化やシミュレーション、センサー等のIoTによるデータの収集と分析等においても実際の製品開発や生産プロセスの知見が多く重要になる。外部からそのようなスキルをもった人材を採用するだけでなく、社内の業務やシステムに関する経験が豊富な社員をいかに育成していくかも大事なポイントである。
最後にパートナーの選定だ。産業メタバース、デジタルツイン活用における取組を構想し、進めていくためには、多様な知見やネットワークが必要である。例えば、デジタルツインを単に特定の業務に関連した可視化とその効率化に留めないためにも、どうデジタルツインの適用を広範囲に実施していくのか。現状の技術動向から自社のビジネスモデルに最適な活用ロードマップ及び導入プロセスを策定していくことが肝になる。またデジタルツインは、各種ハードウェアやクラウドサービス、ソフトウェアやIoT等、関連する技術も幅広く、多くのテクノロジーパートナーとの協業が必要となる。いかに様々な専門知識をもったパートナーを巻き込んでいけるのか、その選定は極めて重要である。
以上、産業メタバースの活用シナリオとアプローチについて概観した。
産業メタバースやデジタルツインは、企業における3D空間を用いた、工場や施設の単なる可視化というイメージで理解されることもあるが、実際は、R&Dから製品の設計・開発を高度化し、生産・物流を最適化してさらには新たなバリューチェーンの構築を可能にする、産業全体のDXを推し進める重要なソリューションである。企業は自社内での産業メタバース・デジタルツイン導入による期待効果を明確化しつつも、いかにその成果をスケールさせていくか、真価を発揮させていくかが活用において大切である。国内外の事例とともに、自社にあった具体的なアプローチ等、詳細をお伺いされたい場合は、デロイト トーマツ グループ宛に別個ご連絡を頂きたい。
(*1) シーメンス株式会社「シーメンスとNVIDIA、産業用メタバースの実現へ」2022年 06月 29日、URL: https://press.siemens.com/jp/ja/pressrelease/pr-20220629nvidia
シリーズ:日本コングロマリット企業の未来へ向けて